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『俺が好きなら跪け』論 ~里つばめ先生のBがLする必然性~

 初めまして。
漫画をこよなく愛する一個人です。
雑食系ですので、面白ければ何でもOKな人です。
 が、しかし。
ここ何年か、大好きな先生がいます。
里つばめ先生。
BLですね、BL。
好きが高じて、支部で二次創作まで書いてしまっている始末。
そういうタイプでもなかったはずなのに。

 私はごく一般的な社会人です。
今年、業界の構造上の問題やらコロナの影響と反動やらで震えるほど忙しくて、殺伐とした日々を送っています。
ストレスの発散としての二次創作に費やす余力すらなく、悶々と過ごす何か月か。
仕事or研修orワークアウトor夜道をひたすら走る。
平日も休みも仕事かフィジカルな発散、こればっか。
でも、職場を一歩出たら誰とも喋りたくないモードになるので仕方ない。
 それが先日必要に駆られ、久々に飲みに行ったのですよ。
やっと居酒屋でお酒飲めるようになったじゃないですかTOKYO、ということで。
ちょっと事情があって別部署の20代の男の子とサシ飲み。
下手したら息子でもおかしくない年齢。
また非常にできる子なんですよ、その子は。
その上、自己肯定感も高くて、自信が満ち溢れていて、とても健全。
今後の人生も明るいと信じて、疑うこともないような。
彼はお酒を飲んで話しながら、終始キャンキャン吠えていました。
 で、私は気づいたらすっごく優しい気持ちでそれを見守っていました。
若いっていいな、眩しいなって思いながら。
かつての自分もそうだったなあ。
こうやって生意気に吠えまくっていた私を、あの時のオジサマたちは生あたたかく見逃してくれていたんだな、と今更になって気づいたりしながら。

 さて。                              こうやって人は感謝を覚えていくのですね。
という美談ではモチロンなく。
なぜか帰宅後、衝動的に松田くんのことを書きたくなりました。
しかも二次小説ではなくどちらかと言えば散文で、論文にならない程度で。
そして翌日も絶望的にド平日だというのに、深夜に書きなぐった文章。
後から読み返し、私すんごいストレスたまってるね!と気づいた良いきっかけでした。
 以降の章から、深夜のよく分からないエネルギーの産物を手直ししたものになります。
そのまま捨ておくのもな、と思いまして、ためしにnoteにあげさせていただきました。
里つばめ先生の『俺が好きなら跪け』について。
さらに、そこから発展して里先生のBがLする必然性について

これはきっと、ただのラブレターです。
あるいは一ファンとしての里先生へのオマージュ。
ただし、親切に作品の紹介をしているわけでもありません。
よって、里先生の作品を読まれていない方には何のことかさっぱり分からないと思うので、ご容赦ください。
長いし、ラブが過ぎてキモイかもしれませんが、興味がある方はお付き合いを。

『俺が好きなら跪け』について書く理由

 私、里先生が大好きで。
特に『DOGS』が好きです。
でも、『俺が好きなら跪け』も好き。
ならば、なぜ『DOGS』ではなく、『俺が好きなら』で何かを書きたいのかといえば。
この作品で、里先生の作品に対しての理解が少し進んだから。
加藤くん、松田くん、の人となりが比較的分かりやすいからです。

 28歳だそうですね、このおふたり。
もう少しだけ若いかと勝手に思ってました。
ちなみにDOGS組は29・30歳。
この1~2歳差のせいか、加藤くんと松田くんの方が揺らぎが見えやすい。
あるいはDOGS組は職業柄、揺らぎが見えにくいのかもしれませんが。
特に、斉藤さんに比べて加藤くんの中の揺らぎが窺われるのが、個人的にツボです。
デキる男の揺らぎ、弱さ、的なものを垣間見るって萌えるじゃないですか。
で、揺らぐから何という話ですが。
その揺らぎから、里先生の緻密な人物設定が見えてくるわけです。
でも、人物設定を話す前に、里先生を里先生たらしめている作品の構造について考えておきたいと思います。

曖昧さと強烈さの二重構造で煙に巻く

 里先生を語るとき、絶対に避けて通れないのはコンテクストの曖昧さについてですね。
それを形作っているのが、ほぼ主人公(おもに受け)の一人称視点で物語が進行する構造。
なのに、重要な部分になるとその主人公の心境すら語られなくなること。
つまり、ここぞという時、読み手が目の当たりにできるのは登場人物たちの「行動」と「発言(ただし、人は噓をつく生き物)」だけになるわけです。
結果、我々はうわーっと悶えて、何度も読み返さざるを得なくなる。
読み返して、その眼差しや手の表情が訴えるものを想像する、行為の意味を忖度する。
そうやって大切なことは全て読み手に委ねられるから、正解がなくなる。
…文芸映画なのか?
と思うような手法で、里先生は容赦なく我々に解釈を求めてきます。

 そして、里先生を語るのに重要な要素二つめ。
人間性のデフォルメ。
時に風刺画っぽさすら漂う時がある。
女の子の描写を見ているとよく分かりますね。
半袖ミニスカ巻き髪の“いわゆる”男好きしそうな女性陣。
自身がぱっとしないゆえに嫉妬深いモブキャラ銀行員の男性たちも同じ。
そういうデフォルメされた周囲の人々によって、物語の中に形作られる社会的文脈も当然偏りがちになる。
 さて、脇役の偏りもさることながら、さらに特出すべきデフォルメは、言うまでもなく主要登場人物のキャラの濃さ(例外は『俺を好きなど』のおふたり。常識人)。
かつ、どこかに強烈な凸凹がある人物像。
またその凸が突出しまくっている。
代表選手は『GAPS』の片桐さんですが、それ以外でもどうかと思うような人が満載(笑)
個人的には長谷川さんですら割と偏った人かもという印象です(目に見えるところだと性的な面に特化してですが。あの年齢で??みたいな)。
 受け側も客観的に見たらそれなりに強烈なのですが、それでも彼らの主観については読者にある程度明かされているので理解できます。
がしかし、問題は攻めの内面ですよね。
受け側の視点で見てしまうと、何の前触れもなく、いきなりキャラの濃い大男が襲ってくるわけですよ。
ホラーか(笑)
攻め視点では辻褄があう行動なのでしょうけれど、そちらの内面は全然見えてこない。
だから主人公とともに読み手の私たちは、ふぁ!?って呆気に取られてしまう。

 ちなみに私、『俺が好きなら』を初読みしたときは???でした。
ぼんやりと一読しただだけでは、何のことやら、だった。
だって、BL読むとき、「よっしゃ!解釈してやるぜ」って思って気合い入れます?
少なくとも私はリラックスタイムに読むので、そういうスタンスで臨むことはありません。
理解できなかったのは、加藤くんが松田くんに惹かれる理由が分からな過ぎたから。
よって、加藤くんの好き、にあまり共感できなかったとも言えます。
 そもそも、里先生作品では全般的に“好きの理由”が曖昧にしか開示されません。
というより、明確に言語化されることはほぼない。
恋愛をテーマとしたストーリーにおいて、肝心の恋愛のコアな部分が完全にぼやかされている
そういう重要な部分における曖昧なコンテクストの上に、デフォルメされた周囲の人々(とその反応)および各キャラのクセのあるパーソナリティが乗っかってくる二重構造で、読者は完全に煙に巻かれます。
 さらにそんな構造の上にあるのはやけにリアリティのあるお仕事の描写
何かもう、現実的なものと虚構的なもの、明確なものと曖昧なものが見事に混在していて平衡感覚が狂わされる
しかもその強弱のつけ方が、一般的なお作法と大分異なる。
結果、我々読者は「何故そうなった!」という突飛な印象を持つことになりがち。
もう、完全に里マジックに引っ掛かりまくり
ただ右往左往させられる。
 でも。
それなのに、何もかもがたまらなく魅力的だから厄介です。
その魅力が何から来るのかよく分からず、何度も読み返してしまう。
それはファンならば、皆様ある程度共感してくださる部分かと思います。
 また、中でも『DOGS』と『俺が好きなら』は特にハイコンテクスト。
それでもたくさんの人がハマってしまうわけですから、噛めば噛むほど美味しくなるスルメ的な魅力があるのだと思います。
よく分からないけど読み返しちゃう、を下支えしているのは私が最後に語りたい、緻密な人物造形、だと想像しています。
 ちなみに、そのハイコンテクストの中で比較的キャラ設定が見えやすい、というのは加藤くん松田くんの若さ(幼さの名残)ゆえ、なのかなと思っています。
あとは、加藤くん視点による松田くんとのエンカウントの振り返りが挿入されているから。
これはDOGSにはないサービス(DOGSのエンカウントのメモリーも読みたい…)。

 ちなみに、里先生はどうやってこの強烈な構造を発明したのでしょうか。
先生の初期の作品も好きですが、その頃はもう少しリアリズム寄りだったので、意図的な戦略だと思うのですが。
画風と共に変わってきた感じでしょうか。
 しかし、こんな表現方法の漫画って全ジャンルにおいて他にあります?
漫画というメディアの利点を最大限に生かした作風で、画期的な発明だと思って個人的にいつも感動しております。
あるいは私がそういう作風の他作品を手に取ってないだけなのかもしれませんが。
私にとって漫画は娯楽でしかないので、平積みしてある中で面白そうなものをポーンと買って読んでいるだけ。
ググったりしてマイナーな文芸系漫画等探したりはしないから、お目にかからないだけなのでしょうかね。

脱構築的に登場人物を見る。
および、それぞれの熱の在りか

 さて、一読目は???だったわけですが。
何度か読み返していくうちに、加藤くんが松田くんに引き付けられる理由が、個人的によく理解できるようになりました。
 では、最初はなぜそんなに理解できなかったのか。
これも多くのが同感してくれると思うのですが、松田くんの在りようのせいですよね。
彼、見てくれの良さと仕事ができる以外に何がいいのかイマイチよく分からないから。
もちろん太陽光のくだりなどは光る人間性を発揮していますが、それ以外のネガティブ評価を吹き飛ばす程のパワーはない。
だから私は「加藤くん、何で好きなん?」と途方に暮れてしまった。
でも、読み返すうちに気が付きました。
松田くんという人、について。
そして、その松田くんに惚れる加藤くんという人、について。

 里先生はこの作品の主役ふたりを似たようなスペックに設定されました。
客観的に見て、高学歴エリート、そのうえちゃんと仕事ができる、見かけも良い、同い年かつ同性のふたり。
漫画らしくて非常に素晴らしい。夢がある。
でも、このふたり、生きざまと内面は180度違います
けれど、結果的に外から見える実績や評価は似たようなもの。
まるで合わせ鏡のように存在している。

 では、そのふたりの違いは何なのだろうか?
まず、松田くんについて言及してみましょう。

 松田くんの内面のナラティブ。
そこからつながる松田くんの言動。
松田くんと関わる人たちの反応。
…これらが私たち読者に見えるもの。
結果、読み進めていくうちに、彼を“しょーもねー奴だな”と思ってしまいがち。
さらに女性へのスタンスや女癖の悪さも相まって、“イマイチどこがいいのか分からない”となる。
 でも、松田くんを見るときに、いったん、私たち読者の主観や穿った視点を棚上げしてみるとしましょう。
つまり、我々が作品の中から無意識に読み取っている社会的文脈や善悪の価値判断を全て取っ払って、松田くん、という人を見るとするなら…。
 実は彼はただ単に、自身の欲求に正直な人、のようにも思えてくる。
もっとキレイに表現すると、何にも縛られない魂の人、だったりする(ただし、魂の部分のアクが強め里先生風味)。
そういう視点で見ると、この子ってば、ここまで大した挫折もなく大きくなってきたのね、と優しい気持ちで見られるようになってくる。
若さ特有の自己愛が眩しくすら感じられたりして。
案外、その辺の若くで野心のあるギラギラした子の内面を実況中継したら、松田くんの思考と大差ないような気もしないでもない。
 彼はどんなに知性を身につけようと、いくら着飾ろうと、行動原理の中心にあるのはいつでも素直な自身の欲求なのです。
それに抗おうともせずに生きている。
 仕事で評価されたい、モテたい、お金も欲しい。
この手の欲求を隠さない即物的な人を見ると、ある一定数の日本人は眉を顰めるように感じます。
品がない、みたいな。
でもどちらかと言えば、評価されないよりはされた方がいいし、モテて、お金がたくさんあったらいいな、というのは割と一般的な志向性だと思うのですよね。
素直な松田くんですから、その辺はあっけらかんとしているようです(続編でも、自身の働く理由について、この手の発言をしていますね)。
とは言え、賢いから必要な時はちゃんと社会に迎合したフリもします。
ただし、魂までは売り渡さない。
本人は無意識でしょうけれど、自分に素直で、潔い生きざまです。
そして、どんなにクールなエリートっぽく振舞ったとしても、隠し切れない熱量がある。
 余談ですが、彼は自分に正直だから普段から自身の心身の声を聴けている人なのだと思います。
だから、身体も敏感、ですね。
性に対する抑圧もなさそう。
 そういう彼の生き方は、社会性の鎧でガチガチの大人から見れば、分別の足りない感情的なお子ちゃまに見えるのかもしれない。
でも、それが加藤くんにとっては眩しくてたまらないのだと思います。
物質的な豊かさは保証される一方で、敷かれたレールの上を歩かざるを得ない彼にとっては。

 一方で、その加藤くん。

 製薬会社の御曹司です。
彼もまた賢く、美丈夫で、人の羨むものを一通り持っている。
この格差社会の中で、きっと幸せに違いない上級国民であろうよ、と。
我々は無意識に自身の偏見という俎上で勝手に他者を判断してしまいがち。
でも今度は、加藤くんを見る私たちから先入観を全部取っ払ってしまおう。
 加藤くんも基本的には素直できれいな育ち方をした人に見えます。
けれど、それでも彼の中には多分に抑圧された部分がある。
 本人の視点から見てみれば。
生まれながらにして家業を継がねばならないと決められた重圧と不自由。
修行に出された銀行での、限られた期間でのご奉公。
どんなに頑張ったとしても、この場所で築き上げていく未来には行き止まりがある。
 最近、親ガチャという言葉が流行っていますが。
一見、親ガチャ一等賞で生まれたように見えたとしても、本人からしたらがんじがらめの人生、なのかもしれません。
 その上、社会に出てみたら同僚先輩から引かれる謎の区別のライン。
加藤の枕詞といえば『ボンボン』『御曹司』。
どうせ遠からず親の会社に戻る奴だと、何かと生あたたかい目で見られる日々。
でも、たとえそうだとしても、彼の業績は彼の優れた資質から成り立っているものであるのには変わりないのに。
 加藤くんは意思を持ったれっきとした一個人なはず。
でも、現実的な周囲の彼の扱いは“加藤製薬社長御令息の加藤くん”でしかない。
親の看板を背負っている上に、光る業績を残せば、「やっぱ違うよな。そういう教育受けてきたんだろ。いーよな、生まれながらに恵まれた奴は」というやっかみ。
ぼんやりしてれば「だからお気楽なボンボンは」という予定調和。
異性だって似たようなものでしょう。
あのデフォルメされた世界観の中で、加藤くん個人だけを見てくれる人はなかなか現れない。
 そんな中で、加藤くんは加藤くんなりの無力感を感じていたのではないでしょうか。
誰も自分の本質に目を向けてくれない世界で、いつしか加藤くんは人知れず自分を閉じていった。
他人に興味を持たず、期待もせずにいれば、これ以上失望せずに済む。
やるべきことを淡々とこなし、長い人生をやり過ごせばいい。
あの妙に冷めた感じ(特に仕事に対する)は、そういう諦念から来ているのだろうなと想像します。
平熱が低そうな感じとでも言いますか。
さらに言うなら、暖簾に腕押しなイメージ。
あれも加藤くんが銀行という世界で、少しでも面倒に巻き込まれずに生きていくためのクレバーな生存戦略とも言えそうですが。
でも、そういう性格の鎧だって、いつしか板についてしまえば本当の性格になってしまうかもしれない危うさを含んだもの。
おそらく入行して6~7年ですから、そこそこ年期が入ってきた鎧です。
 ゲーム好きなのも、ゲームの中なら何でも好きなものになれるから、かもしれない。
あるいは内なる衝動の表出しどころがゲームなのか(だとしたら切ない)。
それでも若くて賢くて優秀な彼の中にはきっと『熱』みたいなものがあって、どこかで眠っている。
でも、それを引き出してくれるものが取り巻く環境に、なかった。

 さて、そんな加藤くんはある日、松田くんと運命の出会いをします。
同期として、それより一個人として、いきなり強烈なライバル心をぶつけられてしまいます。
そこには枕詞など生ぬるいものは存在しない。

「加藤って加藤製薬の社長の息子ってホント?」
「社会見学に銀行入ったんだ。いい身分だなあ」

加藤くんは松田くんに声をかけられた瞬間に、てっきり恒例の質問をされるとばかり思い、うんざりとしていました。
でも違った。
意外な初対面での先制攻撃に、加藤くんの何かがひょいっと動かされてしまいます。
耐性がありませんから、揺らぎます。
ちょっと戸惑うような、嬉しいような。
そこから松田くんに対して興味関心が生じます。
有象無象でしかなかった同期の1人、が加藤くんの中で名前のあるリアルな存在として息づき始めます。

 さて。
その松田くんを意識して観察してみたら、たしかに仕事はできる奴のようだと分かった。
それだけでなく、闘争心丸出し(というか隠し切れない)で、強気で、野心家で、単純で、純粋で。
しかも俺をものすごく意識しているではないか(ただしライバルとして)。
よくわかんないけれど面白い奴だな、と思ったかもしれません。
 その松田くんと言えば、何にも縛られない魂の人、でしたね。
まるで平熱の低い加藤くんとは対極の様相です。
そして加藤くんは松田くんを観察するうちに見つけてしまった。
自身が出自によって失わざるを得なかった部分を、彼の中に。
それを一言で言うなら、思いのままに生きる自由、あたりでしょうか。
 だからそこには好意と羨望の相乱れた感情も生じていたかもしれません。
ざわつく感情によって、加藤くんはさらに松田くんを意識せざるを得なくなります。
 がしかし、もっと知りたくてプライベートにも目を向けてみたら(加藤、あえて興味もない合コンに行く、のくだり)。
噂には聞いていたけれど、本当に女癖も女の趣味も悪くて目も当てられない状況。
こいつデキる、と認め始めた相手のどうしようもない一面を目にして、ちょっぴりイラっとしてしまいます。
加藤くんは松田くんに「最悪だな」と言い残し、合コン会場を去ります。
 その帰り道、彼は何を考えたのでしょうね。
…せっかく、面白い奴を見つけたのにこれか。
つまらない女にばかり引っかかって、自分の価値を下げて。
だったら、俺のものにしてしまったらいいのではないか。
俺ならば、彼の美徳をそのままに大切にできるはず。
いや、俺のものにしてしまいたい。
 プロセスは想像するしかありませんが。
いつしか冷めた男の内側に、情熱の火が、小さく灯ります。
同期の顔すら覚えていない程に他者に関心を持てなかった彼が、同期の放った怒りのコーヒー攻撃から松田くんを守ります。
松田くんに注目してもらえるように、仕事に力を入れます。
 あれ?
松田くんのこととなると、頭で考えるより先に動ける自分がいる。
低い体温が、少しだけ上がる。
そしてついに、大きく心を動かされる出来事が起こります。

 物語の後半、一度だけ加藤くんが松田くんの仕事に難癖をつけたシーンがありました。
太陽光のくだりです(てか、この時の対象が太陽光発電というのも非常に象徴的。太陽は加藤くんにとって松田くんの熱量そのものでは。里先生がそこまで考えていたかは謎ですが)。
あれは強烈な嫉妬、ですよね。
羨望が高まりすぎて、普段は飄々と何考えているか分からないような彼が、思わず焚きつけられて感情的になった。
 あの時の松田くんは、個人の正義感というエゴだけを推進力に仕事に没頭していました。
全体の利益でなく、自身の感情のためだけに動く。
加藤くんにはそんな彼が心底眩しく見えたでしょう。
将来、会社を背負うべく育てられた彼には、絶対にできないことですから。
それどころか眩しすぎて、羨望は嫉妬にまで転化する。
それで、とっさに松田くんのしていることを否定してしまった。
たしかにたまらないよね、加藤くん。
自らが無意識にストッパーかけていること、目の前で堂々とやられちゃった日には。
ここで相手を否定しなかったら、自身の生き方自体を否定することになりかねない。
 でも、加藤の乱は自由な魂によりあっけなく打ち負かされてしまいます。
そりゃそうです。
熱量が違いますから。
 彼の難癖は言ってしまえば負け犬の遠吠え。
一方の松田くんは自身のリスクも、徒労になる可能性も、全部己の責任として背負っての覚悟の上の行動です。
ただの同期にあーだこーだ言われる筋合いはない。
加藤くんだって、悔しけば自分勝手に生きてみればいいだけの話です。

 そして。
加藤くんは容赦ないカウンターをくらいます。

「できることなんてない?誰も求めてない?」
「俺は俺のために仕事してんだよ」

松田くんのセリフ、しびれますね。
非常にセルフィッシュ。
それを隠そうともしないすがすがしさ。
結果的に、加藤くんは今まで以上に惚れ直させられてしまったという。
 ここに至ってもはや、加藤くんにとって松田くんは“憧れの人”に昇格してしまいましたね。
かつ恋心は、生涯隣にいて公私の苦楽を共にしてほしい人にまで昇華する。
何より、加藤くんの冷めた心に火を灯してくれる唯一無二の人
仕事でも、恋でも。
そりゃ跪きもするわけです。
彼のためならなんだってする。
この先、加藤くんは(内心では)、松田くんをあがめるように愛していくと思います。

斉藤さんと加藤くんの差異から考える。
~加藤くんの情熱の再生

 加藤くんと松田くん、初回の行為が“無理矢理”だったのも象徴的です。
その点を語る前に、ここでは同じハイコンテクストな作品の『DOGS』の斉藤さんと加藤くんを並べて違いを見てみましょう。
このふたりも非常に似た境遇に生まれているにも関わらず、全然違うから興味深い。

 生まれ順こそ異なれど、ふたりとも大層なお家柄の御曹司。
どちらも幼稚舎から高校まで持ち上がってそうですね(斉藤さんは大学は外部受験かな)。
仕事できる、眉目秀麗、文武両道。
非常にスペックは近いです。
アプローチが突然かつ強引なのまで同じ(学校で習うのか?笑)
でも、このふたりも内面が全然違う。
一言でいえば、抑圧のかかり具合が違う
その違いが初回の行為の違いに表れているように思います(考えすぎ?)。
 ここには、跡継ぎとして育てられているか否かが関係するのかもしれませんね(斉藤さんはお家騒動に巻き込まれましたが)。
アドラー的に見れば、長男と三男坊の立場の違いも重要。
 DOGS組は斉藤さんのアプローチ手法こそ強引だったけれど、最後の意思決定は矢島くんが下しました。
いわば、ちゃんと合意形成のもとに致したわけです。
ここが斉藤さんと加藤くんの大きな違い。
斉藤さんは歪みもあるしクセも強いけれど、普段からある程度発散できている人。
ああ見えて割と、松田くん側の内面に親和性がある人なのかもしれません。
 でも、低い平熱で生きてきた加藤くんは違います。
抑圧の塊のような部分を併せ持つ彼。
そういった意味では、同じ本気の恋だとしても、加藤くんの恋には多分に危うさがつきまといます。
結果的に加藤くんが松田くんを一方的に制圧する形になりました。
(この点については賛否があるのは承知ですが、好きな作品に善悪の概念を持ち込みたくないので、ここは客観的に見ることをご容赦ください。)
では、何でこうなったのか。

 これは翌日のシーンで明かされることですが、この時、実は加藤くんは松田くんのために土下座してきた後なのだと推察されます。
加藤くんが土下座する、という現象の意味ですが。
これ、私たちが何となく読んで感じているよりも重い意味を持つのだと思います。
ここではあえて積極的に社会的文脈を取り入れて、加藤くんを見るならば。
 もちろん、彼だって何も最初から同僚相手に土下座までは考えていなかったでしょう。
何とか説得して許してもらえればいい思い、まりかちゃんに会いに行った。
でも。
製薬会社の御曹司で、平熱の低い彼が、気づけば衝動的に動いていました。
 同僚の女の子に対しての土下座。
加藤くんにとって、将来的な自分の地位を考えたら本来避けるべき行動なはずです。
先々、どんな尾ひれがついた醜聞になるか分からない行為ですから(ましてや、相手はまりかちゃん。盛大な尾ひれがつきそうな予感(笑))。
でもこの時の加藤くんはそういう社会的なあれこれを押し退けて、個人的な感情を優先してしまった
松田くんを救おうと必死なあまり、とっさに頭より先に身体が動いた。
これはかつての加藤くんにはきっと、できなかったこと
 彼自身、そこまでして松田くんのピンチを救いたい己の必死さに驚いたかもしれません。
そして、自分にそうさせるのは松田くんに対する恋心だと痛いほど自覚したことでしょう。
 また、彼は同時に気づいたはずです。
「こうあるべき」と思っていたものを打ち負かす力が自分にあること。
自分の中にそういう熱がちゃんと存在していたという事実。

 松田くんは期せずして、加藤くんの中に抑え込まれていたものに完全に火をつけてしまいました。
それはずっと眠っていたけれど、閉じ込められ、ふつふつと蓄えられていた情熱。
土下座までした高揚感を引きずり、生まれたばかりの自己効力感を携えて、求めて止まない相手と対峙して。
弱った松田くんを前にし、ついに、一気に放出されてしまいます。
長年の抑圧から解放された瞬間でしょう。
結果あふれ出たのは、エロスもタナトスも全部が松田くんに向かう、創造的とも破壊的ともとれる衝動。
憧れの対象を制圧して、ひとつになる。
下手したら訴えられてもおかしくない行為。
でも、生き返るためにはそうせざるを得なかった。
 誰にも興味を持てなかった自分の中に突然、入り込んできてしまった人。
彼は同期で、同性で、似たところがたくさんあった。
まるで合わせ鏡のような存在。
それでいて、今までの自分が選択できなかった人生を体現している相手
そんな憧れの人を取り込む・取り込まれる。
加藤くんにとってそれを願う相手は、松田くん、でしかなかった
 そう深読みすると、これは非常に狂おしい行為にも見えてきます。
加藤くんはこの行為を起点にして、長らく失っていた体温を取り戻していくのではないでしょうか。
襲われた松田くんはたまったものではないでしょうけれど。

 蛇足になりますが、加藤くんの放出する負にも正にも極まったエネルギーを受け止めるには、松田くんくらいエネルギー値が高く、かつ健全な対象でなければ難しいように個人的には思います。
加藤くんは単純に物理的に身体も大きいし、頭も良いし、元からエネルギーの低い人というわけでもないはずです(テニスも強いのでしたね)。
 そして、以下は行為の翌朝の加藤発言。

「お前はもう逃げられないんだよ 諦めろ」
「なんてな」

 はい。
彼、真っ黒な吹き出しのあとで、「なんてな」なんてかわいらしくお茶を濁してますが。
松田くんがガチでビビっている表情を見て、それとなく話を逸らしただけ。
どうフォローすれど、これは200%の本音にしか見えません。
そう受け止めてこれ以降の加藤くんの言動を見ると、ちょっと凄味がある。
たっかい時計を買い与えそうになるのも、新章においての、微笑みながらの「金払うけど」発言も全然ユーモアに見えない(褒め言葉)。
 ここで再度、斉藤さんと比べさせていただきますが、同じ“本気の好き”でも加藤くんの好きの方が確実に湿度が高い(どちらがいいとか悪いではなく、どちらも素晴らしい(笑))。
執着と言えば聞こえがいいが、加藤くんの場合、いささかジメっとした執念にすら感じなくもない。
なのに、湿度の高さに反比例して、ストーリー展開は明らかにライト。
こういうところもおそらく意図的なのだろうなと勝手に思っております。
 元の話に戻ると、加藤くんの鬱屈としたエネルギーを恋愛感情として偏りのある相手にぶつけたら、ふたりしてネガティブな方に転がりかねない。
互いを傷つけあうような依存的な関係に陥りそうな匂いすらする。
そういった意味で、加藤くんという人物が松田くんに照準を合わせたのは、彼のメンタルの根っこの健全さでもあり、さらに言えば里先生の感覚の健全さだと感じます。

 それにしても、この展開は主人公が同性同士だからこそのどうしようもない感なのではないだろうかと思いつつ。
それこそがBLならではの醍醐味でもあるわけで。
もう、ここについて語る言葉はこれ以上ないので、これ以上は黙ります。

里先生を好きな理由。
~愛の二重構造と必然性

 むやみに、なっがい文章になってきましたが。
最初にお話ししたように私は漫画が大好き。
あしたのジョーもスラムダンクもJOJOも進撃も鬼滅も東リベもチェンソーマンも。
ガラスの仮面もハッピーマニアもあさきゆめみしもタラレバも薔薇王の葬列も、全然書ききれないくらい。
ジャンルは関係なく、面白ければ何でも読む派です。
現実でも虚構でも、他者の物語を喰らって生きているきらいがある。
 でも、ちゃんと共感できるもの、読んで私なりに意義を感じるもの、が好きです。
で、BLも好きなのですけれど、個人的に意義を感じられるものを探すのが難しいジャンルに思えてなりません…。
名作はあらかた読んでしまって、サーベイして、これはと思って買ってみても、何だかな、と思う方が正直多い(あくまで私の感想です)。
まあ、それでもたまにキラッキラのマスターピースが埋まっていて、その不確変な感じがギャンブルっぽくて、懲りずに手を出してしまうのですが。
そんな中で、里先生は大好きな作家さんの一人で、ハズレがない!

 私が里先生の作品に惹かれてしまう理由を書くならば。
男が男に惚れることにちゃんと必然性があるから。
BLというジャンルの旨味をしっかりと活かした作品だから。

これに尽きます。
 何の葛藤もなく、当たり前のように自然にBがLしてしまわない。
なんかいい、とか、かわいい、とかボヤっとした理由じゃない。
里先生の作品の場合、「この人でなければ」という「唯一無二」の対象がたまたま同性だっただけだとちゃんと納得できる。
 恋の前にまず尊敬や憧れといった、相手へのポジティブな感情がベースに存在しているのが里先生作品。
そこに、ラブが乗っかってくる二重構造。

ゆえに、ラブが重くなりがち(笑)
 『GAPS』のサブタイトルで「hanker」ってありますね。
これが里先生作品を象徴する言葉だと思います。
何かに対して強い情熱を抱くこと。
全体を通して一貫しているクールな作風の裏に隠された熱。
ここにも重要な二重構造が。
私たちは決して言語化されることのない隠されたこの熱を、言葉でなく感覚として受け取ってしまうのです。
でも、見えないから悶える!この目に、耳に、見せてほしい、ってなる!!

 はい、興奮して話がそれました。
元の話題に戻ると、加藤くんの凹を埋めてくれる人は松田くんだった。
斉藤さんにとっては矢島くん。
そりゃ唯一無二だから、手を出すときは不退転の覚悟で臨みます。
上手くいかなければ、憧れの対象もラブの対象も一気に失いかねない。
さらに、相手はゲイでもないわけで。
失敗は許されないし、若干の狂気を含んでの出陣となります。
ガンガンにドーパミンがドライブしていそうなので、対象側は結構怖いと思います。
でも、その分、向けられた想いの本気度は伝わっているのではないだろうか(その辺の主人公の温度感も特に語られないですね。里先生、ニクイ)。
だから、葛藤しつつも受け入れちゃう。
その葛藤もね、描かれない。
でも、受け入れる側もすんごく考えていると思う、我々読者の見えないところで。
 そして、そんなにまで欲した相手だからこそ。
攻め側はいったん手に入れたら最後。
絶対離したくないから執着もすれば、何かあれば身を挺してでも助ける。
ただの恋じゃない。
トキメキ+あなたの生き方に惚れた!ってこと。
めっちゃ純愛。
すてきです。スキ。

里先生作品の構造を支えるもの。
転じて、読者を惹きつけて止まないもの

 こうやって書いていると改めて気づくのですが、こんな緻密な人物造形とカップルを考える里先生にはホントに、尊敬、の一言。
しかも、一見分かりづらいじゃないですか、その特性の凸凹具合や互いのそれが交わっていく感じが。
作風はあくまでライトですし。
でも、ここまで緻密に造形をしているから、最低限の情報量でのストーリーでも魅力も味わいもある!
 ハチャメチャに見えるけれど破綻しないのは、登場人物にはみんな一貫性があって、体温が感じられるから。
あるいは、このくらいしっかりとした人物造形を舞台に乗せれば、彼らは勝手にいきいきと動きだすのかもしれません。
 さらに当然、物語も緻密に作られているとは思います。
しかし、緻密に造形しているからこそ、緻密に書き込んでいきたい衝動に駆られる人の方が多い気がするのですが、それをしない里先生の偉大さよ。
がっつり作りこんだものを、推敲段階でバッサバッサと切り捨て、あえてあそこまでスカスカにして提供するから、私たちはうわーっとなって、ふあっ!として、惹きつけられて止まないのでしょう。

 それにしても正直、ここまでハイコンテクストだとある程度は読み手を選ぶと思います。
理解できない人には全然理解できない可能性も秘めている。
また、解釈や読後の感想も読み手によって大幅に変わりそう。
ここまで私の受け取り方を書いてきましたが、それだって全然見当違いかもしれない。
でも、私たち読者は限りない解釈の自由を与えられているとも言える。
ホントある意味、文学的ですらある(でも、そんなそぶりも一切見せないぱっと見ライトな作風)。
そういう答えのないミステリアスなところが魅力なのですが、読み手を選別するという意味では松田くんと同様、里先生も非常に潔くあられる。
批判されることを恐れない強い作家魂。

 ちなみに、里先生っておいくつなのか、個人的に非常に興味があります。
登場人物毎のライフステージでの生きざまや悩みや葛藤がリアルで納得できるし、共感できる(私は登場人物の年齢はひととおり通り過ぎてきているので)。
もし、そこそこお若くてここまで書かれているならば、ものすごく博識で、かつ、鋭く人を観察している方なのだろうなと想像します。
里先生自体も、ほとんど個人情報を出されていないですよね。
作品と同様奥ゆかしく、興味をかきたてられてしまいます。

最後に

 長くなりました。
もしかしてここまで読んでくれた人がいたとしたら、ありがとう。
感謝します。

 結局、何が言いたいかといえば、里先生好きです、ってことです。
どうしても吐き出したかった。
キモくてごめんなさい。

 今、続編連載中で嬉しい日々ですね。
このあと、恋に落ちた松田くんがどう変わっていくか。
彼みたいな人に、自分以外にも大切な人ができてしまったらどうなるか。
 個人的には結構変わっていくんじゃないかな、と思っています。
今まで広がっていなかった方向へ、みずみずしい細胞がどんどん分裂していきそう。
興味津々です。
是非、恋の成就したその先まで描いてほしい魅力的なカップルです。
里先生。

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