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ぼっち在宅介護の雑記 外野からの呪いはその場に置いて去る

今回はオススメではなく、雑記。

介護をしてますと、いろいろ外野が心配をして声をかけてくれたりします。

私の場合、ただただうんうんと聞いてくださって、「うちもそうだったよー」と明るく返してくださると、なんとなくホッとします。
勝手なんですけど。


逆に、「大丈夫なん?美容院とか行けてる?」とか「あんたも寝れる時に寝ないとあかんで」などと言われますと…
なんか不幸な呪いをかけられてる気がしてきて…
私のブラックな心が出てきたりします。

び、美容院?
私、美容院いかないと可哀想なのか?
じゃ、2時間だけでも介護変わっていただけます?


あと
「できることあったら言うてねー」と言うのもあまり好きではないです…
労りの気持ちなんでしょうけどねぇ。
やっぱりそんなんないから。今はないからさ。
ちゅうかしてくれんやん。
と思います。
ほんまに、オヤジ好みにオヤジと留守を預かってくれるのか?って思ったら、まず無理なんですよね。

在宅介護は、介護される人の性格もあるし。
誰でも良くないのである。
だから、在宅なわけで。誰にも何にも頼めないのでーすっ。

結局、誰かに何かを頼めるとしたら、父本人に留守番。
または、週末に主人が来てくれた時に留守番が頼めるかなーくらい。(基本、田畑の草刈りなんぞをやってくれるので、介護自体を頼めることはない。)



だから、挨拶ていどの労りは…
ちょっと不幸の呪文をかけられてるような…
違和感を感じてしまいます。
オヤジ譲りのひねくれもんです(笑)
だから、最高に笑いながら、あははは〜と本気で笑い飛ばして返してやります。


あと、
「介護してるのに明るい!」と言われたことがありましたね。親類の法事で。
きっと悪意はないんだと思いますが。。。なんなら、褒め言葉だったんだろうけど。
けど、私は言い方にちょっとむむむって思いました。

介護って暗くしてないとダメ?
不幸そうじゃないと不謹慎?
明るい介護ってあったらあかんの?

向かう先が萎んでいくとしても、冗談を言えるような在宅介護ってあってもええんちゃうん?って思いました。

本当にいろいろあったし、不憫に思ってくださったのかもですが、、、
なんちゅうか、言い方、言葉チョイスが、自分より不幸そうな人を探してはる方に感じてしまいました。
やっぱり父に似て天の邪鬼なんで(笑)

人は決して1人では生きれないので。
いろんな方々と意見を交換しながら、模索して生きていく部分はあるとおもうのですが。
人は最後は1人で死んでいくので。
やっぱり、個の気持ちも大事だと思っています。心の自立は大事だと思うのです。

いろんな思いやりや心遣いの中で、すっごい嬉しいものもあるし、無理やなぁと思うこともあるし。それは、友人知人に限らず、家族でも夫婦でも恋人でもあるので。

ええ感じの距離感をそれぞれ見つけていきたいなーと思います。


近所に、同じくらいの年齢のおじいちゃんを介護してはるお宅があって。在宅介護度は近いけど、症状は違う。毎週、移動販売車の買い物の時に、お嫁さんとだーっとしゃべります。ものの5分10分。年齢も違うし、家族構成も全く違うけど。


ある日は、
「今週、どんな?」
「うん、落ち着いてる」
「あー、よかったうちも」とか

別の日は
「昨日から調子悪いねん」
「え?大丈夫?寝れてる?」
「私はなんとか」
「先に逝かせんといてやー、うちが先やで〜」
「え〜、整理券はもらってるけど、こればっかりわなー」(笑)

これが一番励みで癒しになる。
5分10分がいい。意外と介護の訪問者の時間に追われているから。匙加減のわかっている人の言葉は、すーっと入って来て、すっと消化できます。
今、現在進行形で在宅介護中、いろんなことを加味したシンプルなやりとりが、顔や頭、心の筋肉を緩ませてくれます。


人生において、いろんなターニングポイントに出会いはあると思います。

例えば、介護。
済んでしまった人。まだまだこれからの人。
急逝される場合もあれば、長い場合もある。
家族や親類の支援がある人もあれば、支援も援助もないのに口だけだされる人もあるだろう。
全くなんの手助けのない人もいるはず。


ふと、孤独に、暗めのトンネルにいる気分になる時はあります。
それは、みんなあると思います。


でも、周りの優しそうな方々の声がけで、光をみつけられるなら、それは素敵なご縁。
だから、大事にしたいなぁと思います。


けど、声をかけられるたびに、違和感とか、不幸の呪いをかけられている気分がしたら、今はさらっと距離を置いたらいいと思うのです。


せっかく…とか
気持ちやから…とか
そんなんはそこに置いといて。

心がええ空気吸えるとこまで移動した方がええ。もちろん、自分が移動する側にはなるけども、その労力は絶対的に価値があると思います。なんて言ったって空気はその方が確実にうまいに違いないと思うのです。


わざわざ不快と感じるその沼に一緒に落ちてあげる必要なんかはないと思うのです。
今の人生の時期として、日として、時間として、私にはいらない散歩道。

もし、その人がほんとにご縁がある方ならば、また違う時に出会えるし、話せる機会があるはず。



とは言え、かく言う私も、相手のことを知りもしないで優しいふりして声をかけたり、態度をとったりしていたこともあったんじゃないかと…最近思います。

その際に、不快になった方がいたら、本当にごめんなさい。

人生の半分くらいになって、やっといろいろわかってきたかもしれません。
これから、もっと精進します。
好かれる覚悟、嫌われる覚悟、いろんな覚悟を持つ大人になれるよう精進します。


雑記でした。
























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