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鶴見中尉殿の出自と尾形百之助の祝福

マンガ「ゴールデンカムイ」を完結まで読んだファンによる感想、考察、捏造、妄想です。
公式には一切関係ありません。
ネタバレにご注意ください。


*出典、引用 

野田サトル「ゴールデンカムイ」ヤングジャンプ 集英社


野田サトル ゴールデンカムイ公式ファンブック「探求者たちの記録」 ヤングジャンプコミックス 集英社


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鶴見中尉殿が大好きです。
魅力溢れる情報将校「鶴見篤四郎」について本編で気になった点があり調べてみました。
すると尾形百之助に繋がるヒントがあったので、そのあたりをまとめた備忘録的ノートです。
こじつけが強いので解釈違いの方申し訳ありません。

【生年月日】

質問箱の解答により鶴見中尉はキロランケとほぼ同い年であることが分かります。
キロランケの生年月日は1866年8月2日と明記されているので
鶴見中尉も同じく1866年生まれだと思います。

鶴見中尉は 1866年12月25日生まれ。

杉元とアシリパの出会いが1907年なので
ストーリー登場時は40才ないし41才と考えられます。


尾形は宇佐美登場時に
杉元達〈 尾形〈 宇佐美〈 インカ(ラ)マッ達
とありましたので

杉元が20才で徴兵、3年で満期除隊、その後24才で北海道へ、と仮定すると
杉元は1907年で24才。→1883年生まれ

宇佐美は原作225話のなかで、1895年時点で14才と明記されています。→1881年生まれ

杉元と宇佐美の間に生まれたので
尾形百之助は 1882年1月22日生まれ と推測されます。




【出身地】

鶴見中尉は新潟県、長岡藩と作中で語られています。

この頃の長岡藩といえばまさに戊辰戦争。
徳川家処罰反対の立場をとった長岡藩は1868年(篤四郎2才)
奥羽越列藩同盟を決定、同盟軍側(東軍)として長州藩・薩摩藩を中心とする維新政府軍(西軍)に抗戦し敗北しています。

辺見ちゃん編で登場する鰊御殿でピアノを弾いていましたね。
「私の家も多少裕福だった時期がありまして……」

277話で、奥田中将が
「越後長岡の名門士族の出であり、北越戦争では酷い目にあったと聞いている、薩摩も長州も憎いのだろ」
と語ります。

(北越戦争は上記の戊辰戦争のひとつ、1868年長岡を中心に攻防を展開した戦い)

2才から始まった戦争……裕福だったのは過去。
……心に来るものがありますね……。


尾形は東京出身ですが、母の実家がある茨城で育ちます。
茨城はかつての水戸藩。
水戸と薩長の関係は「水戸学」というものがありました。
ややこしいので簡単に説明すると、水戸の思想と精神が吉田松陰が育てた志士が中心となる長州、西郷隆盛が主導する薩摩に伝播し明治維新が成し遂げられた歴史があります。
つまり時代の魁だったのです。

しかし水戸は徳川御三家でもあり、徳川につくか薩長につくか藩論が真っ二つに。
藩論統一と財政難を克服することができず、幕末政局で主導権を握ることは叶いませんでした。

水戸の人間はかなり悔しい思いをしたわけですね。
尾形の母方の祖母が娘(トメ)と孫(百之助)を茨城の実家に呼んだのには、幸次郎が薩摩の男だったのも関係するのではないかと思います。


【妾と戸籍】

やはりゴールデンカムイは名前に意味を込める、意味をもたせる漫画だと信じているので
「鶴見篤四郎」と「長谷川幸一」について考えました。

四郎は四男を連想させ、幸一は長男を連想させるような気がします。

なぜ長谷川幸一という名前が生まれたのでしょうか?

本編で月島が
「たしか鶴見少尉殿の母君の旧姓もハセガワでは?」
「新潟の墓参りにお供した時に…」
という発言があり、鶴見中尉の母君の旧姓が長谷川であると判明。
長谷川の出所はこれで確定ですね。

……? なぜ母君は「鶴見」ではなく旧姓「長谷川」で墓に入っているのでしょうか?
夫婦ではない?

他にも父と母で姓が異なる人物が作中にいますよね。
そう、尾形百之助です。

尾形の母トメは妾であり、花沢の家には入っていません。

尾形をヒントに考えると鶴見中尉は妾の子である可能性を感じます。

鶴見家では篤四郎、四男、四人目であり、
長谷川家では幸一、長男、または一人っ子なのではないでしょうか。

そこで、明治時代の戸籍について調べてみました。

壬申(みずのえ)戸籍と呼ばれるものがこちらです。

江戸時代、武士は家の跡を継がせる男子をもうけるため公認で妾を作ったが、庶民は公的には許されていなかった。しかし、現実には富裕層の庶民も密かに妾を持っていた。武士は妾の子供に家督を継がせることを嫌い、妻の子供が生まれるまで届出をためらったり、年齢に関係なく、妾の子を妻の子の弟としたが、庶民は妾や下女が産んだ子供を公然とは差別できなかった。それは庶民の蓄妾自体が非公認だったからである。明治3(1870)年の布告では親族の範囲を五等親までとし、妾は妻と同じく夫からみると二等親とされた。同4(1871)年には妾が産んだ子は戸籍上、「次男妾腹誰それ」と記載することが定められ、同7(1874)年には妾が間男を作った場合、姦通罪が適用されることになった。同8(1875)年に妾は戸籍上、妻と同様に扱うとされ、妾の産んだ子は妻の子と同じく、父の認知を必要としない公生子とされた。公認の妾制度は明治15(1882)年に廃止となり、以後、妾が産んだ子は非嫡出子として扱われ、女性側から父親に対して認知を求めることはできないとされた。


はい、鶴見中尉は1866年生まれですので公認の妾制度が適用されます。公生子です。

ここで注目なのが1882年に制度が廃止されたことです。
1882年はまさに尾形百之助が生まれた年です。
ちょっと滾るものがありますよね…!!


ちなみに「トメ」という名前は「これで生み止め」という意味で末っ子に多く付けられたようです。

おばあちゃんは末っ子のトメが可愛くて、薩摩の男の妾になったと知り「任せておけるか」と引き取った気もします。


【小指の骨】

鶴見中尉と言えば小指の骨。
フィーナ、オリガ、そして宇佐美。

小指の持つ意味を調べると当時の遊女が愛の証としてプレゼントした歴史が出てきました。
本物の愛を受け取り、大切にしていたのでは?

他にもプレゼントとして髪の毛があったようで、いご草ちゃんが髪の毛を渡したのも時代背景と相まって胸に来ます。

鶴見中尉の小指の由来が「遊女の愛の証」だと仮定すると、この知識をどうやって知ったんでしょうか?
鶴見家に入らなかった、入れなかった母はどうやって生計を立てていたのでしょうか?
鶴見父はどうやって鶴見母に出会ったのでしょうか?
トメは芸者でしたが、篤四郎母は遊女であった可能性を否定できません。

ゴールデンカムイは遊女が度々登場しますよね、牛山や白石、石川啄木も常連です。

で、ここでひっかかるのが宇佐美が尾形に放つ
「商売女の子供の分際で!!」という言葉。

宇佐美をはじめ鶴見組のみんなは出自を知らない、気にしていない、知らせる訳にはいかない、そもそもそういう話しにならない、のか?

「誰から生まれたかよりも 何のために生きるかだろうがッ」
この杉元の言葉と宇佐美の「商売女の子供の分際」発言は、なんと同じ255話。


奇しくも宇佐美が鶴見中尉を通して、生まれよりも生き様だと、役目なんだと証明しているかのように思えてなりません。

杉元の言葉が宇佐美にも届けば、それを敬愛するあの人が体現しているのだと気が付けば……
農家の出だとコンプレックスに思う必要もないのに……

それとは別に寅次の骨を杉元が届けたように
「遺体を運べない場合は指の骨を」
というのは軍の人間には常識のようなものなのか調べました。
こちらの由来は残念ながら見つからず……
ただ他の部位に比べ、小指は簡単に切断できるらしく
戦時中も「帰国できたら彼らの遺族に届けられるよう、仲間の小指を頂いてはマッチ箱に入れて保管しながら進んだ」という記述がありました。

しかし戦時中のお話とはまた違う気がします。
指でなくても形見になりそうな物が家中に溢れていたでしょうし、綺麗に拭いてからベッドに寝かせる時間もありました。
小さな骨であれば持ち運びやすいのはあるでしょうが……
あの反射的にぎゅっと握る赤ちゃんの可愛らしい手を大変愛おしそうにしていた彼が
わざわざその指を自ら切断するのは相当な覚悟や信念があるように感じます。

どちらにせよオリガ、フィーナを心から大切に思っていたことには違いありません。
宇佐美も一番のひと、です。


【幸次郎の思い】

いったん鶴見中尉のことは置いておいて、百之助の祝福と
父、花沢幸次郎の心を探ります。

幸次郎含め親世代のセリフからヒントをもらいましょう。

「本音と建前の違いはあれど、どちらも嘘ではない」
「音之進には国の為に死んでもらう」
「生きちょりゃよか」
「その命をどうやって使うか自分の役目を探しなさい」
「呪われた仕事だ」
「あの子はアイヌの未来」
「ウイルク言ったこと、ユルバルス言ったこと、気にしないで」
「まずは我が子供を先頭に立たすっとが筋」
「結婚は家と家の結びつき ご家族が絶対に許しません」
「お父っつぁまみたいな立派な将校さんになりなさいね」
「自分が幸せになれる場所を探しに生きなさい」
「自分のために生きるのは悪いことではないんだぞ」
「勇作に戦争に行ってほしくない」
「愚かな父の面子を保ってくれた」
「おめえの人生まで棒に振るな」

軍人であり同時に親である者たち。
本音と建前、口には出せない立場がいくつも交錯するようで胸が締め付けられます。
幸次郎は平ニ(鯉登の父)と親友であり遺書を託すほどの仲です。
幸次郎の描写は少ないですがその心は平ニと近いんだろうと思います。

もちろん生きていてほしいんです、百之助にも勇作にも。
しかし世間様の子供をたくさん集めて戦争に行かせる手前、自分の子供を先頭に立たせない訳にはいかない。
亡くす覚悟はできている、命をどう使うか考えなさい。
私の子供であるばかりに軍に入ることが決まった、呪われた人生で申し訳ない。
私が父でなければ自由に、自分が幸せでいられる場所を探せたろうに。
だがもう決まった事だ、仲間を無駄死にさせないよう、立派になってくれ。

そして生まれた百之助。
戸籍の改正。
自分が無視をすれば軍人ルートから外れられる。
こちら側に来るな、自由に幸せになってほしい。

ほどなく生まれた勇作。
ヒロとの子供。
いずれくる過酷な運命を思いながらも、愛情を込めて育てる。

なのに、
トメは百之助に立派な将校になれ、と。

ヒロは勇作を戦争に行かせない、と。

百之助は自分が祝福されていないと思っているらしい、
祝福されていたのは兄弟のどちらか、呪われていたのは兄弟のどちらか?
なぜ伝わらない、どうしてこうなった。

これが幸次郎の心境なのではないかと、個人的に思います。

これプラス
トメ 幸次郎 ヒロ の三角関係は
杉元 梅ちゃん 寅次 と似ており

杉が結核感染を危惧して梅ちゃんを遠ざけるように
トメは幸次郎の立場や出自を考え遠ざけた、互いにたしかに愛はあった。
では幸次郎が家の関係でヒロと結婚しただけで愛はないのかと言えば
梅ちゃんは寅次を大切に思っているし夫婦になった以上未練はいけないと律している。

佐一(イチ、はじまり)の三角関係を百之助が理解できた時
百之助の夜が明けて、その旅が終わる(ヒャク、全部、終わり)そういう物語だったのかなと思うんです。

あの「呪われろ」は
トメに毒を盛った、勇作を撃った罪悪感に呪われる時、罪悪感はあった、愛はあった、お前は欠けてなどいない。
欠けてなどいないのだよ、百之助。
という言葉ではないですかね。

では愛のない両親から生まれた
「何かが欠けた人間、出来損ないの倅」は誰でしょう?
それは、長岡の名門士族と遊女の間に生まれ前頭葉の欠けた、せっかく日露を生き延びた兵をまた戦に追いやるようなクーデターを目論む
鶴見篤四郎ではないでしょうか?

【まとめ】
鶴見中尉殿がオリガを抱くとき、どこか寂しそうに見えたのは
諜報活動によるもの+普通の幸せな家庭を知らないからではないか?

母の墓参りを欠かさないのは、それでも母への感謝や愛があったからではないか?

トメが「通りゃんせ」で寝かしつけるのは
♪ 七つのお祝いに御札を納めに参ります ♪
百之助の七つのお祝い(七五三は特別)に、誕生日があるあんこうの季節に、幸次郎が来ると信じて、あんこう鍋を作り続けたのではないか?
トメは本当に狂っていたのだろうか?

鶴見中尉が自身も妾の子供でありながら士官学校に行かせてもらえたり、こうして中尉になった経緯で百之助をたらしこんだ過去があったかも知れない?

など疑問はつきません。

ゴールデンカムイは人物一人ひとりが作り込まれていて、お互いが作用しあう。
誰が主人公でも完成するような、素晴らしい漫画ですよね。

へー、こんな解釈してる人いるんだ、おもしろ。
と楽しんで読んでもらえたなら幸いです。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。


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