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ムカつく事ないと書けないわ

自分の善意に首を絞められる。

良かれと思ってやっていた事が、
相手にとってそれを私が行う事が当たり前になってしまい衝突が起こる時がやってくる。
このとき私が思うことは、
真っ先に「やらなければその人にとって当たり前では無かったのに、
私が善意を振りまいたせいでこうなった。
両者ともにこんな思いをするくらいならやらなければ良かった」

根底には、初め私は好きでやっていたけど、それが相手にとって当たり前になられると
気に食わないという事だ。
最初は好きでやっていてもやって行くうちに
「責任感」や「義務感」は発生していく。
それを好きだからやれるでしょ?楽しいんでしょ?で片付けられてしまうと、
どうにも腹が立つ。

人の思考は時が経てば変化していくもので
そんな事を一から伝えなければならないくらいなら、
人と分かり合うことも、
人と深い関係性を築き上げる自信が無くなる。

何より一番の問題は
私にとって、私の行う事に自信がなくなる。
それが一番困る。
その人にとっての当たり前だという姿勢や態度や言動が、
私の善意を傷付けて、自信を失わせる。
それをして当たり前な程度の私、
それまで頑張って来た私、
その過程に至るまでの私、
優しい思いの私、
全ての私がその言動で傷付けられる。

その結果、善意を人に向ける勇気のようなものがすり減る。
善意を向けて献身的に尽くしてそれを言われると、
もう自分は何をしていたのか、
自分の行ったことは何だったのか。
そんな思いが溢れて、とても不快になる。
相手には悪気がない、それが余計にキツく、
馬鹿馬鹿しくなる。

こういうとき、自分の心が狭いのかとも思うのだけれど、
それを言い出したら私の言い分の味方は誰もいなくなってしまう。
要は捉え方だとも人は言うけれど、
捉え方を工夫出来るようになるにはまだしばらく時間がかかりそうだ。

やっぱり私、調子がいいと何も書く気が起こらない。
書きたいという衝動の根底は、
排泄したいというその一心でしかなく。
崇高な理由など何も無い。

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