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本当だった17歳の地図

尾崎豊の記事を見つけました。

なぜ今なのかなと思ったら、

☝️でした。これは残すために書いとかないといけない。

この記事を読みながら想い馳せてました。細かいことは記事を読んでいただくとして、彼が紡いだ歌詞はもう古いと言われます。

盗んだバイクで走り出す

100円玉で買えるぬくもり

『15の夜』から

バイクは盗んだらあかんやろ。
100円で今は缶コーヒーは買えぬ。

その通りですね、時代は変わってる。

でも言葉だけを見て短絡的に言ってないかその言葉。

言葉が生まれた背景とその時代に生きた人の心をはかった上で言ってるかその言葉。

音楽ってただ歌詞に曲をつけてるわけではないです。生まれた音楽全てに生まれるべく動機があって、その動機を見つけた人がそれを音楽という形に変えることができる。

だから音楽を作った人のオリジナルにみんな興味を持つし、音楽を志す人は持つべきです。

たしかに今には今の十七歳の地図がある。でも今の十七歳の地図ってなんだ?

誰にも理解されず居場所を求めて試行錯誤してるのは昔も今も同じじゃないのか?だったら彼が紡いだ音楽に込められたメッセージの中にも普遍性のあるものがあるんじゃないのか?

このアルバム発売時はそんなことなどお構いなしで、自分の境遇に彼の歌を重ね、彼の歌に自分の境遇を重ねましたが、いろいろなことを考えさせられたおかげで感受性豊かな心を持てたと確信しています。

たった十七歳にして稀なる感性を持っていた尾崎豊。彼が歩く道を自然と目で追って楽しみにしてましたが、残念ながらそれは続きませんでした。

彼が自らの命を断つ瞬間に何を思ってたのかは彼のみぞ知るですが、自分ならそのとき何を思うか。

いつも考えることではないけれど、忘れることはできない。

あ〜少し熱い口調になってしまいました。

彼が描いた十七歳の地図は、当時だけでなく未来に向けても本当の地図だったに違いないと思っています。

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