言葉にできない感覚に寄り添いたい
”クオリア”という言葉を最近知った。
言葉にできない、自分の中に存在する感覚のこと、らしい。
「言葉に縛られる」感覚をときどき覚える。
”言葉”は、人と人の間、何かと人の間を行き来し、
何かに気付いたり、感じたり、想いを伝えたりできる、めっちゃくちゃ大切なもの。
それがときどき、邪魔になる。
上手に説明をしよう、上手に伝えようって、努力をしてきて、
頭の中に湧いて出てきた、形にならない”何か”を、頑張って頑張って覚えてきた言葉という形に変えて、世界へ吐露する。
前よりもいっぱい話せるようになった!
人とたくさんの言葉を交わせるようになった!
すっごく嬉しくて、前よりも断然、人と話すことが好きだ。
それがときどき、違和感を覚える。
僕の頭の中に湧き出てくる”何か”は、誰かに対して説明できなくちゃいけないものではない。
子どもの頃、時間も忘れて虫と話したり、森を歩いたり、星を見たりして感じた、
”言葉にできない”感覚は誰しもがあるはず。
社会に出て、人に会って、言葉を交わし、
「僕」を存在させるために、たくさんの言葉が必要になって、説明するようになったけど、
言葉におさまらない感覚や自分自身を、無理矢理言葉に押し込めるのではなく、
あえて言葉にせずに宙ぶらりんにする。
それは、社会的には綺麗ではないかも。
だけど、自分の内側に存在するその感覚は、ありのままのまーーるく光る原石だ。
自分のことを言葉で説明できるようになってきて、嬉しい。
嬉しいけど、ぼくはぼくの知っている言葉で説明できるような人間じゃない。
そして、世界を美しく感じた感覚を言葉に当てはめたときに感じる違和感は、世界に存在する神秘さが言葉におさまるようなものではないと思っているから。
そんな、言葉にできない感覚をただただ”感じる”とか、
なんか説明できないけどこんな感じっていう、
自分の内側に生まれ出てくる素直な感覚に寄り添うことも大切にしていきたい。
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