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おはようございます。ナオコです。

最近、よく眠れるようになって、朝までぐっすりだなんて嘘のようです。決まって3時くらいに目が覚めて、朝まで台所でうとうとなんてことが毎日のことでした。

なので、微妙に朝が遅くなってきています。目覚まし時計を使ってないので、こういうことになるのですが、目が覚める時が起きるときという暮らしです。

今まで、寝たくても寝られなくて早朝起きていたので、目覚まし時計がいらなかったのです。

今、とても安定した生活を送っています。これも皆さんのおかげかと思っているのは、私の勝手な思い込みでしょうか。

何から書こうと今思い巡らしていますが、


ネットの壁について。

noteの最初の方で、ネットの壁について言及しています。Instagramで、顔出さず、名前も記号化され、年齢もわからず、器の投稿をしていたのですが、イメージが本来の私とかけ離れていることがなんとなく伝わり、居心地の悪さを覚えました。

そして、noteである程度私の中で嘘はつきたくないと思える範囲で本当のことを提示したんです。顔出し、名前はカタカナですが、あと年齢。何より障害者であること。ここを出さなければ、私が書くような日常のことは、それこそリアルに立ち昇ってこないのではないかと、考えました。

結果、私自身かえって安心してやっています。選択は間違ってなかった。

でも、これは人によりけりですから、私独自の判断だと思って下さい。これを読んだ人が、顔出さないと、なんて思う必要はありません。


ネット上のイメージ。

ネット上で、相手ご本人を捉えるというよりは、ネット上だとイメージの世界ですね。会ったこともない、顔わからない、どんな話し方か、声か、どんな体付きか、わからないのです。むしろ、精神的かと思いますが。それも、文章力、文章のタイプ、どのジャンルに属するのか、どの問題を取り上げるのか、そして、今日という日の投稿はどんな様子なのか。そこが気になるところです。

それは、同じように私も見られているとおもうのです。

で、ここで問題。

ネット、リアルに関係なく、


人と人はわかりあえない。

という現実の上に成り立っているということです。これは悲観しているというわけではありません。ここがベースにあるからこそ、人は人を理解しようと努める。愕然とすることもあります。それは誤解されているときです。

誤解はネットではありがちで、そこでは自分も相手も責められないと、最近実感してます。

それにしても、「まなざし」という言葉は、やさしいですね。



私は東京への憧れが強く、上京しましたが、今思えば、最初から最後まで力が入っていて、私以上の私でがんばっていたのだと思います。そんな私でいると、生活に歪みが出てきて、不摂生やら、いろんなストレスや事件が起きて、結局、発症に至ったのです。

この時も、本当の私ってどこに?という課題がでて、地元へ戻って来たとおもうのです。

そんなことを繰り返してます。



ネット上の理解について。

ゆっくりでいいと思います。ゆっくり日々の思いを、綴って、何かしら変化があって、そうやって分かりあえていくのではないでしょうか。

ゆっくり、ゆっくり。

ていねいに。

そう、感じ取っています。

大丈夫です。

道は続いていきます。


今日もありがとうございます。

それではまた、お会いできますように。

ありがとうございました。


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