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ぼっち在宅介護 介護実験noteラスト回

介護人体実験noteとしては、ラスト回としようと思っています。(わからんけど😛)
とにかく、父の最後は、このnote一つにまとめてしまうことにします。


いろいろまだ書きたかった介護ネタはあったような気がしていましたが、なんか急にふっと父が逝ったので…
うわー!っと、目の前のシーンがどんどんドリフみたいに変わっていきまして。
(蘇生、死亡診断書、エンジェルケア、家族近親者連絡、葬儀社打合せ、家族来たり連絡なかったり…日付をまたぎ慌ただしく場面がバタバタかわっていきました。)

今では、何を書きたかったかが思い出せないので、ま、振り返りはまたの機会に書きたくなれば書けばいいかなぁと思っています。


ラスト回に書きたかったことは…
逝ってしまう前の数日からのことです。

〈あっためてみる〉のnoteは、亡くなる前日のことで、ほんとに急にめきめきと食べるのが上手になった週でした。なんとなくご飯の量も少しずつ増えていきそうな気配もあり、お通じもしっかりたくさん出せていて。返事もしたりと…もう少しで春になったら、本当に人にあったりできるかも?という感じくらい冴えていました。

下半身や淫部の浮腫はまだまだでしたが、上半身は浮腫がとれて、清拭時の着替えの際、腕や肩がすっと入ったりしていました。
肩や腕は、毎夜5回ずつくらい回してるだけで、関節は固まらずにいたのも幸いでした。
おや?いい感じじゃん!

浮腫が軽くなれば、夏まで行けんじゃね?と本当に私は思って、「がんばれ!いける!」と利尿剤も続けてもらっていました。


前の週には、歯医者さんが来てくれて、欠けていた入れ歯を直しに来てくださりました。

おかげさまで、見栄えもよくなり、亡くなる日当日も食べたりできていました。


前日に訪問看護があり、その時までは冴えた感じでいたのです。

前日の食事は、

〈朝〉イチゴとヨーグルト
〈昼〉介護雑炊
〈夜〉プリン

他に、経口補水液ゼリーを5本、1リットルです。

摘便の際、最初から自分で排便ができ、カンチョウ液を入れお腹に馴染む間、足の傷のケアをしてもらっていましたら、残りもほとんど自分で出せてしまいました。
とても柔らかく両手にいっぱい!状態の良い排便で、看護師さんに褒められました。

が、訪看が終わると、
嚥下リハの時間で、
血圧が急にさがっていました。
上が140台→100になっていました。

リハの先生と
「たくさん便が出たからかもねー」と話し。
父は、うとうとしながら大好きな嚥下のリハの先生に、肺や首周りのマッサージを受けました。変わらず血圧が低いので、
「看護師には伝えておきますが、ちょっと気にかけててください」と声をかけていただきました。コレが父の最後の嚥下リハでした。


夜までうとうとし、
「粕汁とかき揚げできたよ。ご飯にしよか?」と声をかけると、目を覚ましうなずきました。
が、しんどそうなままでした。

どうせ、「ご飯」を選ぶだろうと思いながら、

「プリンとご飯があるけど、どっちがいい?」
と聞くと、

「ぷ」といいました。

「ぷ?プリンってこと?」うなずきます。
め、珍しいな…ご飯じゃないのか!

「えー、ま、いっか。かき揚げと粕汁は明日たべるか…オッケー👌」

と、森永の焼きプリンを持ってきたらば、パクパク食べまして。198Kcalをするっとゲットしたんです。

いつも選ぶ「ご飯」じゃないので、だいぶしんどいのかなぁ?っては感じたんですけど…


さらに夜がふけ、パット交換をしようと思い見てみると、お尻側も汚れていそうだったので、父に聞いてみました。

「後ろ変えた方がいい?」うなずきます。

「オッケー👌じゃ、夜中だし二人でがんばってみよう。」

上半身がマシになったとは言え、下半身はまだまだ浮腫んでますので、二人でお尻交換は重さも含めとてもきついです。
クッションを入れても潰れて押し付けられるので、あまりお尻が浮きません。

見てみると、透明な黄色のゼリー状の便汁?が後ろパット全体にたくさん広がるように出ていました。(ちょっと見たことない便汁?の形態と量でした)

便の状態もだし、父の不調と浮腫重さで、おしりを汚さないようにかなり洗うことに苦労しましたが、父自身痩せて力の出せない腕ではありましたが、必死でベッド柵を持って私の負担を軽くしようと協力姿勢をとってくれてました。

「ありがと、ありがと、いけるよ。2人(父と私)でいける。あと少しがんばれ!」

すでに夜中だったし。
午前に訪看さんが入っていたので。
お尻を出したまま父を待たせて、訪看さんを呼ぶ気がなかったんです。まだまだ父も頑張れてるし。

上半身の大きな骨格の割に
スレンダーな腕の骨
この昼の訪看時


便ケアが終わると、父はお尻の汚れから解放されたのと、協力姿勢に疲れたので、ドッと横たわってました。
なんで、いつものルーティーン…足や腰回りから浮腫マッサージをしていきました。腕も一応くるくる肩から回したりして…

でも、この夜は、手足の冷えがマッサージではとれず…眠りにくいかなぁと、手指をさらにツボ押ししようと手を取った時、私の手が手元にあることに気づいた父は、片手のマッサージが終わるとグッと私の手を握って離さなくなりました。

こういうことをされたことが今までに一度もなかったので私は驚いて…

「何何?まだ反対が残ってるから…ちょっと離すよ🤝」と私は無理に離して、反対の手のマッサージをしたんです。

(今思うと、手を握って、目を見てなんか伝えたかったのかなぁ…とか思って、コレだけは後からちょっと悔やまれました)

マッサージが終わると、疲れ果てて目を閉じてみたり…でも、夕方眠り倒してて眠くなかったりで、目を閉じたり開いたりしてた夜でした。
少しでも眠りやすいように、アンカを手元や足元に置いて暖かくして寝かせました。



逝ってしまう最後の日の朝、見に行くとよく眠っていました。なんとなく、ハァハァという呼吸は気になり、酸素療法の酸素量を一つあげました。

「オヤジ?」声をかけると目があいて。
「どう?なんか飲もうか?」頷きます。
「ヘルパーさんもう少しでくるよ」


経口補水液を1本🤭200mlを完飲しまして、ミルクゼリーを2つ完食しました。190キロカロリーを2つ‼️咽せることなくしっかりと食べました。吸引しても何も吸えなくて、しっかりたべました。

で、ヘルパーさんを待ちました。


いつも来てくれるヘルパーさんでしたが、シフトの都合上、久しぶりになってた方でした。

「ご無沙汰です☺️体調どうですか?」

昨夜の便の様子を伝えつつ、今日しんどいけれど、今週から食事がしっかりした口元で取れているので、暖かくなってきたら浮腫が楽になるかも?もう少し頑張れるかなぁっていう話をしました。

アンカのせいで、体温を測るとちょっと微熱感がありましたが、ケアが終わるとほぼ平熱になりました。

「明日はもう少し体が楽だったらいいですねー、また明日🖐️」
とヘルパーさんは帰って行かれて、コレが父の最後のヘルパーさんケアでした。


なんとなく微熱感があったこと、見たことない便汁が出ていたことが気になり、風邪を引いたかな?主治医に往診頼もうかなぁ?
とふと思い、先に訪問看護に連絡をしてみました。

「とりあえず、見に行かせていただいていいですか?」ということで、他の利用者さん終わりで見にきていただきまして、
で、ま、電話でお願いしていた通りに、主治医に往診と(感染や風邪の心配を排除したくて)血液検査をお願いしました。

数時間後、先生が来てくれました。
血圧は低いままで。で、ハァハァ感はあるものの、目はしっかりあいていて。吸引では何も引けず。
酸素療法のメモリはすでに、毎分1.25リットルでしたがいつもより一個だけ上で、血中酸素濃度は99%でした。

先生に、

⚫︎ゼリー便汁が出たこと
⚫︎しんどいが、協力姿勢ができていること
⚫︎ちょっとハァハァいうけれど、食べ飲みできていること
⚫︎酸素がきちんと入っていること
⚫︎意識がしっかりしていること
⚫︎これまでの経験全てを導入しても大した異変がない。けど、なんか私の中にささやかな違和感あること

を話すと…

「ほんまやなぁ。対応はバッチリ。食べてるし、飲んでるしね。熱もない。浮腫がつらいんかな。よし、血液検査して、点滴しよか?検査してすぐ戻ってくるよ。」

と、先生は血液🩸を採って、点滴をつけてくれて、飛んで帰ってくれました。

こんなしんどいくらいは、これまでにも何度もあって。正直、もっとしんどいも何度もあって。お薬や点滴が入って眠ったら、翌朝ケロっとしてたりして。またかなぁ、、、くらいのことを何度も経験してきました。
全然、今までに死にかけた感じに比べれば軽い方に見えるし、食べてるし。先生に会うという特効薬で、ケロっと治るかな?くらいのしんどさに見えていました。

戻ってきた先生が、
「全然やわ。もっと数値悪いかと思ったら、血液検査いいよ、見て。感染もないよ。きれいやで。まだまだ大丈夫の血🩸やったよ。」

検査結果は、いっぱい数字が書いてあって英語やし全くわからんかったけど。
先生の見立てと、数字の言う感じと、私の勘みたいな見立ては同じようなところを位置していました。
気にはなるけど…これまでにもっとしんどいのを越えてきていて。特別悪くは見えないと言うのを指す感じの結果だったのです。

👨‍⚕️「浮腫がつらいんやろな…」

「それはそうですね。でも、上半身は少し楽になってて。暖かくなってきたし、もう少し浮腫がとれてきたら、楽になってまたしっかり食べれるようになる気もして」

👨‍⚕️「うん、今日食べてれてないんだっけ?」

「ミルクゼリーをむせずに2個食べましたし、ドリンク2本のんでます。」

👨‍⚕️「えぇ??そんなにとれた?それなら、点滴いらないくらいやな」

「ですよね。もちろんしっかり食べれてるわけではないですけど、ちっとも入ってないわけでなくて。190キロカロリー✖️2、入ってるし。水分も入ってるし。全然ましですよね?」

👨‍⚕️「うん、大丈夫。じゃ、利尿剤入れようか?点滴で。浮腫出せたら体は楽になると思うし。昨夜眠れてないのかもしれないな」

「かもしれませんね。利尿剤お願いします。」

👨‍⚕️「わかりました。
Fさん、検査、すごいよかったです。まだいけそうですから、一先ずオシッコ出して、楽になりましょう。いいですか?」

父は頷くような顔をして、先生にお任せしました。安心したのか、嫌がるそぶりもなく、点滴されました。点滴の針を翌日の日曜日にも使えるよう、留置型にして、包帯でぐるぐる巻きにしました。

「オヤジ、今日しんどいんやったら、コレは悪さしないで置いといてなー」

👨‍⚕️「また、なんかあったら明日も呼んでくださいね。全然、ウイルス感染もないきれいな血やったし、食べて飲んでるしね。これまでのFさんやったら、まだいけると僕は思います。」

「私も。しんどかったけど寝たら大丈夫👌ってパターンな気はしてます。私に後ケアできることありますかね。」

👨‍⚕️「いや、これ以上はもうないです。パーフェクトです。バッチリです。では。」


先生が帰って行かれて、
父はちょっと安心して、眠れそうな顔をはじめました。

「昨日眠れてなかったのかもね。一回しっかり寝よか?」
やんわり頷くので、浮腫の辛い下半身を中心に、冷えのきつい足や手の先なんかを揉んでいると、スーッと眠りはじめました。

「しっかり眠り〜」と声をかけたのが夕方でした。

時々、起こさないように様子を見に行っていて。そろそろ水分はどうかな?と、22時くらいに声をかけに行きますと、目の周りがビチャビチャで起きてました。

「起きた?よく寝た?目の周りビチャビチャやで、ふこか〜」と顔を拭いて。

水分摂取をしました。
ゼリードリンクを1本いけたと思います。
多少のムセはありましたが、あまりにいつもくらい行けたので、記憶にインパクトはなくて。

「なんか食べる?」に返事はなくて。

ま、そんなこともよくあるし。
いつものように吸引をして、ま、ちょっと引けて。今日はこんなもんかなぁと言う感じで。
ただ、ちょっと泡のようなものが引けて、おや?とは思いました。

「ちょっとまだしんどいかなぁ?パットだけ先に変えてみる?」とたずねると、頷くような表情で。
利尿剤が効いて、たくさんでてますように🙏
と見るもあまり出てなくて。
「明日かなぁ…」と言う感じ。
これもいつものことで。

「だいぶ深く寝れたっぽいから、目が冴えるかもやし、足マッサージしてみよか。」

足から中心にマッサージをし、手にうつるとちょっと冷ためで。

「手も冷たいなぁ。ちょっとマッサージしてから、血中酸素はかってみようか?」
と、揉んでいたら少し暖かくなってきました。

血中酸素を測ってみると、どの指も上手くとれません。
おかしいなぁ、、、なんか爪の色へんやなぁとふっと顔を見ると、なんとなく数秒前に見た時より色が白んできてました。

「え?しんどいの?え?え!息してないの?え〜!!いや、ちょっと、ちょっと息してー!オヤジ〜!オーヤージー‼️」

私が叫んでるのを感じた主人が飛んできてくれました。

「息してないっぽい。どうしよ。急に今、マッサージしてて顔見たら…」

「どうしたらいい?」と主人が言うので、

「先生よびたいから、心臓マッサージかな…呼び続けるとかかなぁ…あぁ、スマホが…オヤジ〜、オヤジ〜」

こんな感じだったと思います。
数分前の涙目ビチャビチャの時くらいまでは、翌日の往診に向けて写真や動画を撮っていたし。
4年間たくさんの写真を撮ってきて、その様子に違和感はあまり感じずで…泣いてましたけど、そんな日もこれまでにあったし。

先生に電話してつながって話しても、先生も「うそやろ?え?そんなん!今すぐ行きます!」
と言う感じくらいで、

心臓は一つしかないから、マッサージは主人がしてくれてるし、私は慌てながら訪看にも電話して。訪看さんも「まさか?」と言う反応だったように思います。飛んできてくれて。


先生に、蘇生をバトンタッチして。
3度かなぁ、蘇生をこころみてくれて、やっぱり父は帰ってこなくて。。。

なんか…部活動でやり切ったような感…
あまりに普通に、突然逝って…
あれ?って感じで…


先生が「残念ですが…」と声をかけてくださいまして。看取ってくださいました。

「ありがとうございました☺️」

👨‍⚕️「いやほんま、夕方の血液検査やったら、まだ行けそうやったけどなぁ…なんでやろなぁ。でも、何年ですか?頑張られましたよね。大変がんばりましたねぇ。」

私もほんまにそう思って、
「よく戦ってくれて…いろいろ見せてもらって楽しかったです。でも、こんな、ふっ🍃と風みたいにいくなんて思ってなくて。びっくりです。が、十分です。大丈夫です。4年ですね。5年目はいったとこでした。ほんとにありがとうございました。」

私、涙、ほとんど出ませんでした。
みんなもちょっと目が濡れるくらいで笑って見てられました。
それくらい死んだ顔がきれいで、ふっと逝って。寝てるみたいで、皆がやり切った!というような。ほんとにお疲れさんと言う感じで。浮腫んでたおかげで、ちっとも可哀想なげっそり顔やなかったんです。


看護師さんが
「エンゼルケアに入りましょうか」と言うことで、急なことでよく農作業に来ていたジーパン👖にチェックのシャツでいっか!を渡して…


私たちは即されて、近しいとこから電話して、親族から親族に回していただいて…

ややこしくなっている家族へは主人が電話してくれました。主人は私の代わりに、最後に間に合わなかったことをめちゃくちゃ文句を言われていました。

それを横で感じながら…
私は、葬儀屋さんとか慌てて連絡先を探し出して連絡したりしてました。

そっからは、葬儀屋さんがきて。。。


で、例の家族が来て、主人が一人で文句を言われ続けていました。泣き崩れられ、文句を言われ続けていました。

私がたまらなくなってそっちに行こうとすると、主人と目が合い首を振られ、手で(葬儀の)打合せだけしてろと合図され。

葬儀の話は、人生初すぎて意味が分からず、耳に入らず、何度も聞き返したりして…時間が過ぎていきました。

打合せの途中に、親戚も来てくれたりして。
打合せを中断しながら、父の最後の話して。
「おっちゃん、ええ顔しとるがな」と言うてもらえたりして。


ただ、もう、私は任務にはいってました🫡

父から、葬儀や終わりのことに関しては、
「絶対借金するな、お前らの金も出すな」と言われてて。
2年前に父から葬儀代を預かっていたけれど、まあそれも微々たるものというか、最低限のお式ってできますか?って感じの額で。
もちろん、この日にこうなるとは思ってなかったし、銀行に行ったりしてなかったから、余分もあまり出してなくて…やれるのか?
ま、でも、銀行行ったところでなかったし😛



たまたま
ちょっと前に近所のおばちゃんに聞いていた数年前の家族葬の金額が、今うちに払えるか?と思った記憶があったので。
その価格よりも、抑えめに抑えめにシンプルに小さく、でも人数は近くの親族にきいて、マジか…となり。20人くらいが限度やなぁと感じ…「そのお部屋は22人はアウトですか?」とか不躾にも聞きながら、決めていきました。


結局、葬儀の費用はわかってもお寺さんの費用がわからないので、どきどきしながら翌朝死亡届けを出し、お寺さんにいったことが強く記憶にあります。


とにかく、足をださないように。
できるだけ、母に渡したいと言われた通帳には手をかけないで済むように…と、
心がけて葬儀の話を取りまとめました。
あとは、時間が勝負、スケジュールが勝負で、私のアシスタントは主人しかいなかったので、ただただ一手一手に集中していたので、私は全然悲しくなかったです。



義母の時もそう思ったのですが、私は辛くなくて…
故人との楽しかったことしか頭に浮かんでこない体質のようで…どれだけ死に顔を見ても悲しくならないようです💧
私は血が流れてない、ロボなんじゃないかな?って思ったりします。。。😭
もちろん、人と話して思い出して泣いたりはありますが、ズタボロに泣くなんてことは…もう、生きている間にいっぱいしたので。

なんか、葬儀の時は、
「ありがとう、お疲れ様でした☺️」
としか思えないのです。
人が壊れてるのかな…😅


ま、で、とりあえず。

父は、少し微笑んだような顔で、きれいな肌のまま、サイズアップした棺桶にきれいに入れていただきまして、皆様にお顔見せすることができました。
納棺も見せていただきましたが、本当に美しく納めていただき、お仕事に感動しました。



長くなりましたが、
父の最後あたりの介護noteは、これにて終わりにいたします。

『ぼっち在宅介護』ラスト回
お付き合いいただきまして、ありがとうございました😊


あ、別件、またすぐ書きます😛
書きたいこといっぱいあって。
父からの宿題のことや大人の宿題のこととかです。またよろしくお願いします。

では、バイ🖐️



#ぼっち在宅介護

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