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儚くも美しく咲くために

5月。この月、私はまたひとつ年をとった。「おめでとう!」なんていう年でもないけれど、そのメッセージが何人かから届いた。
ちなみに日付の変わったすぐ後(まるで若いカップルのやり取りのように…)メッセージが届いたのは義理の父からだったのが相当笑える。
数年前にFACEBOOKの投稿を辞め、プロフィールの誕生日を空白にしたせいもあって随分煩わしさがなくなった。「今日は○○さんの誕生日です。お祝いメッセージを送りましょう!」なんていうメッセージが送られて、「送っておかないと冷たい人と言われそう…」と斉藤由貴の歌の歌詞のように、こういう時はこういうせねば!という方程式に従って送られてくるメッセージは、意外と文字からも伝わるものだ。そう言う人に、Happyな感じで「ありがとう!」と返すのに疲れたのだった。
中には、タイムラインではなくて、Messengerで直接送ってくる人もいたけれど、その方が随分嬉しかった。
そんなこんなで、メッセージをくれた人は、私の誕生日を覚えてくれていた人…ということになる。何か切欠が無いと行動出来ない照屋さんもいるだろうけど…。それも分かったうえで、人のことを測るような状態を作っている自分がいやらしい。別にそれですべてを判断する気もないけれど、今、メッセージをくれた人には心の底からありがとうが言えるし、コロナが終息したら本当にまた会いたい!と思える。ちょっと極端なことをしてみた方が鮮明に分かることもあるものだ。社交辞令は必要な時もあるけど、親しい仲に必要はないと思う。

誕生日の日はとても天気が良くて、朝一番から農協へと買い物に出かけた。心地よいメッセージが届き、新鮮な野菜を買い、花売り場で芥子の束を見つけて自分で買った。最後の一つだった。咲き終わりの花が2輪と首を曲げたままの蕾がたくさんついていた。
ゲジゲジした蕾は外敵から花を守っているかのようだ。触ったところでいたくはないけれど、見るからに友好的ではない。
本当に残りの蕾は花を咲かせるだろうか…という不安は見事にハズレ、次の朝から1輪ずつ花を咲かせていった。首を垂れてゲジゲジしていた蕾はゆっくりゆっくりと頭を伸ばして伸びていく。蕾が割れた隙間から、漸く何色の花が咲くのかが分かる。そして、ゲジゲジの蕾の皮は弾けて落ちる。こんなもので守っていたのかと思うほどにか弱い。何の囲いも無くなった花は気持ちよさそうに花びらを広げていく。ケシの花びらはとても薄く、光を透かす。咲いてから2、3日でもう花びらははらりと落ちる。儚い。この一連の儚い感じが堪らなく好きだ。私には桜よりそう思える。それは蕾の形の違いだろうか。
儚くも美しく咲くために、やわらかい棘を持って生きよう…そんな気分になった2020年の誕生月。

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