忘れてしまってもいい思い出
友達でも大事な人でもなく、特別なこともなかったのに、繰り返し確認したいことがある。
彼が間違いなく存在していたこと。誰かが思い出さないと、彼じゃなく、私が寂しい。彼はわたしよりきっと真面目に将来を考えて勉強したり、真面目に誰かを好きになったりしていたはずだ。
たくさんあったはずの未来が突然奪われてしまって、まだ完成し切れていない人格があって、これから出逢うはずだったたくさんの人に認知されないまま消える。
理不尽すぎる。
だから、なんにも関係ないわたしひとりくらい彼をずっと忘れないでいたい。
高3のときクラスメイトの男の子が死んだ
1年生の時から同じクラス。でも少ししか話したことはない。真面目で頭がよくて優等生だけどとても地味。話題に上がることはぜんぜんない子だった。
3年生になって、中国語の授業で隣同士になった。苗字を中国語読みになおして呼び合いましょう。
原色のスーツを着た先生がいった。彼はジャンパン、私はシンなんとか。ニーハオジャンパン。ウォシーリーベンレン。
私も、きっと彼も恥ずかしくて、小さい声で話した。
新聞記者が教室にきた。彼はどんな子だった?クラスの男の子たちに聞きまわっていた。今考えれば不法侵入だったのだろう。噂はあっという間に広がった。
家に帰り、テレビをつけたら、ジャンパンがカヌーの事故で亡くなったというローカルニュースをやっていた。ほんの何秒かのニュース。転覆したという浜辺は、映像ではとても穏やかだった。
なに、ジャンパン、じみなくせして、学校休んでカヌーとかしてんの、
なんでこんなはやくしぬの?
ジャンパンのご両親の意向で同級生はみんなジャンパンの顔を見にいった
ジャンパンの顔はいつもの顔ではなかった
私の父と同じく海でしばらく漂流したのだろう。彼の顔は腫れ上がり、いつものジャンパンではなかった。
顔を見るまで、辛かった。もちろん、見ても辛いのだけど、顔を見ることは大事だ。区切りを少しだけつけられる。顔を見ないといつまでもきれいなだけの存在になってしまう。
ジャンパン、て呼んだの、たぶんわたしだけだよ。
それから20年ちょっとが経ち、わたしはいろんなことを楽しみ、忘れ、失くしながらも生きてきた。
友達でもなんでもなかった、彼のことは、たまに思い出す。あなたは、ジャンパンです。原色スーツの先生がいったとき、響きが面白くて笑ってしまった。ジャンパンだって。
こんなとるに足らない思い出を忘れないように、たまにこころから取り出す。
高校生で終わってしまった彼の人生を、ただの隣の席というだけでなにも知らない私が、彼がいた、ということだけは憶えておかなければいけなくて、またこころに大事に仕舞う。
忘れてしまってもいい思い出、でも彼を忘れてしまったら、わたしの中のなにかが同時に終わってしまう、きっと。
誰かに話すようなことでもないから、ここに書き留めておくことができてよかったです。
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