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【創作大賞2024】パラサイト/ブランク 10話

10話「侵食」

霧原に指示された羊子は急いで机の隅に置いていた自分の黒い携帯電話を手に取り、耳にあてて黒河朱莉の自宅の番号へ電話をかける。

(お願い黒河さん、出て……!)



明かりの消えた誰もいない部屋に、突如電話の通知音が鳴り響いた。2回、3回、4回……と続けてコールがされるが、受話器をあげて電話に出ようとする者はいない。

(え––––電話?)

午後にパラサイト課に出かけた後、坂咲青と別れて自宅に戻ってきていた黒河朱莉は自室のベッドの上で身を起こし、じっと耳をすませる。

(今って何時だっけ……)

朱莉はベッドのそばに置いている目覚まし時計を確認する。午後22時30分。嘘だ、帰宅してからそんなに寝ていたのか⁇

(……お父さんとお母さん、もう帰ってきてるかな。リビングに行ってみよう)

朱莉はそう思いたち、1階に続く階段を手すりを持ちながら下りていく。

(あれ?)

リビングは電気がついておらず、真っ暗だった。変だ、いつもならこれくらいの時間には両親とも帰宅してテレビを見ていたりするのに……。

(もしかして、台所かな?)

朱莉はそう思い、台所に向かう。ドアを開けると、ここも真っ暗だった。中の冷えた空気が、朱莉のほおにあたる。

(え……なんで誰もいないの?)

「……お、お父さん、お母さん、どこ?」

朱莉は誰もいない家の中の空気にとてつもない恐怖を感じ、身を震わせる。その時、再び電話のコール音が鳴り響いた。玄関のほうからだ。

(また電話?)

朱莉はたった今感じている恐怖から逃れたくて、玄関の靴箱の上に置かれた固定電話を取りに走る。

「––––はい、黒河ですが」
『……あ、やっと繋がった!ねえ黒河さん、今大丈夫⁈』

さっきからコールしていた電話の相手はパラサイト課・宵ヶ沼支部のたしか……。

「えっと……し、柴崎さんでしたっけ?大丈夫って何がですか?」
『それはええと……。あなたの体のことなんだけど、その……どこか変わった部分とかない?ほら、爪とか歯が尖ったり、尻尾が生えたりとか……』

朱莉は一瞬自分の思考が停止したような気がした。いったい突然何を言い出すんだ、この人は。

「……あの、柴崎さん。言っているの意味がわからないんですが」
『……えっと。あの〜すみません、やっぱり私じゃうまく説明できないので霧原さん後お願いします』

えっと、から後のほうは携帯電話を離しているのかはるか遠くのほうで聞こえた。間をおかずに柴崎さんは霧原という男性(たしか昼間に会った長髪に白衣の人だ)に通話を譲った。

『……もしもし、黒河くん。こんな夜分にすまないが、これは急を要する話だから真面目に聞いてほしい。本当に今のところ、体になんの変化もないのかね?』
「え……はい。特に何も」
『さっき柴崎くんが言っていたのは、一般の人間がパラサイトに変化した時の特徴だ。あと挙げるとすれば、髪色が白っぽくなって瞳や舌が寄生された影響で緑色に充血する』
「–––は? いや、霧原さんまで何言ってるんですか」

朱莉は再び思考停止しそうになる。この人まで何を言い出すんだ、いい加減にしてくれ。

『今質問をしているのは私だ。悪いがはっきり答えてくれないか?』

霧原の声が一瞬だけ鋭い冷たさを帯びる。有無を言わせないその響きに朱莉は素直に答えることにした。

「本当です。髪の色も普通だし、目も歯も爪も尖ったりしてません。あと尻尾もないですよ」
『……なるほど、わかった。ならきっと……君はまだ外の月を見てないな』
「月?月がどうかしたんですか」 
『頼むから、今夜の月だけは絶対に見ないでほしい。今から君の家に向かうから、私たちが到着するまでそこを動かないように。いいかね?』
「は、はい……。わかりました」

朱莉がそう答えると通話は切れた。いったい2人そろってなんなのだ、もう!

(仕方ない。霧原さんにここから動くなって言われたし、リビングにいよう)

朱莉は固定電話の受話器を元に戻すと、真っ暗な玄関から手探りでリビングに向かった。



「霧原さん……今のじゃ、完全に怪しい人ですよ私たち。黒河さんにドン引きされてましたもん」
『……怪しいも何も、私は彼女に事実を伝えただけだ。まあ……下手をすると今すぐ実現しかねないがな』

羊子は自分の携帯電話を両手で胸の前に握りしめたまま、深いため息をつく。霧原はその様子を床から見上げながら、心外だという顔をしている。

「そうですよね事実なんですけど……でも、普通の人は絶対信じてくれませんって……だって私も自分の目で見るまでは信じてませんでしたからパラサイトのこと」

そう言いながら羊子は床に手足をついて座る霧原を見る。

『……柴崎くん、なんだその目は。私に何か言いたいことでもあるのか?』
「いえ?別に深い意味はないです。あ……そうだ霧原さん、今から黒河さんの家に行くならその手と足だけでも元に戻せないんですか?」

霧原は羊子にそう言われ、自分のパラサイトに変化した手と足を見やる。先ほどは急を要していたので気にも止めていなかったが、たしかに今の状態では立つことができないので不便である。

(……もう一度試してみるか)

霧原は自分の腕から先と、太腿から先の部分に意識を集中させて「戻れ」と頭の中で強く念じてみる。すると、指先やつま先のかたちが3本から5本へとゆっくりではあるが変化していくではないか。

「……すごい、こんなことって」
『おいらは見るの今日で2回目だけどな〜。やっぱりなんかすごいわキリハラ』

羊子はイスの上で絶句し、肩の上のパラサイトくんは少し興奮気味にその様子を眺めている。

『……柴崎くん。私のことはいいから、黒河くんの家に向かう準備を早くしたまえ』
「あっ……す、すみません。部屋から懐中電灯とバッグ取ってきますね」
『あればでいいが、拘束に使う丈夫な紐かチェーン(鎖)もな』
「……了解です」

羊子はやっと立ち上がったばかりの霧原にそう叱咤され、慌てた様子で研究室のドアを押し開け、自分の部屋に走っていった。

『な〜キリハラ、またおいらもついてっていい?』

パラサイトくんが羊子が押し開けていったドアが閉まるのを見ながらそう聞いてきた。

『ああ、構わない。ただし現場では余計なことはするなよ』
『うん。あ……今思いついたけどじゃあ食事とかは?キリハラもさっきから何にも食べてないし、お腹空いてるよね?』

パラサイトくんは霧原の肩の上で小さな両足をぶらぶらさせながらたずねてくる。

『うーん……そうだな。たしかに空腹なのはその通りなんだが、仕事中の食事は一切しないことにしている』
『え〜、またお預けなの⁈ それじゃおいらもキリハラもずっと腹ペコのままじゃない』
『……パラサイトの肉は今夜はまず手に入らないだろう。だから今からの仕事が終わったら、帰り道に近所のコンビニで《 《肉》を買って帰ろう思う』

帰り道に近所の〜あたりから霧原はなぜか声をひそめて続ける。

『えっ?それってどういうこと……キリハラ。パラサイトの肉なんて普通のコンビニじゃ売ってないでしょ』
『……いや、ある。それからコンビニはコンビニだが、普通のじゃない。パラサイトにとって必要な品が置いてあるところだ』

霧原がそこまで行ったところで、羊子がドアを開けて戻ってきた。同時に後ろから髪の乱れた浅木が研究室に飛び込んでくる。羊子は手には肩にかけるタイプの小型バッグを持っている。浅木のほうは、救急箱を持っていた。霧原はパラサイトくんとの会話を顔の前に右の手のひらを突き出して止め、2人のほうを向く。

『ああ、おかえり。出かける準備はもういいのかね?浅木くん、すまないが傷口の処置を頼む』
「……はい、とりあえずさっき言われた丈夫そうな紐とチェーンは入れました」
「霧原さん、お願いですから今度から怪我したら早めに言ってくださいね〜。これ、ほっといたら化膿して切断とかしなきゃならないやつですから」

羊子はそう言ってバッグをぽんぽんっと手で軽くたたく。浅木は怪訝な表情で霧原を見上げて、傷口に消毒液を手際良くかけていく。

『よし、ならすぐに出発しよう。ああそれから、今回も彼がついていくそうだが構わないね?』

霧原はそう言い、左肩に座るパラサイトくんを指先で示す。羊子はそれを見てうなずく。

「大歓迎ですよ、旧校舎の件でもいろいろ活躍してくれましたし……。ね、そうよね君?」
『……べ、別にあれはおいらは何にもしてないからね。頑張ったのはヨーコとキリハラだもん』

そう言いながらパラサイトくんは羊子の顔から目をそらしてうつむく。なんとなく恥ずかしそうな表情だ。

『と、とりあえずアカリの家に早く行こう。ねえキリハラ』
『ああ、そうだな』

霧原はそんな様子のパラサイトくんを見てくすっと苦笑をもらす。

『ちょっとキリハラ、おいら見て何笑ってるの。なんか感じ悪〜い』

パラサイトくんはぷうっ、とほおを膨らめて霧原に抗議するがその後につままれてしまい、彼が着直した白衣の裾ポケットに頭からつっこまれてしまった。

足は靴を履けば誤魔化せるだろうが、手はそうはいかない。霧原はパソコンを置いた机の引き出しの1番下を開けて、黒い革手袋を取り出してはめた。これで目立たないはずだ。

「霧原さん、おいてきますよー!」

ドアの向こうから羊子の呼ぶ声がしたので、霧原は机の引き出しを閉め、研究室から廊下に出た。浅木がドアが閉まる直前に叫んだ。

「……霧原さん、お気をつけて‼︎」



(……おかしい、昨日までこんなことなかったのに)

朱莉は真っ暗になったリビングの照明のスイッチを入れ、薄型テレビの前に置かれたソファーに座って考える。照明の柔らかな橙色の明かりがリビング中を満たして朱莉の不安だった心が少しだけ落ち着きを取り戻す。

ソファーの上に置かれたお気に入りの大きな猫のキャラクターのクッションを抱き抱え、ちょっと前に電話をかけてきたパラサイト課の2人が到着するのを待つことにした。

「……お父さん、お母さん早く帰ってきて」

朱莉の小さなつぶやきが誰もいないリビングに響いた。



パラサイト課の宵ヶ沼支部から黒河宅まではタクシーで移動することにした。理由はなるべく目立つのを避けるためだ。特に今の霧原の緑色の髪や瞳、白すぎな肌の色などは一般の人が目にしたら、コスプレと間違われてもおかしくない。

「あ……すみません運転手さん、そこの角を左折です」

羊子が手元に携帯電話を持ち、地図を表示させた画面を見ながら言う。

「わかりました……あの、お客さんさっきから気になってたんですがその髪とか目って染めたり、カラコンとかしてるんですか?」

年の若い感じの運転手がふとミラー越しに霧原を見て、そう聞いてくる。

「ああ、いえ……これはその」

ここは何と言って切り抜けようか。羊子はそこで普段ほとんど使わない頭をフル回転させてみる。

『そうですよ。これ、趣味で染めてるんです……と言ってもおじさんですけどね』

霧原が羊子より先に答え、ミラーに映るように髪の左側を一房つまんでゆすって見せてから口角を少し上げて笑う。

「ちょっ……霧原さん、いきなり何言い出すんです?」
『……構わんだろう。別に君が悩むことじゃない』

羊子が慌てて霧原を小声でたしなめる。

「だからって自分から言い出さなくてもいいじゃないですか……!あんまり目立たないようにしたいのに、これじゃ意味がないですよ」
『……まあ、それもそうか。柴崎くん、すまん』

先ほどの発言を後悔したのか、霧原は少ししょんぼりとしているように見える。

「あ、お客さん……もう着きますよ、あの家ですよね」

運転手がそう言ってフロントガラスを白い手袋をはめた手で指さす。車の前面につけられたライトが2階建ての日本家屋を黄色く照らし出す。羊子は手元の携帯電話の地図表示を確認してうなずく。

「はい、間違いないです。あの、じゃあここで下ろしてください……お釣りは結構ですから」

羊子は肩にかけたバッグから財布を取り出して中から紙幣を一枚、運転手に手渡す。

「……行きましょう、霧原さん」

羊子がそう言ってうながすと、霧原はのそりと開いた右側のドアから先に外に出て行った。羊子もそれに続く。



家の外で車が止まるような音が聞こえた気がして、リビングにいた朱莉はクッションに埋めていた顔をあげてじっと耳をすませる。

(……もしかして今のは)

朱莉は明るいリビングから真っ暗な廊下を通って、玄関へ向かう。引き戸の擦りガラスにちらちらと光が反射し、足音とともに誰かがこちらへやって来る気配がする。きっと電話をくれたパラサイト課の人たちだ。朱莉はそう思い、引き戸をガラガラと勢いよく開けた。

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