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ぼっち在宅介護のおすすめオムツ環境

ほぼ90歳の父とほぼ50歳の娘の2人ぼっち在宅介護のこれいいな!メモ。


今日のこれいいな!は、オムツ環境です。

コレは、父の自室。ずっといる部屋の一角にあります。ヘルパーさん、看護師さんいろんな人が来てケアを手伝ってくださるので、取りやすくわかりやすくを考え常に丸見えな状態にしてあります。

父は、介護状態になる前から多少の失禁があったようで、畑仕事など長時間の作業時には、大人用の履くタイプをつけていたようです。親族に使う人がいたので、大量に部屋に山積みにされていました。
オムツとわかるように山積みにされている場所に嫌悪感があったようで、本の束やゴミ箱なんかでちょっと見えにくい状態にしながらも、使っていたようです。

当時を想像するに…
失禁が増え、衣服を汚すことが増え、母または誰かしらに勧められていたようで。自分でも、トイレに間に合わなくなってきた現実を受け止めようとして、我慢して履いていた。けど、このオムツを受け入れる現実は屈辱的だったから、モノで隠そうとしてたんじゃないかと思うのです。


昭和一桁生まれの、物言わぬ父。
見た目も雰囲気も、往年のスター勝新か裕次郎。体が大きく、強面で、喋らない。
そんな彼にすると、自分で履くならまだしも、人のお世話になるのはさらに厳しい現実だったと思います。

そんな父の偏屈な性格とリクツを下地に、私の想像力で現実を越えてゆくオムツコーナーが写真の通りです。(ま、ごくごく普通ですが)

現在は、
①三角用パット(前用) 5〜6回分
②中パット 6回分
③外側に開くタイプのオムツ Mサイズ
の3種を使用。
できるだけ用途がわかりやすいように、見た目の明らかに違うものを用意しています。

オムツぽさを抑えるため、きちんとパッケージから出し、医療の消耗品(ガーゼや薬など)のようにきれいに並べることにしました。
(着替えやタオルが多少ぐちゃぐちゃでも、ここだけは維持するように努力しています)

「オムツ」とわかるパッケージに入った予備も父に見えるところには積みません。
リハビリなどで廊下を通る際は、見えない所へしまいます。


あと、言葉。

父と私のオムツの交換時の声がけは
「〈交換〉しよかー」

表現は〈交換〉だけにしています。
「オムツ」はナシ。『お尻』もありません。
〈交換〉のみです。

「オムツ」や『お尻』と言う言葉は、
父にするとどうしても受け入れがたい表現だからです。
「オムツ」…赤ちゃんに使うモノ。恥ずかしいモノ。そう刷り込みがあるからです。
しかも、見知らぬ女性や娘に変えられると言う現実は、慣れとかでも解決できない切ない部分なんですよね、やっぱり。


で、〈交換〉と言う言葉は功を奏しました。

今となっては、私のケアも普通に受けてくれるし、便の交換も受けてくれるようになりました。

大の時は、後ろの〈交換〉
小の時は、前の〈交換〉

「交換はどう?」
「後ろも変える?」と言う問いに、ちゃんと答えてくれるようになりました。

要は、
視覚と聴覚から「オムツ」というキーワードを一切なくしたんです。(父娘の間だけは)


実は、ここまでになるのに紆余曲折ありました。一年くらいはリハビリを兼ねてトイレにも支えていきましたし。オムツから卒業したがったり。はめたものを外したり…いろいろあったんです。でも、ある時期を境に、少しずつ現実を受け入れてくれるようになりました。


あと、オムツのゴミについてですが、
決して部屋には溜めません。見せません。
当初は、人の手を借りたがらず、父にオムツポットを用意してみましたが、うまくいきませんでした。今は別の部屋で集めて廃棄しています。


父の自室は、寝たきりになった高齢者の部屋だけど、リハビリや口腔ケアに邁進する前向きな場所としておきたいのです。


オムツの交換を乗り越え、便の交換も知らせてくれるようになったことを主治医に伝えると、大変驚かれました。
「え?ほんまに?すごいなー、お父さん。なかなかそんな風には受け入れられへんねんでー」と。

言われてみれば、父がずいぶんと折れてくれた結果であって、私が良かれと思ってやったところで彼に響かなければこういう状況にはなってないと気付かされました。


介護される者と介護する者、2人で介護というのをやっていくんだなっと思った瞬間でした。


注)かならずしも「オムツ」というキーワードを物理的なくしたからと言って、誰もが前向きになれるかといえばわかりません。が、お部屋がスッキリすることは間違いないですよ。

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