生真面目なアウトロー

なんか相反するような感じだけど、これオレの生きてきた事を考えるとこれなんだよなぁ。

物心ついた頃から内気で世間の目を気にしながら生きていた。

なのに何故かやる事は常識とズレてた。

両親大好き、親戚大好きだったけど、おかしなところで怒りのスイッチが入る子供だった。(今も変わってない感じ)

覚えてないけど、母親がオレを怒らせたら、包丁持って母親を殺してやるーって追いかけたって聞かされた。

それ以来、母親は、あなたは絶対怒ってはダメ、腹がたってもガマンしなさいって言われ続けてた。

そんなこんなで、小5の頃から勉強に目覚め、中学受験を目指す事になる。

もともと宿題が大嫌いなのもあり(正直宿題をやった記憶がない)、宿題せずに受験勉強を1日5〜6時間やってた。

すると担任が気に食わなかったのか、他の生徒と差別をされるようになる。

前から順番に答えを言っていくのに、オレを飛ばして後ろの生徒に答えさせる日が続く。

授業だけじゃなく、掃除をサボってる担任のお気に入りに注意をし、喧嘩になると、サボってた奴じゃなく、オレの頬を叩いた。

なんて理不尽なんだとその時つくづく思う。

他には、名前を呼ばずに「例外」ってあだ名をつけて、オレを呼ぶ時は「例外」これやりなさいとか、とにかく差別し続けた。

そしてオレは登校拒否児になる。
勉強は、5年生だけど、6年生の勉強してたので、テストはほぼ90点以上だったが、学校へ行かなくなって勉強もやめてしまった。

だから受験もせずに、そのまま地元の中学へ通う事になる。

中学最初の登校時に、姉がグレてたせいで、学校指定の制服なのにズボンが太すぎるって、校門で捕まる。

足が細かったので当然ズボンの幅に余裕があるが、学校指定のズボンだとタグを見せると渋々通っていいと言われた。

この流れはやっぱ、非行に走るパターンだけど、感覚のズレてるオレは、勉強こそほとんどしなかったが、父の仕事の影響で、フルートと声楽とピアノを習ってたので非行には直ぐは走らなかった。

そうそう小学校の頃は毎週日曜日にヨットスクールに通ってた。
当時広島の大会で2位になった事もある。
だけど中学になり通わなくなった。

中学ではバスケ部に入るが、練習にはほとんど出ず帰宅してた。
2年に上がる前にレギュラーになりたくて3ヶ月くらい毎朝1人で朝練をしてた。
朝練のおかげで無事レギュラーになれたが、初めての試合で長身長の相手に何も出来ず、悔しい思いと共にバスケを辞めた。

やりたいと思った事はすぐ始めるが、諦めがいいのか飽き性なのか、何事も長くは続かなかった。

*後日続きを書きます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?