母が倒れた件が私に与えた影響についての考察

自分以外の人がどうなのかは分からないが、私の場合は『死』について考えない日はない。

きっかけは多分、実母が倒れたことだと思う。


倒れた当日のことは、昨日のことのように鮮明に覚えている。2017年1月、少し混乱した様子の祖父から私の携帯に電話があり、姉と共に急いで病院へ向かった。職場から救急車で運ばれたことと、会話が出来ないらしいとの祖父からの情報。

会話が出来ない?昨夜電話で話したけど?

重症の貧血とか?と思ったが、事態は予想をはるかに超えて深刻だった。

病院に着くと、すでに親戚が数人到着していて、断片的な情報が与えられる。詳しくはわからないが、どうやら命に関わる問題であるということだけは確かなようだ。

しかし母は当時まだ56歳。そんなに歳ってわけでもない。むしろテレビショッピングでしょっちゅう健康食品を買っては試していたような健康オタク。何があったのか。

救命のエリアに通され、我々と母との間はカーテン1枚で隔てられていた。が、会うことは出来ない。聞こえてくる音だけでも、逼迫した状況が伝わってくる。

医師から我々に端的に状況が伝えられた。倒れた原因はおそらくくも膜下出血であろうということ。瞳孔不同があり状況はかなり深刻であるということ。そして、助かるかは不明であり、少なくともこのままでは確実に助からないということ。

素人の私には、「くも膜下出血」という言葉だけで破壊力は十分だった。頭が真っ白になり、それ以降の話はほとんど耳に入ってこなかった。

それって助からない病気の代名詞みたいなものでは?

そんな中で、「手術をするか決めてください」と。手術しても助かるかは分からない。ただし、手術をしなければ100%助からない。手術中に亡くなるかもしれないし、手術前の検査中に亡くなるかもしれない。そしてそれは誰にも分からないという旨の説明あり。

我々には手術をしない選択肢はなかったので、すごい速度で山のような合意書に署名をしていった。署名はいくらでもしますので、とにかく急いで手術をしてください、とお願いする。

手術室に向かうところで母に面会することが出来た。意識は無かったが、その時の母の顔を見て「大丈夫だ」と根拠のない自信を持ったことを憶えている。

長い手術に耐え、その後も手術に次ぐ手術。計3回もの手術に耐えた。

その後は「良くて植物状態です」という医師の診断を跳ね返し、(意識がないはずなのに)気管を切開して呼吸器をつけると聞けば自立呼吸を始め、麻酔を切ると(かなり時間はかかったが)意識を取り戻した。

リハビリを通して少し機能も回復し、波はありながらも、調子が良ければこちらの質問の対して頷くことができるようになった。

しかし流石に後遺症は大きく、会話したり自分一人で歩いたり食べ物を飲み込んだりすることは出来ない。

それでも倒れた時の状況から考えれば驚異的なことだしありがたいことだと感じる。

医師によれば、昔に受けた脳腫瘍による放射線治療などが、時を経て脳に悪影響を及ぼしたのではないかとのことだった。当時はそんなこと想定もできなかっただろうからどうしようもない。母も、再び開頭手術をすることになろうとは夢にも思わなかったことだろう。

今は介護施設でリハビリを受けながら生活をしている。コロナが発生する前までは、我々も面会に行ってはリハビリを手伝ったりしていたが、今はそれができず心苦しい。通院に連れていく時のみ堂々と会うことが出来る状況になっている。

そんなこんなで母が命の危機に直面した経験から、命には必ず終わりがあり期限があることを強く意識させられたのである。


人生はいわばカウントダウンだ。

今この瞬間も、1秒ごとに与えられた時間は減っている。

それをどのくらいの人が意識しているのだろうか。そんなことを考える意味もないのかもしれないし、いちいち考えていたら疲れてしまいそうだと自分でも思うが、考えずにはいられない。目下の悩みの種である。それはやはり死に対する恐怖に起因しているのかもしれない。死という存在が私の中で常に幅を利かせている。幅を利かせ過ぎて、昨年子どもが産まれたことに対しても、この子に終わりの始まりを与えてしまったのかもしれないと思う事もあるほどである。

生きるに与えられた時間は至極短く、地球の歴史に比べたら瞬きをしている間くらいのものだろう。結局、生きている時間以外の時間があまりに圧倒的なのである。そう考えれば、恐怖も少しは和らぐだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?