心が弱いので

心が弱く、自己肯定感が低いのですぐに死に逃げたくなりますね。

「死にたい」は、死にたいのではなくこの状態から逃げたい、楽になりたいと同義です。
死ぬよりも楽になる方法があるのなら、迷わずそちらを選びます。死ねば楽になると思っている私も相当イカれていますね。産まれたときからです。

自己肯定感の低さは、生まれ持った性格なのでしょうか。それとも育った環境?思春期の体験?身近な人たちの影響?
自己肯定感の低さと承認欲求の高さ、関係がありますね。ダメな自分を認めて欲しい。愛して欲しい。そして自らを貶めて、それでも承認してくれる人を探しています。とても、面倒な人です。まさに「こんなわたしでも愛してくれますか?」を地でいくのですね。

他人からみた自分の評価を聞くのが大好きです。

昔から通知表の先生の手書きの部分が気になって気になって仕方ありませんでした。通知表の数字や評価なんてどうでもよかったのです。それよりも先生が私をどうみているのか。たった一人の私に目を配ってくれているのか。見てくれているのか。そこにしか興味はありませんでした。

また、学生時代に学校外で行った課外実習などの評価を聞くのも好きでした。一度だけ、オールA判定の評価をもらったことがあるのですが、その用紙をコピーして額縁に飾って一生愛でたいほどに気分を上げてくれました。相手先に書いていただいた評価の内容ももちろんたくさん褒めていただいており、クズの私でも「認めてもらえた」感がすごかったです。もちろん、コピーしてくださいとは言えず心のなかに留めておきました。今では内容もしっかりとは思い出せませんが、その事実だけはしっかりと覚えています。

他人がどんな風に私を見ているのか、また、どんな風に見られているのかを知ることは簡単に私の気分を上げてくれます。もちろん、よいことに限ります。

その点でいえば、推薦文などは最適です。私とのやり取りのなかで、「私」について考えてくれた上で、良いところを手放しで褒めてくれる。最高ですね。実際そんなことはないのに、適度に大袈裟に、さもまともで魅力のある人に思わせてくれる推薦文を今日も見返しながら理想の自分に浸っています。