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『妻は他人』を読んだ

妻の蕪ちゃんに借りて、さわぐちけいすけさんの『妻は他人―だから夫婦はおもしろい』を読んだ。
読んだ感想は、「だよねー」。

基本的に、我々(私と蕪ちゃん)の夫婦生活に似ている。馴れ初めも、同棲→結婚の流れも、夫婦生活における価値観も、かなり似ている。
だからこそ、「うちらに似ている夫婦っているんだ」という親近感と嬉しさはあれど、「すごい夫婦だ!こんな夫婦いいな!」とか、「これが『結婚の極意』(帯より)か!」とか、「そんな考え方があるのか!」みたいなのは、ゼロであった。

なので、「好みの絵で、自分たちに似た夫婦の日常をゆるーく読めるマンガ」として最高だったのだけれど、これが上記のように「特別な夫婦」みたいな形で売り出され受け入れられているとしたら、それはちょっとイヤだなあ、という複雑な感想になってしまった。

「妻は他人」。
私にとっては、そしておそらく蕪ちゃんにとっても、これは当たり前すぎる。多分作者のさわぐちさんにとってもそうなんじゃないかなあ。これを驚かれること自体が驚きというか。「りんごは果物」みたいな感じ。
夫/妻/夫婦たるもの斯くあるべき、なんてものはない。なぜ結婚(入籍)したか、とい言えば、制度的にそのほうが良さそうだったから。家事はしたいほうがするし、家計は割り勘だし、実家には別々に帰る(私はそもそも実家が離散しているのでないけど)し、寝室も別々。
私は4月からニートの日々を満喫しているので収入ゼロだけど、蕪ちゃんは何も言わない。というか、「すばらしい!」とか言ってる。
この状態が「普通」「当たり前」と思っているので、これに対して「理解があっていいね」とか「価値観が合うんだね」とか「いい相手を見つけたね」とか言われても、「まぁそうとも言えるかもしれんが、そうじゃなければ夫婦になってないのでは」と思うし、「二人が特別」「私はしたくても相手が許してくれない」とか言われても、「じゃあなんで夫婦になった/なろうとしてるんすか」としか思わない。

それを敢えて(おそらく世の中への違和感をこめて)漫画にしたさわぐちさんはすごいと思う。そして、世間に受け入れられる巧いバランスで、自分たちのことを出してるな、とも思う。共感と驚きのちょうどいいバランス。世間と離れすぎると、読者はついてこれない。普通過ぎると、誰も読まない。そのバランスが巧い。

「本来の結婚」というエピソードに、さわぐちさんの持つ結婚のイメージと、さわぐちさんの知人がもつ結婚のイメージが対比されるシーンがある。
さわぐちさんの知人(=一般論)のイメージでは、

素敵な男性と知り合う→ロマンチックな告白→ラブロマンス→素敵なプロポーズ→結婚→最高のハネムーン→幸せな結婚生活→出産→賑やかで幸せな家族

『妻は他人』p.84

一方のさわぐちさんのイメージは、

役所「へい!そこのお兄さん!この紙で契約を結べば限定一人、自分で選んだ人と家族になれる制度があるよ!

『妻は他人』p.85

私は明らかに後者に近い。そして、この「家族になれる制度」というのもドライに認識していて、「緊急連絡先にできる」「配偶者控除がある」「生命保険の受取人にできる(保険入ってないけど)」「一枚の住民票に載って楽」みたいな、制度面でしか認識していない。
「家族になれる制度」というか、「家族という制度」と思っている節がある。

上に作者の知人(=一般的な)結婚のイメージを書いたけど、ちなみにネットで「結婚 流れ」とかで検索すると、大体↓のような感じのものが出てくる。(太字は上と重複するもの)

  1. プロポーズ

  2. お互いの両親に報告・挨拶

  3. 婚約指輪と婚約記念品の購入

  4. 両家顔合わせ・結納

  5. 入籍と結婚式の時期を決める

  6. 結婚指輪の購入

  7. 新婚旅行先や新居の決定

  8. 会社の同僚や友人に結婚の報告

  9. 結婚式の詳細を決定する

  10. 新婚旅行の計画を立てる

  11. 入籍

  12. 結婚式

  13. ハネムーン

なんじゃこりゃ。こんなことするわけなかろう。しかもこれは、あくまでプロポーズ後の流れである。
ちなみに、私の蕪ちゃんの場合はどうだったかというと、こんな感じ。

  1. 同棲1年

  2. 婚姻届けをもらっておいて取り敢えず埋めておく

  3. 休みが重なったので提出、入籍

  4. お互いの両親に報告

  5. 両家顔合わせ

以上。

両家顔合わせは別にする気はなかったのだけど、両家の親が挨拶ぐらいはしておきたいというので開催したという感じ。
プロポーズもないし、結婚指輪もないし、結婚式もハネムーンもない。
でも、別にいらんよね?と二人で話した結果がこれだし、結婚するのは我々なので、結果こうなった。
「普通はこうする」とか、「○○するべき」とか、「世間的には~」とかは一切考慮していない。どうでもいい。どうでもいいし、自分たちがしたいようにするのが結婚する際の誠意だろう、とも思う。

まぁ昔は、結婚は個人間のものというよりも家間のものという側面が強かったと思うので、それに則った形式で行われたのは仕方がない面もあると思うが、今はもう令和なのに、今でも「普通」に拘っている人たちを見ると、本当に不思議に思う。
なんで指輪あげたの?何かプレゼントしたいのはわからなくないけど、じゃあなぜ指輪?相手は指輪好きなの?
結婚式はなんで上げたの?あげたかったの?なんでクリスチャンじゃないのにチャペルなの?なんなの?

とまあ、普段からこんな感じで我々夫婦は生きているので、『妻は他人』も「だよなー」と思い同志がいることに嬉しくなると同時に、これが「特別」とされる状態、どうにかならんかなーと思ったのでした。

さわぐちけいすけさんの絵、とても好きです。

おわり。

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