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なぜ傷つく前の新卒を守るために他部署と衝突する必要があったのかという話

大声でケンカした。震えながら強い主張をした。他部署とか自分より偉い人が相手とか、そういう発言が自分にとって何らかの悪影響を及ぼす可能性とかは考えなかった。
僕は、「問題が起きる前」に問題を回避することに全力を尽くす。今回はうちの新卒の尊厳が踏みにじられる可能性があった。
今回はこの顛末と、僕が目指すマネジメントの話を書く。また、愛する製品について譲れない事情もあった。

発端は新卒に作らせた勉強会用資料だった。
自社グループ内の勉強会用のもので、作成難易度は高いが業務資料に比べれば責任がないので若手にちょうどいいと思って作ってもらった。内容はとある最先端技術(仮にAという技術分野とする)についての説明資料だ。
しかし、これは単なる技術資料ではない。その延長に売りたい製品の姿が含まれている。その売りたい製品が、他部署と僕たちで足並みが揃っていないことが争いの種になったのだ。他部署はBという製品を売りたくて、僕たちはCという製品を売りたい。顧客以前に勉強会資料ごときで社内でケンカするのは醜いことこの上ないのだが、他部署の主張としては資料がC製品に都合のよい内容になっているから変えろというものだ。
僕たちは当然C製品を売りたいので、製品のことを一言も書かなくても内容がそれを意識してしまうのは避けられない。それなりに工数をかけているのだから、自分たちにメリットがないものを作るわけがない。それが不満なら、他部署の人たちも自分たちで資料作って登壇すればいいではないか。なぜ後から相乗りしたいという立場で文句をつけてくるのか。そもそも、うちの新卒が真剣に作ったものを、根底から書き直すような要求は受けられない。

新卒の彼は修正を飲んでもよさそうな態度だった。
僕だけは声を荒げて要求を跳ね返した。なぜか。

無条件で修正を受け入れたら、こちらの意図したストーリーはぐちゃぐちゃに崩れてしまうだろう。C製品に愛もなく考え方の相いれない人が直せば、作成者の資料といえないようなものができあがるかもしれない。
うちの新卒が何週間もかけて真剣に作ったものが蹂躙されれば、彼は大きく傷つくかもしれない。当日彼はそれを使って発表できなくなるかもしれない。トレンドの脚本家の話ではないが、意図せぬ改変で傷ついてからでは遅いのだ。再修正の時間はなくなるし、傷ついた心は取り返しがつかないかもしれない。真剣に作ったものを壊されるのは、壊される前に叫んででも防がないといけない。世の中は傷ついて絶望した人に必ずしも優しくない。「こんなことで」「繊細なんだね」「気にするなよ」などと、無理解な言葉でさらに傷つけられる可能性すらある。そして踏みにじられた事実は消えない。

それに僕たちはC製品を愛している。真っ当なプレゼン勝負で負けるなら全く構わないが、C製品の愛を削るような資料作りを求められるのは心情的にも受け入れがたい。
ロジカルなエンジニア諸兄にも考えてほしい。エンジニア人生において、愛することができる製品に何回出会えるだろうか。この製品こそ多くの人に絶対に使ってもらうべきという出会いを果たしたときに、不条理な横やりを入れられて屈していいだろうか。せめて不条理ではない横やりを入れてみろと私なら思う。

一方で、仕事をしていれば真剣にやったことを無下にされる機会はいつか訪れるだろう。それを経験して強くなる機会が必要だとなれば、もしかしたら若くて回復力があるうちに経験すべきかもしれない。私は過保護かもしれない。早めに真剣に仕事をすることの意味を知った方が速く成長できるかもしれない。「真剣」というものは扱えば傷つくものである。なのでそういった逡巡はある。

社内の小さな争いで大声を出すほど真剣になって、みっともないと思う人もいるかもしれない。
しかし、僕は真剣に仕事をする人は最大限に報われてほしいし、そこを曲げたいのであれば傷つく覚悟で真剣にぶつかってくるべきである。
僕はそうした真剣に仕事をする仲間が報われるように働きかけるマネジメントをこれからもしていく。偉くなっても折衷案で仲裁するようなマネージャーにはならないだろう。正しいもの、真剣なものを採用してなるべく白黒つけるタイプのマネジメントをする。それが多くの人にとって傷つかず迷わず無用なケンカをしなくて済む合理的な結果になると信じる道だからである。

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