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小6に4年間作文を教えた理系大学生が「読解力」と「マーケティング」について考えてみた。

読解力には二種類ある

「登場人物の気持ちが俺にはわからないんですけど、分かると何か役に立つんですか?」

去年の小6の生徒から生まれたパンチラインだ。当時の私は咄嗟に

「人の気持ちがわからないとモテないぞー」

だかなんだか言ったような気がする。小学生にもわかりやすく、我ながら悪くない回答だという自負がある。
なぜなら、私自身物語文や小説文の登場人物の心情が分かるようになるべきである理由は「共感力を高める」ことにあると考えているからである。
(女子の愚痴に共感してあげられる男はモテるだろう。うん、間違ってないな。)

この生徒は説明文•論説文の点数は悪くないが、物語文•小説文の読解が苦手だった。

最近では、
説明文•論説文を読み解く力(以降論理的読解力)物語文•小説文を読み解く力(以降文学的読解力)に差があるケースが少なくない。

特に算数の応用問題が解ける子は、文学的読解力はないが、論理的読解力の素養を感じることがよくある。

少し注意しておきたいのは、論理的読解は形式的な法則を見つけてキーワードだけ読み取っていくというような方法が取られがちなことである。もちろんこの方法は問題を解くだけなら有効な手段であることに間違いはない。

ただ、ここで私が言っている読解力は文章と文章、段落と段落、文と文、単語と単語の関係性(特に因果関係)を正しく把握する能力である。

この論理的読解力は非常に重要な能力である。

例えば、筆者の主張とそこに至る理由を区別できない人は先程の私の
「文学的読解は共感力を高める」という話に対して
「俺は共感力あるはずなのにモテないぞ!!」といった批判をぶつけるのだ。

皆さんお分かりとは思うがあえて言おう、「そこではない」と。

近年騒がれている「ネット炎上」という言葉があるが、「本人が伝えようと意図していない部分」で炎上しているケースも少なくない。
これは論理的読解力に欠けた人たちが伝えたいことの本質を見失っていることによるものが大きい。
そのせいで本来主張を伝える場であるはずのメディアが粗探しの場になってしまっており、「主張すること自体がリスク」という風潮になってしまっているのも由々しき事態だ。


読解力とマーケティング

ここまでは論理的読解力を身につけないことのリスクについて書いたが、ここからは私の考える「読解力」と「マーケティング」の関係性について書いていこうと思う。

まず、皆さんはマーケティングについてどれだけわかっているだろうか?
マーケティングは現在ではビジネスに欠かせないものになっており、その素養となるのは「課題解決力」「論理的思考力」だと言われている。

内実、私自身もまだまだマーケティング初心者だが、この記事を通して主張することで有識者からの反応がもらえたら、新たな視点を学べたら、あわよくばコネができたら、などという打算もあって書いている部分が、ある(笑)

因みに、マーケティングについて少しでも知りたい方は森岡毅氏の「USJを劇的に変えたたった1つの考え方」という著書をはじめに読んでいただきたい。本当に読みやすく、内容も、事例からマーケティングの本質、理論、実践まで知ることができる良著である。(マーケティングに興味ない人でも、社会に出る上でどんな心持ちが必要かとかの指針になる本だから、本当にオススメ!貸してって言われれば貸すよ!)

さて、これまでの知識を踏まえて、初学の私なりに考えるマーケティングとは「商品、商材がターゲットに購入される必然性を作り上げる行為」である。

この必然性を作り上げる上で重要な過程の一つが
「商品を購入する理由(Why)を深掘りすること」 
である。
これはまさに購入という「目的(主張)とその理由の因果関係を正しく読み解くこと」
つまりは「論理的読解」に他ならない。

これだけでも読解力がマーケティングにおいてどれだけ重要かおわかりいただけただろう。

しかし、「だったらマーケティングに大切なのは論理的読解力であって、結局文学的読解力じゃないということか!」と言われてしまいそうなので、以降で文学的読解力の必要性についても書いていこうと思う。

実際に、現在一般的には論理的読解力が重視されるようになっている傾向がある。
2022年度から教育課程が改訂され、高校生の国語において、論理国語、文学国語、古典探求、国語表現といった科目から選択制が取られるようになったのだ。
先に書いたように、一般的にはマーケティングに必要な素養も「論理的思考力」(≒「論理的読解力」)だと言われている。


しかし、これに対して私は「文学的読解力」もマーケティング、ひいてはビジネスにおいて重要な能力であると言いたい。

では、どのような場面で生かされるのだろうか?

それに対する私の答えの一つは、マーケティングにおいてWhyの深掘りに引けを取らないほど重要な「顧客理解(ペルソナ分析)」において生かされているというものだ。

マーケティングにおいて、すべての人に等しく必要とされるモノや価値を生み出すことは不可能だと考えられており、それをやってもマーケティングは成功しない。
すき焼きを食べたい人とカレーを食べたい人がいる場合はどちらをターゲットにするか決定することが大切で、カレーすき焼きを作ることで満たされる人はいないのと同様だ。

それだけ「ターゲットを決定すること、そのターゲットを分析すること」はマーケティングにおいて重要なことである。

ここで、初めに書いたように私は文学的読解力共感力であると定義づけている。

ターゲット分析において、せっかく論理的に正しいターゲットを決められたとしても、その人物像が鮮明でなければその先のWhyを深ぼることなど到底できないのだ。
この「人物像を鮮明にする力」「共感力」ひいては「文学的読解力」なのではないだろうか。

つまり、マーケティングを行うことを穴掘りで例えるならば、
論理的読解力とは、「目的やターゲット(掘る位置や方向)を決めてWhy深掘る力」であり、その穴を充分深めるためには
文学的読解力つまり「ターゲットと同じ気持ちになり、より深く掘るためのスコップ」が必要だということなのではないだろうか。

これを踏まえて、改めてこの記事のスタートである、
「登場人物の気持ちが俺にはわからないんですけど、分かると何か役に立つんですか?」

という疑問に対して、ここまで正しく読んでくれた方にだけわかるように今一度答えるならば、

「素手で穴掘りするよりスコップで掘る方がいいでしょう」

と言いたい。この質問をくれた生徒に10年後に会って「あの時はモテるとか言ったけど本当はね〜」とかいう話ができたらいいなあ。

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