寄り添うとは…
言葉や文章っていうのは、ホントに難しくて、発信することは、とても良いことだと思う反面、とても責任のいることだと改めて思う269(つむぐ)です。
#だけどね福祉をもっとカジュアルに伝えたい
#重くしたくないんだよ
#入り口を広く敷居を低くがモットーです
おはようございます。こんにちは。こんばんは。 これは、アラフィフ主婦の挑戦記。 専業主婦歴20年。その後、重度知的障害者施設のパート勤務数年の私が、『障害者アートを広める』という活動に奮闘するまいにちを更新しています。
私が、パートだとか、無資格だとか、アラフィフだとかをわざわざ毎回発信しているのは、『誰でもできる』を伝えたいからなんだけど、私まだ何もできてませんよね💧
生きづらさをプラスに変える
10/2㈯ ↑↑↑ コチラの講演会に参加しました。
不登校や成人期のひきこもり、LGBTQ。
そんな方々が「生きづらさをプラスに変えるきっかけ。」について何か少しでも感じることができたなら…
私の「障害者アートを広めたい」という活動とは、少し違う分野の講演会ではあるのですが、「生きづらさ」というのは、障害の有無関係なく、誰もが抱えている問題で、分野とかそんなもの考える必要はないと思い、参加しました。
寄り添う
この講演会に登壇された棚園正一先生。
以下の著書を出版されています。
事前にこの著書を拝見してから、講演会に行きました。
本には書ききれていない部分もたくさんお話してくださいました。
たくさん色んなことがあった。
その経験のさなか、あの苦しい思いをしているときって、「大丈夫だよ」「焦らなくてもいいよ」なんて言葉は、きっと届かなかった。
誰の言葉もきっと届かなかったのだと…
だけど、ずっとそのままなわけじゃない。
いつか時間がたって、ふと顔をあげられたときに変わらずそこにいて、笑顔であたりまえのように接してくれる人がいる、それが「寄り添う」ってことなんじゃないだろうか。
講演会の最後、そんな風に話されました。
寄り添うって、ただそばにいるだけのことじゃない。
それは分かっていたつもりでした。
だけど、ホントに「つもり」だったんだな。と思いしらされました。
0か100か
私は、そんな性格でした。
「100」じゃないと「完璧」じゃないとやりたくない。
だから、今まで全部中途半端に終わって、誰にも何も見せませんでした。
そして、完璧にできないことで自己嫌悪に陥り、やる気を失い、専業主婦という職業に逃げました。
だけど、福祉というこんな自分でも役に立てると思える職業に出会い、もっと何かできるんじゃないか?
完璧でなくてもいい。失敗したっていい。誰かの助けを得ながらでも、何も持っていない自分も挑戦していいのかな…と思えました。
このnoteは、私のできないもの、ダメなことをわざと見せる場所😊
今はまだ、「つもり」だったとしても、いつか誰かに本気で寄り添えることができますように…
何かを持つこと
講演会終了後、その場で本を購入された方は、もともと先生がイラスト付きでサインをされていたものに、宛名を追記してもらっていたのですが、私は、自宅から本を持って行っていたので、
「ちょっと待ってもらえたら、絵も描きますよ。」と仰ってくださり、サインの列が終わるのを待ち、イラストを描いてもらいました。
サラサラとサインペンが進み、あっという間に子供時代の可愛い先生と、顔を上げ、前を向くことができた大人の先生が出来上がりました。
あたりまえだけど、プロだな…と思いました。
いま、私はなにも持っていない。
完璧じゃなくていい。だけど、「0」で誰かに寄り添うことはできるのかな?
「0」から成長していく、アラフィフを今後ともよろしくお願いいたします。
今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
今日もあなたは、あなたらしさをありのままに(^^♪
269(つむぐ)でした。
皆様からのサポートで、知的障害者施設の自主製品を購入し、その商品を地域の保育施設の子供たちに贈ります🎁 その優しさをめいっぱい気持ちを込めて、丁寧に届けてまいります。好きです!