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『きんとうか』感想④ 松永司ルート

泣けるBLゲーム『きんとうか』のネタバレ有り感想です。
未プレイの方はアニメイトゲームスでDL販売を行っていますのでぜひご検討ください!ひと夏の優しいこの物語により多くの方が出会うことを、一ファンとして願っています。

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司ルートはとにかく泣くからティッシュ箱や水分補給を忘れるななど忠告がよくなされていますが、私は泣きすぎて疲れて仮眠を挟みました。手を止めてしまうような優しい”泣き”の要素に溢れているのが司ルート。

他のルートでも散々泣いているわけですが、とりわけ司ルートは”司と別れるための物語”という本筋があらわになった時から涙が止まらなかった。シクシク泣いた。颯太や幼馴染たち、島の人たちと丁寧にお別れをする司の姿に涙。

とにかく司は、彼のことを嫌うなんてよっぽど偏屈だろうと思えるほどの聖人。しかも陽気でノリも良い。人の欲しい言葉を与えることのできる特殊能力持ち(複雑な生育環境が原因だとは思うが……)で、寂しい颯太は司の与えてくれる優しさやぬくもりに魅せられ、次第に恋をしていく。
「俺にとって、司は完璧だ。優しくて、親切で、明るくて、正しい。虹のかかった月みたいな奇跡だ」
虹という単語は愁ルートでも度々出ましたね。愁が時折颯太へ向ける深い後悔を経ても愛を渇望する視線を『雨上がりの空に、虹を欲しがるように。』『失くしたものが、戻ってくる奇跡を願っている。』と颯太は例えていた。
颯太の好意を強めにたしなめていた司は、記憶を取り戻した後にも同じように止める。

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相手が正気でないことに感ずきながらも手を出すか否か葛藤する司、翌朝に後悔する司も含めて、彼の人間らしさが出ていて好きなシーン。この作品を通して司は聖人君子のような描かれ方をしているので、ちょっと駄目なところがわかるところが好きどころです。

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この押し問答が凄く好き。都志見先生のセンスが光りすぎ。都志見先生はテキスト量に制限のない媒体で思うがままに作品を作り続けてほしい、たとえばそう、18禁BLゲームとかさ……。


司と颯太の魂は繋がりあっており、片方が死したとしても一方の近い存在として生まれなおす予定だった。しかし司の逆おくりを行ってしまったことで、司は生まれなおすことができず現世に留め置かれてしまう。作中では名言されていないことではあるけれど、司の魂の器がない以上、緒の繋がりあった颯太を辿り、身体を分け与えられたのだと解釈した。一つの器に二つの魂があるため颯太の身体は耐えられないので(これは名言されている)、司を幽世へおくることになる。愁が吐いた髪の毛や赤ん坊の指は司の器となるものだったのだろうとか、颯太がしばしば神がかったような言動を行うのは司と繋がることで幽世の魂に影響されやすくなるせいなのかななどと、民族伝承系オカルトが大好きなので妄想は広がるばかりだった。ただこのゲームはそういった設定を余分に語らない潔さがあり、それはそれでライターの信念を感じて好きなんだよな。


とうとう司とお別れをするために悔いなく日々を過ごすターンに話が入る。終わりのある物語って悲しいわね。
司は他のルートのように颯太の記憶を奪うことを諦め「あんたを愛してる。俺の名前も、俺の体も、思い出も、全部、颯太にあげる」と全てを捧げることを誓う。恋や慕情というよりも信頼なんだろうな。颯太なら俺がいなくなっても生きていけそうだ、生きていてほしい。そして俺という存在を忘れないでほしい。という。

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この5人で遊ぶシーン、大好き。一生見れる。
話が前後して申し訳ないのですが、司ルートの前半は颯太と司が鬱々としたりすることも多いのですが、二人以外の話に場面転換をすると打って変わってギャグになるのが好き。渡利兄弟が、逢己の親類たちが、ここぞとばかりにボケとボケを重ねていくのに笑わされました。「こんな時くらいオタクは止めろ!」とか「禿を前提に話さないでください」とか。他のルートではいがみ合うこともあったのに、彼らの和気藹々としたやり取りに和んだ。宗定と透子のイベントからも、今後の逢己と渡利の関係は良いものになっていくだろうと示唆されているのが好き。


「自分を責めたりしなさんな。あんたを助けられて良かった。大好きだよ、恭ちゃん……」と恭を慰めるシーンは色々とくるものがあった。このゲームの根幹にある事件だから、司のこの言葉に恭や、その場にはいないけれど愁も宗定も、司を愛していた島の人も救われるんだよなあ。司は自分の人生を走り切っただけで恨んではいないんだよと、伝わるから。

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『この小さな島では、死んだ人は神様になって――』『生きている人と同じように、砂浜を、川を、山を歩いていると、信じられている。』『古臭く、閉鎖的な部分もある。問題がひとつもないわけじゃないけれど。』『ここには、不思議を受け入れて、感謝する、素朴なあたたかさが根付いている。』
恭ルートで垣間見える島の信仰のいびつさ、愁ルートでの島の信仰に家庭を壊された悲劇、宗定ルートの島の人々と信仰が密接にあるが故の不条理さ。それらマイナス面を描き切ってからの、”やっぱりいいもんよ”的な司ルートは彼の人柄のようでもある。


司の過去は壮絶すぎてなんだかなと言う感じだ。このゲームにはまともな親がいない毒親ゲーなのだが、彼らにも色々あったし人生辛く苦しいものなんですよ、とこれまでの3ルート全てで描き切ったので、司の母親にも借金のかたに娘を差し出した父親も一家心中を決めた父親も嫌うに嫌えない。司と同じ心境になった。辛いね。
「小さな子どもを不幸にしてばかりだった」という司の手を握った颯太(幼少期)は、彼の不幸な人生を洗い直し、本当の意味で孤独から救ったのだろう。だからこそ魂結びをしてしまうほどに、深く深く繋がった。司は人好きがして言葉も上手いからつい彼の孤独を忘れてしまうけれど、幼い颯太の行動がどれほど嬉しく、救いに見えたんだろう。

『きんとうか』が流れる一連のシーンも、ただ涙を流した。松永司という男の人生が終わってしまうことが惜しくて泣いた。でも人生の幸福度は人が決めるものではない、と愁ルートで学んでいたので悔しさを堪えることができた。長女だから我慢できたけど長女じゃなかったら我慢できなかった。

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恭ちゃんのこういうところ大好きなんだよな(涙)。

最後の司が振り返るシーン、時が過ぎても颯太の中では司がまだ色鮮やかに生きていて写真がなくても大丈夫だということを示唆していると思いました。ですが人によってとらえ方が様々にあって面白かったので、私も一応書いておこうかなと思ったワケ!人の解釈漁り、たまんねえな。

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共通ルートでのシーンですが、司の生い立ちを知るとこの言葉の重さが染みるわけですよ。司には弟はいなかったし、家族と心から楽しく暮らしたこともなかっただろう。それにしてもこの三人の組み合わせがとても好きで、一緒にスナックへ行ってお姐さん達に可愛がってもらう話とか、読みたかった。ドラマCDでもSSでも派生を待ってます。


きんとうか、あたたかく優しさに溢れている物語で自分の中でも大切な作品になりました。人が人に優しくしている作品が好きなんだ。孤独な人が孤独じゃなくなるのもいい。他にもそんなゲームがありましたら教えてください。

いつかネタバレ無しのレビューも書きたいと考えています!私自身もこのゲームを買う前にネタバレ無しレビューをいくつか拝見しましたのでネット検索数の一助になればと思います。それほどまでに多くの方にプレイしてほしい作品になりました。

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