飲み会を主催してみた。~後日談~
今回は無事ゼミの飲み会を主催できたので、そこで実際に感じたことについて書いていこうと思う。
前回の記事をお読みになってない方は、是非一度読んでいただけると嬉しいです ↓
さて、前回ゼミの飲み会をビクビクしながら主催した僕であったが、やってみた率直な感想としては、「疲れたし怖いことはあったけど、経験してみて良かったな」という感じだ。
いや、ほんとに大変ではあった。何しろ今まで自分が主体的に動いてこなかったので、
・選んだ店に飲み放題のメニューがないにもかかわらず、飲み放題を提案して突っ込まれたり
・同級生を一人だけライングループに招待し忘れたり
・最初は男子だけの予定だったのに結局女子も呼ぶことになったり
と、とにかくぐだぐだしてしまった。特に飲み放題を提案して「その店、飲み放題なくない?」と突っ込まれたときは、
『ああ、今絶対、「こいつから誘ってきたくせにこんなことも知らねーの?イきんなよ」って思われた、、、できないやつだって思われた、、、もう終わりだ、、、』という絶望的な気分になったものだ。
しかし、飲み会が終わった後にみんなから言われた言葉は、一様に感謝の言葉だった。
「飲み会開いてくれてありがとう!」
「幹事ありがとな!」
月並みな感想だが、この言葉を聞いたとき、「あぁ、やってみてよかったな」と思った。
それに、「意外とみんな人の失敗を気にしていないのかも知れない」と思えたのは良かった。とにかく人前では失敗したくない、いい格好したいとずっと思ってきたのだが、周りがそこまで気にしていないのなら、過度に失敗を恐れる必要もないのではないかと気づくことができた。
まあ「周りが気にしているか、気にしていないか」を基準にしている時点で根本的な解決には至っていない気がするが、とりあえず今はこれでいいと思う。
さて、今回の飲み会の目的である、「同級生と親睦を深める」と言うことに関しては、正直達成したとは言えない。これには僕のある性質が原因となっていると思う。
僕は幼少期から、学力や運動と言った学校内で重要視される指標において、平均よりも能力が高かった。そのため人生の大半を、周りの人間を見下しながら生きてきたのだ。
そんな僕はまるで山月記の李徴子のように、”臆病な自尊心と尊大な羞恥心”を順調に育てていってしまった。
しかし年齢を重ねるにつれて、学力や運動能力よりも、”人となり”や”人格”というものが重要視されるようになる。そして僕は徐々に気づき始めたのだ。
「あれ、もしかして俺って人付き合い苦手なんじゃね?」と。
なんでも自分が一番でなきゃ気が済まないし、周りのやつが面白いことを言っても「ふん、俺の方がもっと面白いことが言えるし」と常に斜に構えているのが中学、高校時代の僕だった。
とにかく周りより上にいないと、と思いながら過ごしてきたので、未だに”対等な立場で仲良くする”という、普通の人なら当たり前にできるであろう事が僕には難しいのだ。
長年自分の中で大きく育ててしまった自尊心と羞恥心は簡単には消えてはくれない。こればっかりは時間をかけて解決するしかないと思っている。最も解決できるのかは分からないが。
しかし、まあ何はともあれ飲み会は無事?に成功したと思う。色々と心労、苦労はあったが、「意外とやればできる」ということに気づくことができた。周りから見たらなんてことない事だろうが、僕からすれば大きな一歩だ。この経験が何らかの糧になれば良いなと思いながら、今日はこの辺でやめておこうと思う。
ここまで読んでくれた方、ありがとうございました。
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