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【創作大賞2024】パラサイト/ブランク 20話

20話「EXTRA/春の記憶」

誰かが泣いている

誰かが呼んでいる

誰かが私を……

誰でもいい、何でもいい。私を《殺してくれ》、それだけで十分だ。

時期は3ヶ月前に巻き戻る。宵ヶ沼第三病院の一室。支部にいて浅木から連絡を受け取った雨野綾子はその日の仕事を全て放り出し、真っ白なベッドのそばに置かれた丸椅子に座り、横たえられた全身が傷と包帯だらけになった霧原眞一郎の横顔をじいっと見つめていた。

今日の午後に白峰製薬のビルの屋上から飛び降りた時の落下の衝撃で、手足と内臓が潰れて即死……起こった事が突然すぎてまだ頭の処理が追いつかない。

(……ねえ、それで私から逃げたつもり?)

私は包帯が巻かれた顔から見えている右目の周りの緑色が消えていることに気づき、小さく舌打ちをする……やられた、ここにいる彼はもう抜け殻だ。脳に寄生していたパラサイトはすでに別の場所に移動しているだろう。

(……まだ貴方にいなくなってもらうには早すぎるのよ。必ず探し出すから)



「おーい、何してんの?」
『……こら、耳をつつくな。気が散る』

柴崎羊子の借りているアパートの部屋に突然やって来た黒河朱莉が、テーブルの上の目を閉じているシラミネ太郎にちょっかいを出して迷惑そうな顔を向けられている。

『……たまには記憶の整理をと思ってね』
「へえ〜、記憶ねえ」

朱莉がテーブルのそばにどっかりと胡座をかいて座りこみ、頬杖をつく。

『ああ。一応人間でなくても記憶の整理整頓は重要でね……。たまに面白いものが出てきたりするんだ』

シラミネ太郎は再び目を閉じると、台座に戻り、体育座りになった。



満開の桜並木、アパートのベランダで泣きくずれる私、部屋の中には妻と娘の死体。

夜空に浮かぶ月は血のように真っ赤で、私はなぜか無性に《腹が空いていた》。無意識のうちに口の中に唾液が溜まってきている。

食べたい。

……何を?

食べたい。

……だから、何を?

『おまえ、そのままだとしぬぞ』

私の頭の中で突然、声がした。男でも女でもない、誰でもない《声》。その声がただ漠然と「何か食べろ、このままだと死ぬ」と囁く。

「……うるさい。お前は一体何なんだ?」

私が堪りかねて声をあげると、『ただの寄生生物。人間の体を借りなければ生きられない存在』という答えが返ってくる。

「出てけ、私の体から今すぐ‼︎」

私は頭を強く両手で押さえて、床にうずくまる。

『残念だが、それは無理だ。出て行くには君が死ぬしかない』
「なっ……⁈ 」

私の言葉の続きを見透かしたかのように、頭の中の声が言う。

『適合に失敗さえすれば、ほぼ自動的に死んでいたさ……幸い君とは適合率が高いらしい、その証拠に体が徐々に変化し始めているはずだ』

その直後に体中を火で焼かれているようなじりじりとした熱を感じた……ひどく不愉快だ。

「なら……さっきから私が空腹なのも、その変化とやらのせいなのか?」
『そうだよ。さっきベランダそこから出て行ったあの男も言っていたように、今夜のような月が赤い日だけは《人間を食べたい》という衝動が一段と強くなる……君の意思に関係なくね』

知るか。人肉食カニバリズムだと? 誰が好き好んでそんなことをするか。そう頭の中の存在に抗議しようと顔を上げる。

偶然にもこちらを向いて琴切れている妻と娘に目が合ってしまう。口の中の唾液がさらに増す。頭を強く押さえていたはずの両手が勝手に離れ、自分の意思とは関係なく二人の死体へと伸びていく。

「……いやだ、頼む、《止めてくれ》」
『それは無理だよ。こればかりはどうしようもないんだ。こういうものだと割り切るしかない』

頭の中の声に若干の申し訳なさのようなものを感じたが、そんなことは今はどうでもいい。

《止まれ》。人間の手とはおおよそかけ離れた獣じみた形状に変化した右手を、まだそのままの左手で必死に押さえる。頭では無駄だと分かってはいるが、何もしないのは耐えられなかった。

「止まれ、止まれ止まれ止まれ止まれ止まれええ……ッ‼︎‼︎」

ぐじゃり、という熟れた果物を床に叩きつけた時のように湿った音がして私の視界が暗転した。

『……終わったよ』

頭の中で再び声がして、私は目を開ける。開けっ放しのカーテンから見える空には朝日が昇り始めている。目の前にあったはずの妻と娘の死体は《どこにもない》。

「さ、櫻子と……春香は?ここに死体があっただろう」
『ああ。君が気を失っている間に全部《食べさせてもらったよ》。死体は放っておくと腐るしね』

その瞬間に猛烈な吐き気がこみ上げ、私は床に思いきり吐いた。

「あらあら。随分と汚したわね。これだと清掃スタッフも必要だったかしら」

背後から妙に艶のある女性の声したので、私は目だけをそちらに向ける。

玄関のドアを背に、両耳のあたりから垂らした前髪の毛先を緑色に染めた黒いスーツ姿の女性が立っている。

『……誰だあんた』
「パラサイト課・宵ヶ沼支部の支部長、雨野綾子よ。そういう貴方こそ……一体何者なのかしらね?」

雨野はそう言って私に歩み寄り、右手を掴んで目の高さまで持ち上げる。両手はまだ緑色で鱗と長い鉤爪が生え、ぬるぬるとした粘液で覆われていた。私はとっさに彼女の手を振り払う。

「まあ。髪も目も、まだ元に戻ってないのね。なんて綺麗な緑色……‼︎ この部屋、あんまり日当たりがよくないせいかしら」
「ねえ知ってた?大切な人を食べるのは究極の愛情表現らしいわよ」

そう言いながら、雨野は妖しく微笑む。

『……一体何が目的だ?』

私は雨野の行動や言葉の意味を理解しかねて質問する。

「……ねえ貴方、うちの支部に入らない?このままここにいても、警察に捕まるだけよ」
『余計なお世話だ。赤の他人に頼るつもりはない……帰ってくれ』

私が立ち上がると、彼女はそばで顎に右手を添えて何事かを考えていたがやがて意を決したように口を開く。

「じゃあ、一緒に人間に戻る方法を探しましょうよ。それならいいでしょう?」
『……何?本気で言ってるのか』
「当たり前じゃない。貴方だって、《それ》なんとかしたいんでしょう」



それから数日後。支部長の雨野綾子に誘われ、パラサイト課の宵ヶ沼支部に勤務をすることになった私は途方にくれていた。

食堂で昼食を食べ終わった後に割り当てられた研究室に戻ろうと思ったが、どうも気がのらない。

「どうしたんですか、なんだか疲れた顔をされてますけど」

不意に横から声をかけられ、声のほうを向くと生真面目そうな白衣姿の青年がこちらを見つめている。

「……ああいや、別になんでもないですよ。それより貴方は?」
「ああっ、すみません失礼しました。僕はここの研究員兼医療スタッフの浅木、浅木啓太です。えっと……たしか霧原さんでしたよね。今日からうちで働くことになったって支部長から聞きましたけど」

私は首を縦に振る。すると、浅木は急に嬉しそうな顔になった。

「あの……今日からどうぞよろしくお願いします!何かわからないことがあったらぜひ聞いてくださいね」
「……ああ。私のほうこそ、よろしくお願いするよ浅木くん」



断片的だが、鮮明に覚えている。全てはあの男と彼女のあの一言から始まったのだと。

あの日私が自殺を選んだ理由。それはあの男から、彼女から逃げたかった……単にそれだけなのだ。

(死にたいのに死ねないというのは……なんと不便なものなのだろう)

「ん、何笑ってんの?なんか……怖いんだけど」

いつの間にか感情が顔に出ていたようだ。そばにいた朱莉の表情が少しだけ引きつる。

『……いや、すまない。昔の記憶に面白いものを見つけたんでつい、ね』

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