インド料理屋と対峙するわたし

年末なので、なんも気負わないでnoteを書いてみたい。

というか、noteに記事を書くこと自体の、自分の中のハードルを著しく下げてみたかった。前々から。

だから、インド料理屋に行く前から出る時までの、わたしの脳内対話をここに垂れ流してみたい。

まずインドカレーを食べようと思うとき、真っ先に自分の中でクリアにしておかなければならないのは、

「日本人にウケるように進化を遂げて、もはや日本化している、ふわふわデカナンに甘〜いバターチキンカレーのあるお店」に行きたいのか。

それとも「日本人の好みに媚びずに、本国の味を守っている老舗もしくは本場な人々に愛される店」に行きたいのか。

今日は「日本化したインドカレー」を欲しているのだ。と何度も何度も自分の欲望の求める先を確認した後、次は店の佇まいを観察する。

まず名乗りが「インド料理」なのか「インド・ネパール料理」なのか「パキスタン料理」なのか。

大抵「インド料理」と名乗るお店が多いのだけど、「インド・ネパール料理」と書かれていたら大抵ネパール人シェフなので「正直だな」とネパール人の同僚や友人たちの物腰の柔らかい感を思い出して勝手に好感を持ち、インドと書かずに「パキスタン料理」と名乗ってたら、パキスタン人としての矜持を粋に感じて「いいぞいいぞ」と好感を持ったりする。

「インド料理」と名乗っていても、メニューにモモがあったらネパールの方が居るなと、独りごちる。

あと「インド料理」と名乗りながら、タイ料理も出しているお店には絶対に入らないというマイルールがある。

名乗りを確認した後は、店頭メニューの写真を見つめる。ナンの大きさ、種類、サフランライスがつきそうか。今私が欲しているカレーがメニューにあるか。

パラク・パニール(チーズ入りほうれん草カレー)はあるのか、バターチキンはあるのか、海老カレーはあるか、それはケララとかの辛くないやつか、辛いやつか、ザブジ(野菜カレー)の具は何か、ダール(豆カレー)の豆は何か。

カレー1種だと飽きるので、カレーを2種か3種選べるターリーがあるか。店前のメニューじとっと睨む(※睨まなくても、大抵ある)。

店前でそんな眼を光らせていると「1人でインドカレー屋に入ることを迷っている日本人女性」みたいな佇まいになってしまうので、大抵、店の中から「ドゾー、オヒトリサマ、開いてますヨー」と声をかけられてしまう。

その日入ったお店では、1人客用のカウンター席に案内されて「わぁ、もう既に日本の都会のオフィスビル感あるわ」と静かに驚く。

おしぼりと、お冷と日替わりメニューを受け取りながら、自分の斜め後ろ45度らへんに、静かにオーダーを待機してる、南アジア出身と思しき従業員さんの視線を感じ、その静かで丁寧で「わきまえた」感のある接客に「ここは日本だ」と再認識する。

にも関わらず、南アジア某国で元駐在員だった自分の習性上、なぜか南アジア出身と思しき方をお見かけすると英語で話そうとしてしまう無意識の心づもりが抜けていない。

なので、片言の日本語でオーダーをとってくれる従業員さんに(おおおおお、、、日本語でオーダーとってくれるんですか!? そうですよね、日本にお務めなんですもんね。あああ、ありがとうございます)みたいな心の声を叫びながら、リスペクトを込めて、ゆっくり日本語でメニューを頼ませてもらう。

作りおいてあるカレーを注いでもらい、タンドールで焼いてもらうナンは、あっという間にできるので、吉野家みたいなスピードで出てくるターリーに「はぁ早。オーダーしてから作るんじゃないんだもんね。。(遠い目)」と感心しながら、お料理の佇まいを見つめる。

日本化インドカレーの醍醐味は、なんと言ってもふわふわデカナンで、ナンの上にチロっと塗られたギーの照りを見つめてかぐ。

で、このナンの出来たての温度・食感と美味しさが、非常に強い相関関係にあるので、このふわナンが美味しいうちにナンを食べきることが主軸になる(サフランライスがついていたら迷わず後回しにする)。

まず、かりふわナンだけを一口食べて「ああ〜甘いな〜。おやつパンみたいな味。現地比較だとちょっと甘すぎるし、ふわふわすぎる。これ日本でしか食べられないのだよな〜」としみじみ。そこからは目下、カレーとの組み合わせを楽しむ。

この日選んだのは、日本化インドカレーの定番バターチキンと、トマトベースで酸味と辛さがある海老カレーと、キーマの3種。

バターチキンは、安定の「ザ・日本人ウケするべく作ってます」感のある、バターとクリームのコクと甘さいっぱいの味。そうそう、この味。この味を海外のインドカレー屋で探そうと思うと、コクが足りなかったり、辛かったり、深みが足りなかったり、悪戦苦闘するのだよね。。でも、海外でスパイスの深みがバターのコクに負けないバターチキンに出会ってしまうと、日本のバターチキンはバター感がスパイスに勝ってしまっているなと思う。「でも、これでよいのだ。これを求めて来たのだ」と黙々と食べる。

次の辛い海老カレーは、トマトべースなので一気に(駐在時の)懐かしさが来る。「そう、トマトベースのスパイスカレーって、この酸味と旨味と甘みが堪らないよね。うんうん」「生姜も入ってたら、あのカレーに近くなるな」「クミンとコリアンダーシード、どちらの香りが強く出ているか」とか、また独りごちて、黙々と食べる。

3つ目のキーマは「あ、これは、、、めちゃローカルな味のやつだ(遠い目)」という感じで、チキンカレーと海老カレーのように贅沢じゃない、普段の食事用の素朴な材料で作られたカレー。「キーマ、こっちだったか、、」「日本化インドカレーを求めて来てたから、あの日本人に分かりやすくウケるザ・美味しいスパイスキーマカレー、を期待しちゃってたから落胆があるよ。。。」と思いながら粛々と食べる。

もうこの「普段のカレー」感のあるキーマは駐在員時代にさんざん食べ尽くしていて、出張先のホテルの朝食で逃げられないカレー尽くし(※ホテルのランクによっては洋風や中華風な朝食オプションも充実します)がフラバして、「ああーカレー以外のものが食べたい。カレーばかりは毎日食べられないよ」というあのリアルな感覚がまざまざと蘇ってきてしまった。

このフラバが出てしまうと「あんなにカレー疲れしていたのに、日本でもインドカレー屋に入る我が神経、如何」みたいな我に返った感から逃れられず。粛々と完食を目指して行くことになる。

食後に頼んだラッシーは無難で、牛乳臭さはないけれどヨーグルト割合の薄いサラサラした感じ。日本なら普通のクオリティなのかもだけど「あの国の旧市街のモスクの裏の、あのヨーグルト濃い〜ラッシーには勝てん...というかアレが飲みたい。。」と謎のマウントを静かにかけて郷愁とともに店を後に。

コロナ対策のためか、フェンネルとカラフルなお砂糖のお口直しはレジ横になかった。

以上の会話が、一語も発さずに脳内で展開されており、自分の脳内会話量にぐったり疲れて、午後の会社に向かう。