死にたくないと思う人

人間は二種類存在する。死にたいと思う人間と、死にたくないと思う人間だ。

はっきりとは覚えていないけど、いつからか死にたいと思うようになった。あ、自殺しようとした話とかではないし、教唆するものでもない。ただ、私が死にたいと思いながら生きている話。

だらだらと20数年生きてきたが、正直ここまで生きてきても尚、隙あらば死にたいと思っている。「あ~車突っ込んで来ないかな」、「無差別殺人事件起きないかな」、と、他人に聞かれたらドン引きされるどころか叱られるようなことばかり考えている。

そもそも他の人たちは何故生きていたいのか。そこからもうよく理解できない。

ある日、飲み会の帰りに同僚を車で送っていたときのこと。人気のない山道でスピードを出しすぎていた私は「もうこのまま事故って死ぬかもよ」と冗談混じり、半ば本気で彼女に言った。もちろん私は彼女を殺すつもりなんて微塵もない。けど、私自身はこのまま死んでもいいと思っていた。彼女は「やめてよ、まだ死にたくない!」と言った。

私はその時改めて、この世には死にたくないと思う人間がいることに気付かされた。息をするように死にたいと思っていたが、死にたくない人間がいた。すごい。

なんで?別によくない?

「まだやりたいことあるし!」

やりたいことがあるらしい。でもそれが出来たからって、死にたくなるわけでもなさそうだった。そのやりたいことの中には恋愛、結婚、子育ても含まれるのだろう。その子の好きなアーティストのコンサートに行くことも。

いいなあ、と思った。
素直に死にたくないと言えるこの子を羨ましいと思った。

ところで話は変わるが、世の中には死にたいと思う人間と死にたくないと思う人間、どちらが多いのだろう。 

私は気がついたときにはもう死にたいと思っていたので、これが通常だと思っていた。だが年を重ねるにつれそうではないのかも、と薄々ながら感じるようになってきた。
これが中学生や高校生なら「はいはい、思春期ね笑」となるのだが、いい歳した大人だ。

特に同年代で集まるとき、まだそれほど仲のよくない例えるなら四月半ばの新入社員同士の集まりなどで趣味を話すようにこの話題を出そうものなら、場は静まり返りかわいそうな目で見られる。知っている。やったことあるから。

だから私は人に話さない。
初対面の人にはもちろん、仲良くなった人にも。この人、同じ価値観だなと感じはじめると軽く会話に紛れ込ませてみる。反応で、仲間かどうかわかる。気がする。

仲良くなると、同じ価値観でなくても受け入れてくれる人もいる。それは許容であって受容ではない。心の底からその人たちと共有することはできない。

話が逸れに逸れたが、私が聞きたいのはただひとつ。どちらの人口が多いのか。

そして異端はどっちだ。