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ぼっち在宅介護 認知症の母がデイサービスに行きたくない理由について

雑記です。オススメでもなんでもありません。
何度もかきはじめては、うまくまとまらず、今回もうまくかけないかもですが。

母の経過を全て書くと、全く本題に辿りつけないので、ざっくり状態と本題の前後だけをかきます。

認知症と診断された母、介護認定がおりた一年目は、まだ父と一緒にこの家におりました。

母を物忘れ外来に連れていきますと、小さな脳梗塞を何度か起こしていて、その中の一番大きな脳梗塞の跡の部分がダメージを受けていて、脳血管性認知症といわれてました。いわゆるマダラ認知症というそうです。
脳が、活発に動く部分もあるけれど、ダメージを受けた部分は戻らないといわれました。

ダメージを受けた部分は、集中力、忍耐力、計算などが難しくなるであろうと言われていたと記憶します。


もともと、母は家庭科の教師をしていて、結婚をしてからは主婦をしながら家で編み物の教室開いていました。コミュニケーション能力が高く、手先が器用で、計算も早い人でした。


デイサービスを利用しはじめる時も、スタッフさんから
「Mさん、良ければ編み物を皆さんに教えていただけませんか?」と誘っていただいたんですが、、、
「私ね、指がこんなで傷めてしまったから、編み物ができなくて…」と母。
数年前から、編み物をしなくなっていましたが、やたら解く作業だけしていました。

「あら、残念です。でも、刺し子やアレンジメントフラワーとかいろいろありますから、遊びにいらしてください」と言ってくださり、契約させていただきました。


デイサービスは、もともと年寄りが行くところというイメージもあり、いろいろぶつぶつ文句を言ってはいましたが、人に何かを教えることとか、人の集まる趣味の場所という空間に身を置きたくなってくれたようで、出かける日のために一生懸命用意をしたりする面もありました。

もちろん、認知症なんで、行く前に突然行きたくないとか、荷物ができてないとか、理由をつける事も多々ありました。
が、車が見えなくなるまで笑顔で手を振り続けて送りだしていました。
(これは、母の満足度アップキャンペーン。他の利用者さんと同乗していくのですが、いつまでも手を降る娘、うちの子いいでしょう?とニンマリさせるという、行きたくさせるキャンペーンの一つでした。)


ですが、しばらくして、1人で夜中トイレに行く際に、ズボンを脱ぎながら歩き、転倒。
尻餅をついて腰骨を圧迫骨折することに。

しばし、骨折の痛みと自分で自由がきかない事を理由にデイサービスを休んでいたのですが、
「そろそろいかがですか?リハビリも兼ねて」とデイサービスからご連絡をいただきました。

聞いてみると、やはり、痛いだのお風呂が危ないだのごちゃごちゃ言って話しにならず、諦めかけていました。
すると、スタッフさんが「お見舞いに行かせていただけませんか?で、良ければお誘いに。」と来てくださることに。


認知症だからか…母だからか…
お見舞いという名のチヤホヤは気分がいいようで、楽しくおしゃべりしていました。ただ、お誘いには、のらりくらり話をかわして、首を立てに振りませんでした。

「私、怪我したでしょ?こんなんじゃ行けないから、行かない」
「大丈夫です。Mさん、スタッフがちゃんと支えますから。シャワーもお風呂も入れますよ。」
「いや、危ない」
「どこが危ないですか?」
「どこって、い、入口とか、お風呂もだし…」モゴモゴ

終わりの見えないやりとりを辛抱強く話を聞いてくださって、30分か1時間か経った頃…


「あの方いるでしょ?ずっと横になってるおばあさん…」
「え?誰?あ、○○さんのこと?」

聞いたら、要介護の方で、ずっと横になっている方がいるそうで。

「あの人みたいに見えない?」
「???何がですか?」
「…」


私はわかってしまいました。
母の本当の理由が。

デイサービスにずっと横になってる利用者の女性がいるそうでして。介護度的に重い方で、ずっと横になっているそうです。
横になってるので、寝癖や服装が立ち振る舞いできる方々とは違って見えていたんでしょう。母の中の『おばあさん』象とか、なりたくないイメージとか、いろいろがないまぜになり、その方に映っていたんだと思います。

で、その方みたいになってしまったかも?
周りからそう見えてしまうかも?
その恐怖とか寂しさとか悲しさとかが混ざって、
「行きたくない!」という言動になっていたのでした。


なんと意地悪なことを思ってんだ!ウチの母は!と頭にきたし、そんな事言う奴は、優しくしてもらわなくていい!と私は思いました。

私は、「何言ってんの!!!」と叱りかけたのですが…スタッフさんが制してくださって。

残念に思いながら、母の思いを通訳しますと…
経験値の高いスタッフさんは、
「○○さんは、○○さん。Mさんは、Mさんですよ。同じじゃないですよ。」
「同じに見えない?」
「○○さんには○○さんの事情があります。MさんはMさんの事情とおケガがあるでしょう?皆さん1人1人違っていいんです。早くリハビリを進めて元気に歩けるようになりましょうよ。私たちプロですから、任せてください。怖いとか危ないことはしません。お風呂嫌なら入らないでいいですよ」と笑顔で話してくれていました。

目からウロコ、ポロポロ落ちました。

いろいろ思っちゃう、感じちゃうのは仕方ない。人それぞれ。個性。
それは、そっと置いといて。
今出来ること、やりましょうよ。早く元気になってしまいましょう!

スタッフさんからの言葉にそう言った想いと、プロ意識を見た気がします。


母は、普段のデイサービスでも、ちょっとしたいけずな行為が出ていたそうです。
スタッフさん一名。利用者さんの中に一名。
意地悪なことをいう人を作って過ごしてると言う話でした。。。もうがっかりするやら、情けないやら。


でも、スタッフさんは言われました。
「今のターゲットは私なんで、構いませんよ。そう言う方、いらっしゃるんで。慣れっこです。でも、利用者さんにはちょっと可哀想なんで、カバーに入ります。」

「どう言った方ですか?」と聞くと。

刺し子の集まりをじっとみているだけの方がいるそうなんです。体調的にあまり上手にできないので、見るだけにしたいと、見てらっしゃるそうで。

その方に仕切りに母は、
「見てないで、あなたもなんかしなさい。みてるだけなんか意味がないわよ」的な事を言って意地悪するんだそうです。

ほんとにその方には申し訳ない気持ちになりました。



母は目に見える成果が大事な人でした。
私たち子どもに対してもそんなことを押しつける風潮がありました。

教師だから、きちんと見えなきゃとか、やる事やんなきゃとか、人からどう見えるかを気にするところがありました。

うまくいろいろできなくなってきて、簡単に人からちゃんとして見えるようにするには?と、
小さくなってきた脳をフル回転させて出ていた行動がこれだったんだと思います。

人よりも優秀に見えたらいい。
人よりも優をたくさん持てばいい。

人より意味のあることをしている自分。
人よりちゃんとしている自分。

それが何より欲しい事実だったんだと思います。


その当時は、ただただ母を見て、《人間がちいさいぞ!》っと怒っていたと思います。
そのイライラが母に伝染していたと思います。
母のイライラはデイサービスの皆さんが全て受け止めていてくれたんですね。だから、続いていたんだと思います。


母のお母さんである祖母は、長子を優遇する感じの人でした。姉にあたる叔母に全てを継がせ、立てている感じがしていました。
母は、ほとんど祖母の昔話を聞かせてくれた事はありません。
とにかく、事あるごとに、「おじいちゃんね。お母さんのお父さんだけはよく褒めてくれたのよ。おじいちゃんは優しかった」と言ってました。

祖母に冷遇されたのかもしれない。
叔母が優秀だったのかもしれない。
祖母が目に見える成果しか褒めてくれなかったのかもしれない。

そして、祖母もそう育てられてきたのかもしれない。


それは、そうかもしれないけれど。
考え方としては悲しすぎる。
晩年に、辛抱する力を失って、人に向ける気持ちがそんなことっては思いました。

今、三年ほど経って、母に会えるなら、もう少しその辺りの気持ちに寄り添って、できない母を一緒に受け止めるような言葉がけをしたいなぁと思います。
できない母も私の母だと、私も受け入れる。
母は、できない自分を受け入れる。
共にすることで、別の行動がとれたかなっても思います。


もし、母のような人がいて、意地悪されてデイサービスが不快で辛くていけなくなってる方がいらしたら、ごめんなさい。

そう言うケースもあると思います。


けど、母のように、できない自分を受け入れられなくて行きたくない方もいるかもしれません。行きたくない理由のもう一個向こうに理由が隠れているかもしれないのです。発してる言葉の裏に、別の事情やしがらみや思い出があるかもしれません。


母のデイサービスに行きたくない理由についてでした。

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