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たしかに自由な今

わたしは今、ゆとりある暮らしをしています。


父と母と年金のおかげで生活できている身です。でも、よく考えたらこの暮らし、わたしのなかで初めての試みではないかなとおもう。属すことをどこかで拒否しているのかとおもうけれど。でもnoteに属している、これ事実。


仕事を辞めて一年経った。よく、一ヶ月仕事をしなかったらうんざりした、そんな話を聞くけど、わたしは三年無職の経験がある。自慢してるわけではなくて、人によって差が出るのはなんだろうとおもう。わたしの場合、趣味が多いので楽しく過ごすことができてしまう。あと、病人だからだろう、休み休みやっている。テキパキ行動するとこと、のんびりするとこのバランスを取っているような気がする。


もともと、自由な気質なことは間違いない。自由などと言葉を出しておいて、自由を語れるわけでもないけれど。正直いって、雇われていた頃、雇ってもらっていて、年金プラス賃金という考え方、暮らし方、障害との向き合い方だった。もっと張り詰めていた。必死だった。今は全然違う。年金いただいているから働かなくていい、ではない。むしろ、年金生かしてそのなかで、体調に負担がかからないで自分を生かすことってなんだろう、そうおもう。まずは、心と体を休めてていいのではないかとおもう。前は心と体をこき使ってた。そんなとこ。だから、今はとても自分にやさしい生活を送っている。


役に立っていないということを受け入れている。役に立たなくてもわたしでいられるという在り方。そんな自分を肯定する。でくの坊のようだ。


学生の頃、知り合いの参加する書道展に足を運んだ。そこで、「でく」という大きな二文字に出会った。薄墨がしたたっている字が印象に残っている。そのとき、初めて「でく」の意味を知った。



それでは、またお会いできますように。
ありがとうございました。

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