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左利きと好青年

子どもの頃、スプーンや箸を左手に持つと親に注意された記憶がある。箸は右手で持ちなさい!と。

なぜ右手じゃないといけないのか。その意味が分からなかったが、小学5年か6年生の頃、図工の授業のときに、右隣に左利きの子が座った。
そして、木版画を彫っていると、隣の子の左肘が僕の右手に当たり、ハッとした。
授業の間は、その子の左手が気になり、とても邪魔に感じていた。

クラスで左利きの子はごく少数だ。
そのときに親が言った「箸は右手で持ちなさい!」その意味を少し理解した。
たぶん相手も僕の右手は邪魔だと思っていたはずだが、そこに僕が気づくはずはない。
左利きの人は、異質なものに思っていたから。
自分が正しいと勘違いをしていたから。

娘たちの中で、四女だけが左利きだ。親に言われたように、四女にも箸は右手で持つようにと注意したが、なかなか直らなかった。
そのうち根負けをした。というより途中で言うのが面倒くさくなって、言うのをやめたのだ。
それから四女は、うちで唯一の本格派の左利きとなった。

食事の時に狭いテーブルの右隣に四女が座ると、やはりその左手は邪魔になるのだが、大人になった僕は、相手もそのように思っていることを知っているので、邪魔などとはけっして思わない。
しかし、娘は父の右手をきっと邪魔だと思っているのだろう。今はそれでいいのだ。

娘がそのことを気づくようになるには、まだ時が満ちていないのだから。

正月、その娘が左手で一生懸命宿題の書き初めをする姿を見て、とても書きづらそうだなと思った。
その時、左利きにとって書道は天敵であることを知った。
上手に書けない様子をみて、代わりに書いてあげようかとも思ったが、それは親バカのすることだと思い踏み止まった。

それも親が勝手にそう思っているだけで、本人はなにも苦にはしていないのかもしれない。

また自分が左に選んだ道でもある。やり遂げなくてはいけないのだ。

昔と比べると今は左利きの子供も多いようだ。
なにも特別ではない。
僕の好きな303勝してメジャーリーグの殿堂入りを果たしたランディ・ジョンソンや日本プロ野球で唯一の400勝投手の金田正一さんも左利きだ。

こうしなくてはいけない!などということは、大人が思う固定観念であって、子どもにはあて嵌まらないものだと思っておいたほうがいいのかもしれない。
ましてや現代は、多様性の時代でもある。

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

先日、その左利きの娘が彼氏を家に連れてきた。
以前から一度彼氏を誘って、うちで夕飯を一緒にしようと娘に提案をしていた。それが実現したのだ。
僕が提案者なので、高校時代に関西で培った得意のお好み焼きを振る舞うことにした。


また事前情報として、彼は母子家庭で、今はお母さんとお姉さんの3人で暮らしているということを娘から聞いていた。
またお母さんが仕事で留守のときは、彼がご飯を作るということも聞いた。うちの娘はお菓子しか作ったことがない。それを聞いただけで好感がもてた。

学校帰りの2人を駅まで迎えにいき、それから彼を観察してみた。

彼はしっかりとした挨拶ができる。
「こんばんは」
「お邪魔します」
「今日はありがとうございます」
「いただきます」
挨拶は人としての基本だ。
また近くの店で買ったであろうお土産のお菓子まで持参していた。
この時点でもう合格だ。

そして食事のとき彼は緊張をしているのか、あまり喋らなかった。

「無理に喋る必要はないよ」

と喉まででかかった言葉を、それもおかしな話だと思って、のみこんだ。

代わりに僕がつまらないどうでもいい話をして、その場をとり繕った。
しかし、それが仇となって、つまらないことを言う『お義父さん』に思われたのではないかと、あとで思ったりもしたのだが、、

よく喋って騒がしい子は、合わせることが難しいので苦手なのだが、彼がそういう子ではなかったことに、少しホッとした。

そして、あっという間に終電の時間が近くなった。田舎は終電が早いから、ちゃんと時間を確認しておかないとえらい目にあうことがある。
彼を家まで送るはめにならないように、少し早めに家を出た。

駅まで娘と一緒に送ると、彼は改札のあたりからこちらを振り向いた。そしてにっこりとして、もう一度会釈をした。素晴らしい好青年だと感心した。
満点で合格だ。
若いときの僕なら、きっと車を降りてから振り向くことなく、一目散に去っていったであろう。

そして翌日、娘が学校から帰ってくると、

「女の子の家にそんなに遅くまでいるもんじゃないよ!」

と昨晩、彼がお母さんに怒られたということを聞いた。
僕が怒られたような気持ちになった。
彼を遅くまで引き留めたのは、実は僕と妻である。
「申しわけありませんでした!」と心の中で彼に謝罪した。

彼のお母さんと会ったことはないが、きっと素晴らしいひとなのだと思った。

子どもの姿を見ていれば、その子の親がどういうひとか、だいたい想像がつく。
子どもは親の背中をみて育つのだから。

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

この交際がゴールまで辿り着くかどうかは分からない。今はふたりもそこまでは考えていないだろう。僕もそうだ。

『結婚』の概念も人によって様々だと思うが、結婚相手は赤い糸で結ばれていて、その縁がないと出逢いもないし、結婚まで辿りつかないと密かに思っている。

また結婚はふたりが決めることであって、ときに親はアドバイスはするかもしれないが、見守っているだけでいいとも思っている。ふたりの気持ちがとても大切だ。
親や周りの理解などは二の次でいい。
結婚するとはどういうことか、あまり分かっていなくても、ふたりにその覚悟があるかどうかが一番大切なことだと思う。

受験。就職。結婚など人生の分岐点では、最後は自分で決断しなくてはいけない。

人間は自分が一番正しいと思いたい我儘な生きものだから、人に言われて決めた道は、失敗したときに他に責任を転嫁しようとしてしまう。

それは大人になったら、やってはいけないことだ。
自分がしたことや決めたことに、責任を持てるかどうかが、大人と子どもの境界線ではないだろうか。

今は子どものしたことを親が他に責任を押しつけたりすることもある。
それは子どものせいではない。
親の責任なのだろう。

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

彼氏が訪れた日のこと。
テーブルを囲んで食事をしたとき、気づいたことがあった。
彼も左利きだったのだ。

テーブルに仲よく並んで座り、お互いの手が邪魔にならずに、楽しそうに食事をする姿を見て、お似合いのふたりだと微笑ましく思った。

そして僕は、彼との縁を繋いでくれた神様に感謝した。


しかし、ふたりの未来は神様にしか分からないのだろう。

−了−

最後までお読み下さり、ありがとうございました🙇

※ヘッダー画像は16know_enさんのイラストを拝借しました。お礼申し上げます。



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