あの日を今年も迎えて。
みなさんこんにちは。あの日からもう11年のも月日が経ちました。
あの時、被災地に住んでいた震災の経験者として、思うことを書き連ねようかなと思います。
よろしければご一読ください。
1.あの時
あの日、私は岩手県の沿岸部に住んでいた。
みなさんご存じの通り、11年前に災禍に襲われた場所である。
私は学校を終え、帰る準備をしている頃に地震に襲われた。
今までの地震と違う。長いし、なんだかゆらゆらしている。3年前(岩手宮城内陸地震)の時と何かが違う。そんな違和感を覚えながらも、幼き私はあの地震が再来したのだと思った。最大震度を栗原で観測し、それが報道されていたこともあったかもしれない。
先生の誘導の元校庭に避難し、家族の迎えで帰宅。
幸いなことに学校・自宅共に高台にあり、海が直接見える場所ではなかったことに加え、テレビは停電でつかずラジオでは何を言っているのか分からなかったため、幼き私は事の重大さを分かっていなかった。
余震と停電と避難を呼びかけ続ける防災広報にただただおびえていた。
その後も家からは出してもらえず、何もわからないまま時を過ごした。
私が地震の被害を知ったのは、3日後だった。
親が持ってきた新聞の写真に、唖然とした。
見慣れた街が、瓦礫に消えていた。
そこには、津波に飲まれた田老の街が載っていた。
建物はすべて壊れ、道路のアスファルトは無かった。
田老だとわかるものは、かろうじて残っていたローソンの看板しかなかった。
私の頭は混乱に襲われていた。どうして、なんでこうなってしまったのと。
その時初めて津波というものを知った。
そして、初めて被災地の現実を見た。
その後私は、買い物のため街に出るなどで被災地の現状をこの目で見ることになった。見慣れた街は瓦礫と化し、日常は消え去り、人々の生活があったことすら想像できないほどだった。
私は被災者では無く、そこまで大きな被害を受けたわけではないが、この時の経験は未だに私の短い人生の中で一番大きな出来事になっている。
2.11年経って
あの時から11年が過ぎた。
今や小中学生にとって、震災とは経験したものではなく学ぶものになっているという。
世間の中でも、震災に対する意識が下がり、少しながらも風化し始めているように感じられる。
ある程度月日が経った以上、風化は致し方ないのかもしれない。
しかし、まだ11年しか経っていないし、復興もまだまだ道半ばである。
福島の避難指示区域には、未だに日常が壊れた様子がそのまま残っている。
東日本大震災は決して遠い出来事ではない。
私は今年も、そして今後も、祈りを捧げていきたい。
令和4年3月11日 奥羽
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