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義父と沈みゆく夕陽

お義父さんが急逝した。

米寿の祝、88年で人生の幕を下ろした。

6日後には89歳となる筈だった。

お義父さんは、胆嚢炎で入院していた。
また心臓にも持病があった。

亡くなる3日前。見舞いにいくと、

「そろそろ退院できるみてえだ。退院したら、またみんなでうちに来てくれよ」
と、孫たちに囲まれて嬉しそうに語っていたのに、、、。

亡くなった日も看護師さんと元気に話をしていたそうだ。

しかし夕方、心拍の異常を知らせるアラームが鳴り、看護師さんが駆けつけた時にはもう遅かった。

心筋梗塞だった。

周囲に気づかれることなく、あっという間にお義父さんは、逝ってしまい帰らぬ人となった。

本人もまさか急逝するとは、思いも寄らなかっただろう。

命とはとても儚いものだ。

残されたものには残酷でもある。


哀しみもまだ癒えぬ中、冷静さを装い、こうしてベラベラと綴るのは、少し不謹慎で無神経のような気がする。

しかし、僕もいつ死ぬかは分からない。
妻には内緒にして、忘れないうちに記しておこうと思う。

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

突然の訃報にびっくりしたが、妻が心配であった。

娘というのは、息子と違って父親への想いが強いように思う。

生まれ持っている『母性』の違いなのかもしれない。

僕は父が亡くなったら、あんなにも泣けないだろう。

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

義理の父というのは、何となく気を遣うものだと思う。

妻の実家へ帰ると、いつも自然と僕の存在が薄くなるような気がする。

逆に妻は生き生きとして、存在感が増している。


そんな僕をみて、いつも気遣ってくれたのが、お義父さんだった。


「ご苦労さん。足くずして、こっちきて一杯やんべえよ〜」

と口癖のように言っていた。

もうその声に触れることもないと思うと、とても寂しくて切ない。


お義父さんは、静かな漁村の網元の家に生まれた。
根っからの海の男だ。

海岸から徒歩1分の波音が聞こえてきそうなところにその家がある。

6人兄弟の長男で、人間関係が希薄化した現代には珍しく、親族の結束がとても固い。

細田守監督『サマーウォーズ』の陣内家みたいな感じだ。

お義父さんは、いつも声がでかい。
声の大きい人に悪いひとはいないという。

そして人情に厚い。

早くから父を亡くして家業を継ぎ、母と共に苦労をしてきた。だから人の痛みがよく分かるのだろう。
また歳の離れた妹たちの父親代わりでもあったようだ。

最期のお別れで、その叔母たちが冷たくなった義父の頬に両手をあてて、泣きくずれる姿をみて、胸が痛み自然と涙が溢れた。

家族のとても深い絆を感じた。

いつも自分のことよりも、家族のことを一番に考えているひとだった。


減船政策によって自分の代で家業を畳み、けっして裕福ではなかった。

遺産などはなにもない。

しかし子どもや孫たちに、人として大切なものを教え遺していってくれたように思う。

肉体はいつか滅びるが、その精神までも滅びることはない。

姿はもう見えないが、心の中にはいつもいる。

目を閉じれば、僕に優しく声をかけるお義父さんの姿が、いつでも脳裏に浮かぶ。

お義父さん、ありがとう。

そして安らかに。

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

葬儀のあとの帰り路。
茜色に沈んでゆく夕陽がとても綺麗だった。

すぐに車を路肩に寄せて、ハザードランプを点けた。

娘たちはこの情景を、まだ赤みの残る眼差しで見つめ、iPhoneに収めていた。

沈みゆくこの夕陽と共に、海に生きたお義父さんが、旅立っていくような気がした。

相模湾の遥か向こうに、雲の上から頭を覗かせている霊峰が、旅立つお義父さんを最後まで見送っていた。


そして僕たちは、お義父さんのいない新たな日常の世界へと戻ってゆく。

ー了ー

最後までお読み下さり、ありがとうございました🙇

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