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【創作大賞2024】パラサイト/ブランク 19話

19話「EXTRA/夏の訪問者」

西暦202X年、8月。毎朝天気が良い日には抜けるような青空、遠くにもくもくとした入道雲が見られる季節–––すなわち夏に突入していた。日中のうだるような暑い日差しは苦手なので、外出は夕方にすると決めている。

その日は朝から雨が降っていた。前日の夜から降り出した雨が今朝になって土砂降りに変わり、今や道路や通行人の差している傘に雨粒がはねるくらいの強さになっている。昨日はあんなによく晴れていたのに……。

私、柴崎羊子は今まで差していたびしょ濡れのコンビニで買った透明なビニール傘を急いでたたみ、円谷つぶらや団地の004号室のドアを開けて雨に濡れる前に中へ飛びこんだ。ドアに鍵をかけ、防犯用のチェーンをノブにかけると今まで焦っていた気持ちが嘘のように落ち着き、心に余裕が生まれる。

「ただいま」

部屋は一人暮らしを想定された作りで、居間とキッチンとお風呂以外のスペースはない。私は小さな丸テーブルを置いた居間に入ると、誰にともなくそう声をかけた。テーブルの上には二頭身で、4.5センチほどの円形の台座付きの8センチくらいの大きさのフィギュアが2つ、よりそうようにして並んでいる。

片方は黒い警察官風の衣装を着た、小さな熊の耳の脇から羊の巻いた角がのぞく……というなんともいえないデザインのキャラクター––通称パラサイトくん。こちらは私が以前勤めていた(実は事情があって現在逃亡中)、日本政府非公認の組織「パラサイト課」のマスコットキャラクターだ。なぜ今ここにあるのかというと、話がとても長くなるので割愛しようと思う。

もう片方は3ヶ月前に社長が逮捕される事件があった白峰製薬の白衣を着ている白い犬のマスコットキャラクター……通称シラミネ太郎である。こちらもなぜ今私の手元にあるのか説明をするには時間がかかる……なので省く。

両者ともどこを見ているのかわからない縦にぱっちりとした楕円形の目を、居間の奥にある薄型テレビのほうに向けている。電源は出かける際に切ったはずなのだが、なぜかONになっている。

「……あれ、帰って来たんですから何か返事くらいしてくださいよ。これじゃ私、完全に変な人じゃないですか」

私はテーブルの上の2体のフィギュアに向かって一人つぶやく。するとシラミネ太郎のフィギュアがくるりとこちらを向き、私に向かって小さな右手を口の前に持っていって「静かに」というような仕草をする。ここで普通の人ならば驚いて腰をぬかすかもしれないが、私はもうこの現象には慣れっこだった。

『しいっ……柴崎くん、今いいところなんだから、静かにしてくれないかね』
「……それは構いませんけれど、一体何を見てるんです?」

私に向かって、ムッとした表情で眉をはね上げるフィギュアのシラミネ太郎。その仕草と声と話し方に、私は《ある人》と一緒に過ごした日々を思い出してまた泣きそうになる。いけない。そう思って私はそっと、着ている淡いグリーン色のパーカーの袖で涙をふく。

『何って今日のニュースだよ。白峰製薬はあの時閉鎖になったが、そこにいた例の新種のパラサイトたちが何人か脱走したらしい』
「え……あの子たちが、逃げ出したんですか。地下は厳重に管理されてるようでしたし一体どうやって?」

私は涙をふく手を止め、シラミネ太郎に質問をしてみる。腕を組み、顎に手をあてるポーズ。何事か考え中のようだ。

『……残念だが、テレビの報道だけでは方法も理由もさっぱり分からん。彼らに直接会えれば、話は早いんだがね』
「それはつまり私に彼らを探せってことですか?嫌ですよ、厄介事に巻き込まれるのはもうこれ以上……ごめんです」

台座の上のシラミネ太郎は、顎に手をあてたまま「そうか、なら仕方ない。今のは忘れてくれ」とあっさり引き下がった。

「霧原さんそれ、わざと言ってません?頼み事があるなら、ちゃんと言ってください……私の出来る範囲でやってみますから」
『本当かね?あ…………いや、私はあくまで霧原眞一郎の脳に《寄生していただけの存在》だ。だから彼であって彼じゃない』

シラミネ太郎……いや、その中に棲みついた寄生生物パラサイトが私の言葉に訂正をしてくる。非常にややこしい。

「じゃあそれは、霧原さん以上でも以下でもないってことになりますよね。それからあなた、霧原さんの記憶とか意識とか今、全部持ってるんでしょう?だったらもう、霧原さんでいいじゃないですか」
『それはまあ、確かにそうだな……うん』

自分でも半分、何を言っているのか分からなくなってきている気がする。シラミネ太郎はさっきの私の言葉にうんうんと何度もうなずき、自分を納得させようとしているようだ。

『よしわかった。では改めて、私のことは霧原と呼んでくれてかまわない』
「……はい、了解です。あっ、そうでした。そろそろ夕ご飯作りますけど何か食べたいものとかありますか?」

私がそう聞くと、シラミネ太郎(霧原さん)と今まで無言だったパラサイトくんがほぼ同時に「食べられるものなら、なんでもいい」と即答した。

「いや、その……もっとこう、具体的な料理名とかないですか?」
『じゃ、おいらは肉100%のハンバーグがいいなあ』
『では私もそれとサラダを頼む』

パラサイトくんの注文にちゃっかりと便乗したシラミネ太郎が、サラダを追加する。意外だ、人の体だった時はあまり食事をしていた印象がないせいだろうか。

私は素直にうなずき、食材があるかを確認しにキッチンの小型冷蔵庫に向かう。扉を開けると卵が二、三個、絹ごし豆腐が一丁、冷凍庫には鶏と豚の挽肉が一袋ずつ残っていた。野菜室には半分になった玉ねぎが一個あったので、ハンバーグを作るには問題なさそうだ。

(これなら材料は問題なしね)

私はこれから買い物に出なくていい、ということに安堵し、冷蔵庫から取り出した食材をキッチンのまな板の上に並べていく。

日中の外出とはまた違い、夜の買い物も正直言ってあまり行きたくない。その理由は私が現在追われる身だからだ。一体何からか、といえば自分が3ヶ月前まで所属していた組織・パラサイト課からだ。

(この団地で暮らし始めて、あの日からもう3ヶ月も経つのか……)

あの日。私が宵ヶ沼支部を逃げ出した日。それから–––霧原さんが《死んだ日》。いや、たしか死んだのは体だけだった。あのフィギュアの中にいるパラサイトに彼の記憶や意識が引き継がれているなんて……いまだに信じられないし、信じていない。

(そうだ。夕食が終わったら、久しぶりに浅木さんに電話してみよう)



『……柴崎くん、これ本当にハンバーグかね?』

居間のテーブルに置かれた二人分の白い皿の片方にのった歪んだ楕円形のハンバーグを箸でつまんで一口食べた(ちゃんと手で持って器用に使っている)シラミネ太郎が、開口一番にそう言って疑問の表情を浮かべる。後から食べたパラサイトくんも同様の顔をしている。

「え?そうですよ。ちゃんとレシピ本通りに作りましたし、普通に美味しいと思いますけ……ど」

私も自分の皿から一口取り、食べてみる。特に異常はないように思う。

『……ではなぜ肉の味がまったくしないのかね?』
「それ、どういう意味ですか?」

私が言葉の意味を掴みきれずに聞き返すと、シラミネ太郎はふう……とため息をつく。いつもの呆れた時の癖だ。

『こんなことを食事の時にいちいち言いたくはないのだが……おそらく君が調理の際に振りかけた大量の胡椒で、挽肉の味が消えている。それから一緒に混ぜた玉ねぎが半分生の状態のままだ、あとサラダがどうしてこんなに塩っ辛いんだね⁈』

白い犬のフィギュアが少しずつ眉をつり上げて私を見据え、皿の上のハンバーグを指さしながら、不満をぶちまける。つまり、よっぽど不味かったのだろう。

「……すみません。私、実は料理がすごく下手なんです。今まで言ってなくてごめんなさい」
『なら、作る前に一言言うべきだろう? ……仕方ない。残すわけにもいかないから全部食べるが、明日の夜は外食にしよう。いいね?』

フィギュアの小さな両手を腰にあて、シラミネ太郎がまたため息をつく。私は渋々うなずいた。



微妙な雰囲気のまま夕食が終わり、別にすることもない私は先に入浴を済ませ、居間の隅にあるねずみ色の寝袋に向かう。テーブルの上の二人はそんな私には目もくれずに何かを話しこんでいるようだ。

パーカーの裾ポケットから二つ折りの携帯電話を取り出すと、パラサイト課の浅木啓太の電話番号を探して発信ボタンを押す。

(……浅木さん、出てくれるといいんだけど)

数回コールして、ダメか……と思ったところで相手が出た。

「……もしもし、柴崎ですけど。今、話せる時間ってありますか?」
『柴崎さん、一体今どこにいるんですか』

浅木さんが心配をにじませた口調で尋ねてくる。いつものような明るい雰囲気は全くない。

「それは……言えません。言ったら当然、私を捕まえに来ますよね?だから嫌です」
『……ああ、そうですか。じゃあ聞きますけど霧原さんが白峰製薬の屋上から転落死したあの日、なんで逃げたんですか? おかげであの後、僕はいろいろと作業が増えて大変だったんですよ……‼︎ 支部長も物凄く怒ってましたし』

私は事件の処理のためにあたふたと動き回る浅木さんと、烈火のごとく怒り狂う支部長の顔を思い浮かべて、あの時逃げた自分を殴ってやりたくなった。

けれど私はあの時……霧原さんのある提案に賛同しなければならないような状況だった。そうしなければ、今ごろきっと……ここに彼ら(パラサイトたち)はいない。

「浅木さん、残念ですけどパラサイト課から逃げた理由も今は答えられません」
『じゃあ……僕が誰にもそのことを話さないって言ったら会ってくれますか?』
「へ?今何て」

私は浅木さんの突然の提案に聞き返す。

『だから、どうなんですか?僕だって霧原さんがあの日、急に転落死した理由が知りたいんです。柴崎さん、お願いします』

浅木さんが涙声になる。彼は霧原さんと一緒にずっと研究をしていたのだから、当然だろう。その気持ちはよくわかる。

「……わかりました。では明日の夜7時に喫茶店の赤いろうそくで合流しましょう。この事、絶対に誰にも言わないでくださいね」
『わかりました。では、明日の夜7時に。おやすみなさい』



翌日の夕方。道路からの放射熱を不快に感じながら、私はボーダーのシャツと上にクリーム色のパーカー、下は紺のジーンズというパラサイト課にいた頃はまったく着ようともしなかった服装で、喫茶店「赤いろうそく」に向かっていた。

部屋に置いておくのも心配だったので、シラミネ太郎とパラサイトくんの二人は裾のポケットに入れて一緒に連れてきている。

『ねえヨーコ、これからどこにいくの?』

裾ポケットの左側から少しだけ顔を出したパラサイトくんが私を見上げて小声で尋ねる。

「喫茶店の赤いろうそくよ。今夜の7時に人と会う約束をしてるの」
『ふーん、そっかあ。じゃあ夕ご飯はそこで食べるんだね?』
「うん、そうね。なんでも好きなもの、頼んでいいわよ」

私がそう言うと、パラサイトくんの目がわかりやすく見開かれた。

『……相手は誰かね?まさかパラサイト課の連中じゃないだろうね』

右側の裾ポケットから訝しげな表情のシラミネ太郎が顔を出す。

「浅木さんです。大丈夫ですよ、彼と今から話すことは誰にも言わないって約束してますから。今まで一緒に研究していた人のこと、信じられないんですか?」
『別に浅木くんが信じられないわけではないが……もし支部長と彼が繋がっていたらどうする?そうなったら全部筒抜けだぞ』

険しい表情のまま、裾ポケットから身を乗り出すシラミネ太郎。

「考えすぎですって。もっと前向きにいきましょうよ、久しぶりに会うんですから。ね?」
『……なら、好きにするといい。聞き耳だけはたてておく』

そう言うとシラミネ太郎は再び右の裾ポケットに潜ってしまった。左側のポケットからパラサイトくんがその様子を心配そうに見ている。私はそんなパラサイトくんに「大丈夫よ」と言ってみたものの、なんとなく嫌な感覚だけが残った。



「いらっしゃいませ」

喫茶店「赤いろうそく」に入ると、カウンターからふくよかな店の主人が、こちらに愛想の良い笑顔を向けてきた。

店の中を見渡すと、一番奥のテーブルにすでに水色のシャツと黒のスラックス姿の浅木さんが座っており、私に向かって手招きをしてくる。

「……え、浅木さん?来るの早くないですか。まだ6時30分ですよ」

私は浅木さんのいるテーブルに歩み寄りながら、小声で言う。店内の壁にかけられた柱時計の文字盤を見て、浅木さんは「……実はこの後、白峰製薬の地下の管理に戻らなくちゃいけないんです」と言い返す。

「……例の逃げた子たちのこと、昨日のニュースに取り上げられていたみたいですけど。まだ見つからないんですか?」

私は浅木さんと向かい合うようにテーブルにつき、気になったことを質問してみる。

「ええ。おそらくパラサイト関連の報道は上が目を光らせていると思いますから、そのうち揉み消されるでしょうけど……。早く見つけないと大事おおごとになりそうです」
「……そう。パラサイト課は捜索に協力しないの?うちの支部とか」
「一応、警察側とは別に動いて捜索しているみたいです。えっと……そろそろ本題に入ってもいいですか?」

浅木さんがずい、とテーブルに身を乗り出す。目がいつになく真剣だ。

「まず最初に霧原さんが転落死した理由、次に支部から逃げた理由どちらからでも構いませんから、包み隠さずに全部教えてください」
「じゃあ……霧原さんのことから話します。それはあの日、霧原さんが屋上から飛び降りようとしていたのを私が止めた後にまた突き落としてくれと頼まれてやったことです」
「……なぜそんなことをしたんですか。そのまま引き止めていたら、霧原さん助かったかもしれないんですよ⁈」

話している浅木さんの眉がひそめられ、両目が涙で潤んでくる。

「理由は……たぶんパラサイト課から、なによりも支部長から逃げたかったんだと思います」
「支部長って、うちのですか? またなんでそんな」

浅木さんが困惑したような表情になる。

「霧原さんは、支部長に利用された上にある実験に協力させられてたんですよ」
「えっ⁇ 」

浅木さんが再び困った顔になる。私はできるかぎりそのまま、あの日の屋上で霧原さんから聞いたことを伝える。

「……その実験は人間にパラサイトの血液を与えて適合させるというもので、元々のパラサイトを人間に戻すための研究からはかけ離れたものだったそうです。霧原さんはそれに関わってしまい、ものすごく後悔してました」
「そんな……。霧原さんそんなこと一度だって僕に話したことないですよ。ああ〜なんでもっと早く気がつかなかったんだ」

浅木さんが今度は頭をかかえる。

「それから私が支部から逃げた理由ですが……これも霧原さんからの指示です」
「なるほど。わかりました、ところで柴崎さん、何か……僕に隠してる事ありませんか?」

浅木さんがそこで、がばっと顔を上げて私を見る。

「いいえ、ありませんよ」

私はとっさに嘘をつく。今、霧原さんの頭の中にいた寄生生物パラサイトと一緒にいるなんて言えるわけがない。

「……そうですか、ならいいんです。あ、そうだ。そろそろアパートの家賃払わなきゃいけないんじゃないですか〜?」
「言われなくても、この後コンビニのATMで引き出してきますから大丈夫ですよ」



迂闊うかつだった。浅木さんと別れた後に食事をし、帰り道にあるコンビニに寄ったまではよかった。パラサイト課にいた頃に入っていた給料はすでに底をつきかけていた。これはまずい、非常にまずい。

(家賃の支払い日……たしか明後日よね)

私はひとまずATMからの引き出しを諦め、大人しくアパートの部屋に戻ることにした。



翌朝。部屋の薄いカーテンから見た空は灰色で、窓ガラスに雨粒がいくつもついていた。そこに……滅多に鳴らない間の抜けたチャイムの音。

(え……誰?)

私は寝袋の中で身を固くする。そこに様子に気がついたシラミネ太郎がやって来る。

『……大丈夫だ、柴崎くん。パラサイト課の連中でも警察でもないよ。行って開けてごらん』
「ほんとですね?嘘だったら今日一日口聞きませんから」

私が疑いの目を向けると、シラミネ太郎はため息で答えた。寝袋から抜け出すと、乱れた髪のままで玄関のドアのチェーンを外し、ノブを右手で掴んで回す。

「く、黒河さん?どうしてここがわかったの」

私はドアの向こう側に立っている人物が予想外で、口が半開きになる。

「……おはようございます柴崎さん。とりあえず外は雨が降ってるので中、入ってもいいですか」

彼女は私の質問には答えず、そう言ってにっこりと笑った。

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