「郊外(jiāowài)」と「郊外(コウガイ)」

「『住在郊外』は『弥留之际的他生龙活虎』と同じくらいおかしい。」
「『住在郊外』なんて言ったら、『一个正常人居然说自己住野外』って思われる。」

 まったく目から鱗。
 小学館『日中辞典』『中日辞典』で、日本語と中国語の「郊外」を調べてみると「コウガイ」⟺「jiāowài」と、二つの「郊外」がまるで完全に置き換え可能のように翻訳されてでてくるし、自分自身、この二つはずっと同じ概念だと信じ込んでいた。しかし、この二つの「郊外」、実際は似て非なるものらしい。

「郊外(コウガイ」)

 まず、日本語では「郊外(コウガイ)」をどう定義、理解しているのか。日本の国語辞典で調べると「郊外(コウガイ)」とは「都市部周辺の田園地帯」を指し、大概の辞書で定義はほぼ同じい。「田園地帯」という言葉は辞書に見出語としては見出せないものの、「田園」には田畑が広がる長閑な場所という理解と、おそらくそこからの派生で「田舎」の意味があるようで、そうなると「郊外(コウガイ)」とはつまり都市部のゴミゴミした市街地から離れ、草木、田畑の占める割合が増え、人気(ヒトケ)がなくなってくる辺りをいうらしい。但し、必ずしも人がいないとは言っていない。田園調布だってそうではないか(違うか)。
 ただ、私の理解としては以下の順で人気(ヒトケ)がなくなり、さらに個人的には「郊外(コウガイ)」は「工場地帯」〜「田園地帯」の間という認識。
 ・商業地やオフィス街(メガバンクの支店やATMの置かれている地域)
 ↓
 ・住宅地(小規模スーパーがあるベッドタウンなど)
 ↓
 ・工場地帯
 ↓
 ・イオンモールが遠くから一眼でわかるくらいどーんと聳える地域
 ↓
 ・田園地帯
 ↓
 ・農村
 ↓
 ・高速道路を走る時にしかみない場所(木が鬱蒼と生い茂り田畑すらない地域)

「郊外(jiāowài)」

 では、中国語の「郊外(jiāowài)」はというと、友人の話やネットの情報に拠れば、都市部周辺にある人里離れた場所のことを指す、というところまでは「郊外(コウガイ)」とさして変わらない。但しその中でも「郊外(jiāowài)」は「荒郊野外」の位置付けらしく、仙人にでもなるつもりかお主はと思わせるくらいの野外感のため、そこに普通は人が住み着くことはないらしい。
 勿論、人っ子一人いないというのはどのような土地でも有り得ないことで、色んな事情や趣味嗜好で「え!こんなところに!」という土地に住み着く人もいる。そういう人たちを除けば誰も住まない土地、それが「郊外(jiāowài)」らしい。

 ちなみに「郊外(jiāowài)」は「农村」とはまた違うらしい。『クラウン中日・日中辞典』によると「农村」は「城市」の対義語で、「乡村」と同義語。
 「城市」は『现代汉语规范词典』に拠ると「人口集中,居民以非农业人口为主,工商业比较发达的地区。是一定地域范围内的政治、经济、文化中心。」とあり、今でいうところの「地方行政庁舎」である「城」とその周囲に住まう人々の生活の場である「市」を合わせた概念であり、やはり農民中心の「农村」とは対をなしているらしい。そして「郊外(jiāowài)」はその「城市」の際々の端っこにあるという位置付けらしく、従って「农村」と「郊外(jiāowài)」は混同されない異なる概念ということがわかる。
 赵本山のドラマ「乡村爱情」はまさに農村が舞台で、鋤鍬を肩にかけながら耕作に向かう村人と電動スクーターに跨った村人が「上哪儿去?」「上城里一趟」などとやりとりする場面をみても、「城(市)」と「(乡)村」は概念上も意識上も別なんだと実感できる。
 つまり、「郊外(jiāowài)」は「城市」の文字通り末席を占める存在であっても都市部扱いはされず、かと言ってそのさらに外にある農村とも区別される、どっちつかずというか、どっちでもないというか、そういう変な立ち位置にあるらしい。

「郊区」、「城区」、「市区」

 中国語には「郊外(jiāowài)」の外に「郊区」という言い方もある。例によって『现代汉语规范词典』をみると、「“郊外”着眼于自然地理;“郊区”着眼于行政区别」とある。
 行政区画としての「郊区」は「城区」や「市区」と区別される概念。対比される「市区」の「①行政区划单位“市”所辖的区域,包括城区和郊区。②特指城区。」という定義にすこし頭痛がするが、①の定義でとると撞着するため、②の定義でここは理解し「市区」≒「城区」とする。
 「城区」は街の中心部というくらいの意味のようなので、つまり市街地たる「城区」に対し、近郊を「郊区」というらしい。よく中国人も「上东郊区买菜去」とかいうので、街の少し外れくらいの意味で「郊区」を使っているものと思われる(真偽不明)。
 「郊外(jiāowài)」の話に戻ると、行政区画としての「郊区」に対して、自然地理条件に着目する場合を「郊外(jiāowài)」というらしいので、見た目に「わあ!未開拓!」と感じるところが「郊外(jiāowài)」という理解でいいのだろうか。笑

「郊外(コウガイ)」と「郊外(jiāowài)」

 それでイメージされる「郊外(jiāowài)」は、市街地「城区」の外れである「郊区」から「农村」に向かうまでの途中で通過する、都市部でも農村部でもない中間地域を謂うのだろうか。中国で汽車に何時間も揺られながら、カップ麺すすりつつ、ふと窓外の荒野にポツポツと並ぶ墓地が目に入ってきたときの感じを思い出す。
 あの光景が所謂「郊外(jiāowài)」なのかは知らないが、日本語なら「高速道路を走る時にしかみない場所」かと思っていたものの、少しイメージがずれる。緑が多く、地面が露出して茶褐色にみえる土地といえば海岸(あるいは砂丘)か禿山くらいの日本では、中国の汽車からみるあの荒涼とした風景はみられない。勿論、中国の「郊外(jiāowài)」が必ずしもあの荒涼感を伴うとも限らないだろうけれども…。

現代日本人の「郊外(コウガイ)」

 ただ、日本語の「郊外(コウガイ)」自体も昔と較べて意味に変化が生じているようで、Google画像検索で「郊外」と検索すると「田園地帯」の画像など一つもでてこない。出てくるのはそれこそ田園調布のような「緑があってぇ、公園があってぇ、空気が綺麗でぇ」みたいな閑静な住宅街の写真ばかり。これは「郊外(コウガイ)」ではなく「近郊(キンコウ)」と呼ぶのが正しいのでは。どうかしたら「ビル群と郊外住宅」という対比をしているサイトもあるくらいで、この書き方では「郊外(コウガイ)」と「『戸建』住宅地」とを同意義で捉えているのではないかとすら思える。集合住宅やマンションではなく戸建を莫迦みたいに沢山建てられるくらい土地が余っている、とでも言いたいのだろうか。と思いきや「郊外住宅」のタイトルで「閑静な場所に建つマンション」の画像が出てきたりもする。
 こういう誤謬が起こるのも、そもそも国土が小さく人口過密な日本には人が住まない、あるいは住めない土地の方が少ないからなのではないかと思える。そんな国情に「郊外」という言葉を無理に当てはめること自体が、少なくとも現代日本では無理なのではないか知らん。

2022.04.24 編輯