ぼっち在宅介護 こちらがイマジネーションで乗り切る
大きめなせん妄から父が少しずつ蘇ってきました。恐るべしです。昨日は、お昼寝時間に久しぶりにイビキをかいて寝ていました。
いやはや、父のポテンシャルに驚きます。
これまでは、大っき目があると、中程度、小さめとせん妄時間を短くしながら落ち着いてきました。
今回はそれはなく、日頃の生活にちょいちょいおかしいな?を挟みながら、落ち着いてきました。
こりゃ、細井先輩式「ありがとう、大丈夫」キャンペーンの賜物かもしれません。
気にしなくていいよ。
オヤジのペースでかまわないよ。
そんな風に眺めてます。
せん妄は、回数、せん妄時間を抑えないと…脳へのダメージを増やさないように…と、これまではピリピリ気をつけてきました。
今回は過敏にならないよう、ざっくりいこうと。
もう老体だし、老脳だし、老神経回路、老血管だから、普通にくらしていても、詰まるとこは詰まるので。「そりゃ、とっさにわからない事もあるでしょうよ」と思うことにしています。
ただ、日々、人体観察はしています。
よくわかってないかも?というのが、朝一番。私が部屋に行くと「誰だ?」という怖い顔をします。声をかけたり、朝食やパット交換の準備をすると、次第に私と認識しはじめて、顔が緩みます。
なんとなくですが、母だとか他の家族の顔と私の顔が年々似てきて、一瞬誰かわからない、判断が遅れるんだと思われます。
在宅介護に至るまでに「誰だ!」というようなちょっと嫌な記憶があるのかもしれません。
話は飛びますが…ふと、思いつきました。
昭和のおばあちゃんちというのは、薄暗くて、電気をつけるとグロー球がブーンとかいったり、ランプや蛍光灯がつくのもチコチコチン♪としばらくしてから明るくなったりしましたよね?しかも、点いてもちょっと暗くて。
で、父の頭や脳も今はそういう状態なんではないかと思ったりしています。
誰かを見る。何かを考える。
そういった脳のスイッチみたいなのを作動させようとしたら、
スイッチをいれる↓
電気が流れるけど、ちょっとコードが古くて接触不良だったりしながら、やっとつながる↓
ランプが電気を受け取るも、ランプも古いので、よいしょっこらしょっと電気をつけようと頑張る↓
やがて点く💡
あ!わかった!
もしくは、◯◯かな…(薄ぼんやり)
一行動が、こんな感じなんかなぁとここ数日の父を見て思われます。
人により、病状により、時間をかけても理解できない、思い出せない場合もあるかとは思いますが…
もしかするとですけど、
実は時間があれば、理解していたり返事もできたりするかもで。
場合によっては、いろいろな後に理解できていて、本人が何も言わないこともあったりするかもだなーと思ったりしました。
今回、せん妄になり、身体的なリハビリを一回休みました。
以前「もういらん!」と言ったことがあったのです。嫌なのかな?と。
今後のリハビリの内容をマッサージ的なことに変えていくのかどうか悩む部分でもあります。
「来週のリハビリなんだけど、どうする?しばらく休む?」
「わからん」
「マッサージみたいなんに変える?」
「…」
父は答えませんでした。
前のように「いらん」ではないということは、
『わからない』に意味がありそうです。
(1)質問の意味がわからない
(2)できるかもしらんし、できないかもしれない、それがわらかない
(3)その時にならないとわからない
他にもいろいろ考えられますが、とにかく彼は今
「いらん」もうやらない!
ということではないんだなぁと思いました。
なんで、
「じゃ、とにかく、来週はいつものまま、お願いしてみるねー」ということに。
父は納得した様子でした。
ケアマネさんに連絡しますと…
「そうですね。正直なお気持ちが『わからない』なんでしょうね。やりたいけどやれないかもとか、いろいろお考えだとは思いますが、嫌ではないのであれば、その時その時で考えましょう。僕でもそうかもしれないです。リハビリは目的を持って目指すものですから、下降していく中で目標を持ってやれるか?やらないか?と問われたら、目標が見えない場合、頑張れない日もありますし。わからないというのが本音だと。でも、そういう風に、ご自身のお気持ちを表してくださるとこちらもサポートしやすいので助かります」とのことでした。
介護で、相手になかなかいい反応がないとき、
おばあちゃんちの薄暗い部屋に電気が灯るイメージをもって、ちょっと間をとってみるのもいいかもです。
スイッチを引く
チカチカチン♪
ピカ〜っ💡
間をおくと、
介護の諸々がうまく運ぶような気がしてきました。
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