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20230302 - 涙ゲージ

ある訃報を聞いて、通夜から火葬まで行ってきた。これに関してはじっくり感情とかを記載したレポを投稿する予定なので、お待ちいただければ。

急逝、という言葉に対して、なんとなく、ドラマとか、漫画とか、そんな自分の近辺には少なくともないこと、だと思ってた。それが発生してしまった、という事実を未だ飲み込めないでいる。急に逝くと書いて急逝だが、まさにその通りで、突然、自分がバイトに明け暮れている最中、おそらく亡くなった。

次の日もバイトなのだが、どうにも体に力が入らず、ただただ無力感に打ちひしがれていたことが記憶にとても残っている。そして、翌日には自宅に戻り、通夜にすぐさま向かう形となった。

車内でずっと思っていたことがあって、自分は一体どのタイミングで涙を溢すのだろう、ということだ。自分は生まれて今まで祖父母を亡くしており、これで3回目の葬式となる。しんどすぎる。そのうち過去2回は割とすぐに泣いていた気がしたのだが、今回は状況が状況でただただ冗談であることを祈るフェーズが追加されたため、泣くことはなかった。

だから怖かったのだ。
自分が親族の死に対して泣かずとも済むかもしれないその関係性に対する人間性を失った無頓着さを持つ怪物であるかもしれないから、怖かった。

実際通夜から火葬まで、ほとんど泣くことはなく、ただただ目の前に死が横たわっていることに苦しんでいるだけだった。冷たくてしょうがなかった。もう触りたくないと思うと同時に、もう触れられないのだぞという執着に打ちひしがれながらすっと頬をどれだけなぞったことか。その間も泣くことはなかったし、なんなら、泣きそうになって意味もなく引っ込めてしまったこともあった。

なぜか生きていくにあたって泣くことをしない方向にはコントロールできるようになってきたのだ。する方向には未だできないが。涙を流せる量にはある一定のラインがあると思っていて、ここ1ヶ月音楽で泣くことが多かったせいで死に対して涙を流せなくなったのだろうと推察していて、その一定のラインを涙ゲージと呼んでいる。その涙ゲージは音楽の一定のメロディに対しては緩く、死とか人間の出来事に対しては大変固い。俯瞰してしまう傾向にある。だから、今日はPAS TASTAの新曲とある音ゲー曲で目一杯泣いた。スイッチが曲のメロディなだけで、きっとその先にある死に対する畏怖と虚しさに対して泣いたような気がする。ガキみたいに泣いた。

氏の死を思い出すと泣きそうになるが、今は絶対泣くべきではないように気がして、泣けないただただ負け者の思考かもなとも思っている。これで泣いてる暇があれば、戦った方がマシだ、と思ってしまう。結局これはその死から逃避しているにすぎないことをわかっていながら、泣かないように、感情を押し殺すように叩き潰すための準備を刻一刻とやり続ける。葬儀の分、ロスタイムだと鬼であることを務めて、ひたすら創作に集中するしか、今は生きていける理由がない。

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