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【創作大賞2024】パラサイト/ブランク 16話

16話「支部長」



その日の夕方。午前中に羊子と宵ヶ沼支部長と連絡をとると約束をしていた霧原は、研究室でパソコンの画面から顔を上げ白衣の裾ポケットに片手をつっこみ携帯電話を取り出して開き、キーボタンを素早く押す。

(……さて、なんと伝えたものか)

右耳にあてる携帯から、相手側へのコール音がしている。

『––––––––……はい、こちらPマートですが』

数回のコールの後に女性の声がした。相手はPマートの店長である雨野綾子だ。

「……やあ、私だが。《支部長》、今話せるような時間はありますか?」
『え……眞ちゃん?何、どうしたのいきなりかしこまって。あ、もしかして……また何か企んでる?』

雨野綾子=宵ヶ沼支部長は霧原をからかうような口調でそう言う。

「いえ……そのようなことは決して。その、今回は……白峰製薬への潜入調査を許可していただきたく連絡したまでです」
『……白峰製薬?またなんであんな大企業に潜入調査なんてするの?まさか個人的な恨みとか⁇』

支部長の雨野はまだ冗談めいた口調だ。霧原はため息をつきながら話を続ける。

「……いいえ、おたくの店員さんからのリークですよ。白峰製薬が裏で開発した薬品を使って非合法な人体実験を行なっていて、その人体実験が人間を人工的にパラサイト化する薬品の効果を試すためのもの……ですってね」
『ふうん……そう。でもそれって、まだあくまで噂の段階よね?じゃあ調査の必要、ないんじゃないかしら』

雨野は霧原の意見に否定的だ。

「……では貴女あなたは真相を確かめずに放置しておけばいいと?それでもし、人工的に造られたパラサイトがこの市中に増えたらどうするんです?」
『……いいじゃない。パラサイトが市中に野放しになることが、そんなにいけないことかしら?だって……貴方もパラサイトでしょう』

霧原は雨野の言葉に下唇を噛む。

「……それはそうですが。彼らは実験の被害者なんですよ?パラサイトになりたくてなった訳じゃない……だったら、助けたいと思うのはいけませんか」
『助けてどうする気?全員、宵ヶ沼支部で保護でもするの?』
「それは……その」

霧原は言葉につまる。

『貴方の気持ちはわかるけれど……それは無理ね。でもパラサイトがこの世に存在していることは一般人には知らされていない事実だから、明るみに出ると支部うちとしても困るのよねえ……』

雨野は含みを持たせるように言う。

「……では、今回の調査は許可していただけるのですか?」
『ええ。ただし裏情報を突き止めたら即、撤収してちょうだい。それ以外の行動はくれぐれも控えて、いい?』
「……了解しました。柴崎にも伝えます」
『OK。彼女、頑張ってる?最近会ってないから様子はわからないけど……どう?《実験には使えそう》かしら』

霧原は雨野の最後の一言で、通話を切ろうと伸ばした指先をひっこめる。

「……彼女は貴女の《実験のための道具》じゃありませんよ、いい加減にしてください」
『……あら、貴方にそんなふうに言われるのは予想外だわ。そもそも、血を飲ませている時点で実験に参加したのも同然だと思うけど。……で?どうなの経過は』

確かに正論だ。霧原は話を続ける。

「……昨夜未明に前回よりも多めに私の血液を投与しましたが、まだ適合しているかは不明です……最悪の場合、肉体が拒絶反応を起こして死に至る場合もあります」
『じゃあ、そうならないためにも貴方と小さなお友だちで彼女の監視はしっかりお願いね。何かあったらまた連絡して』
「……了解」

通話を切るボタンを押し、霧原は長くため息をつきながら携帯電話を裾ポケットに戻す。

(……しまった。面会予約日が5月1日に決まったことを伝え損ねた)

霧原が再び携帯電話を引っぱり出すと、一緒に入っていたパラサイトくんが張りついて出てきた。相変わらず眠そうな表情をしている。

「……なんだ君か。支部長にメールしたいことがあるからそこからどいてくれないか?」
『別にいいけど、それが終わったらちゃんとおいらにも分かるように説明してねキリハラ』

霧原を見上げたパラサイトくんの顔がとたんに不機嫌な表情になる。

「何を?」
『……とぼけてもダメだからね。さっきのシブチョーとの会話、おいら全部ポケットの中で聞いてたから』

……やられた。彼がポケットに入っていたのをすっかり忘れていた。

「……ああ、わかった」
『約束だよ。はい、どうぞ』

パラサイトくんはそう言うと、コアラのようにしがみついていた霧原の携帯電話から両手両足を離し、机の上にぼてっと着地した。



5月1日の前日の4月30日の午後。霧原は羊子に連れ出され、渋々近所の美容室に向かっていた。

「ほら霧原さん、早く行きますよ!」
「……なあ柴崎くん。この髪、どうしても切らないといけないかね?」

霧原は先を歩く羊子の後ろ姿を見ながらつぶやく。今日はいつもの白衣ではなく、ダークグリーンのベストとスラックスの上に黒のトレンチコートを着ている。普段の霧原にしては大変珍しい装いなのだが……顔を覆う長すぎる髪の毛がそれを台無しにしている……気がする。

「はい……残念ですが、だいぶ長すぎる上にお手入れが大変そうなので一旦ソレ切りましょう。それから明日は白峰製薬で面会もありますし、身だしなみをきちんとするのにこしたことはないと思いますよ?」
『だってさキリハラ。拒否権はないって』

霧原のトレンチコートの裾ポケットに入っていたパラサイトくんがそう言いながら顔を出す。

「……ううむ、たしかに君の言うことに一理ある気はするが……」
「が……霧原さん、なんです?」

いつになく歯切れの悪い霧原に、羊子は顔に貼りつけたような笑みを向けて続きをうながす。

「……その……髪で右目が隠せないのは、ちょっと困るというか」
「右目?え、霧原さんそれってどういう……?」

羊子が言い終わらないうちに、霧原が顔の右側を覆い隠していた髪を手でゆっくりとかき上げてみせる。

「あ……その目、なんで出かける前に言ってくれなかったんです?先に聞いていたら私、無理に誘ったりしなかったのに……」

羊子は右の瞳が明るすぎる黄緑色、白目の部分が緑色に薄く充血した霧原の、異様なパラサイトの目に真正面から見つめられて目をそらしてしまう。なぜだろう、寒気が止まらない。

「……すまない。私がうっかりしていた。右目に眼帯をしてくる予定だったんだが」

霧原はそう言って、慌ててかき上げた髪を戻して右目を隠す。

「……い、いえ。あのそれ……いつからなんですか?」

羊子はまだ目をそらしたまま、霧原にたずねる。

「……20年前にパラサイト化して、翌日に朝を迎えてからずっとだ。どうやってもこちら側の目だけが元に戻らなかった」
「そう、なんですか……。あ、すみません。なんか嫌なことを聞いてしまって」
「いや……。君に伝え損ねていた私が悪かった。本当にすまない」

霧原が再び謝る。羊子は美容室に霧原を連れて行くのを今からでもキャンセルしようかと本気で思った。着ている黒いスーツの裾ポケットから携帯電話を取り出す。

「霧原さん……やっぱり美容室に行くの、キャンセルしましょう。今から私が電話しますから」
「……え?」

霧原はわけがわからず、羊子を見つめる。

「だって私、霧原さんのそんな顔……見たくないですから」
「いや私は別に……」

その時、霧原の左目からあたたかいものが頬を伝った。それが自分の涙で、泣いているのだと気がつくまでにしばらくかかった。

「……髪くらい、散髪用の鋏があればどこだって切れますから。今から買って帰りましょう、ね?」
「あ……ああ。わかった」

霧原は羊子の言葉にうなずき、左目からこぼれた涙を手でごしごしと拭う。

「そうだ。せっかくだから散髪用の鋏を買うついでに、もうすぐ3時なんで支部に帰ってからすぐに何か食べられるように、そこのスーパーで食材買って来ますからちょっとだけ待っててください」
「……ああ、私は別に構わないよ。行っておいで」

霧原が言い終わらないうちに、羊子は商店街を抜けた先にあるスーパーマーケットの入り口へと小走りで走っていく。

(……まあ、たまには外に出るのも悪くないな)

霧原は小さなため息をつき、スーパーの隣にある小さな書店に入ってしばらく待機することにした。あの様子だと戻ってくるのが遅くなるだろうと思ったからだ。

「……しばらくの辛抱だ。絶対に人前には出るなよ」

霧原が上に着ているトレンチコートの裾ポケットから頭を出していたパラサイトくんの頭に触れポケットに押しこみ、そう言い聞かせる。

『うん、了解。静かにしてるから大丈夫』
「……よし、いい子だ」

霧原がうなずくと、パラサイトくんは裾ポケットにさっと引っこんだ。少しかわいそうな気もするが、人がいる場所での彼との会話はなるべく避けたほうがいい。見られれば怪しまれるだけだ。

(……よかった、誰も見てない)

霧原は書店の自動ドアをくぐってから、自分の周囲に視線だけを巡らせ今の行動を見ている人間がいないかを確かめて–––ほっとする。



一方でスーパーに急遽買い物に向かった羊子は片手に下げた買い物カゴの中に、散髪用の鋏を1つと炒飯やパスタ、ピザにパイなどの冷凍食品と食材用の野菜類、鶏肉は脂肪分の少ないササミ、さらに魚の切り身になったものと果物をいくつか……詰めこんでいく。

(ちょっと買いすぎかな。うーんでも、霧原さんって何食べるかわからないしな……。よし、これ全部買っちゃおう)

羊子はそう決断し、食材でだいぶ重くなったカゴをよいしょ、と両手で持ち直してレジに向かった。



一方で霧原は書店の棚を順番に見ながら、店内を歩いて時間をつぶしていた。トレンチコートの裾ポケットに入ったままのパラサイトくんは言いつけどおりに沈黙を守っている。

(……ん?)

棚に並ぶ本の背表紙を見ていた霧原は、ある一角で足を止める。そこは児童文学のコーナーで、国内に限らず海外作品も置かれている。イソップ童話、グリム童話、不思議の国のアリス…鏡の国のアリス…オズの魔法使い…宮沢賢治と新見南吉、霧原が研究室の本棚に置いている小川未明の童話集もあった。

(……そういえば春香は小さい頃、不思議の国のアリスやオズの魔法使いが好きだったな)

目を閉じた霧原の脳裏に今はもういない妻や娘と過ごした日々の記憶が蘇ってくる。娘の春香がまだ小学校低学年の頃、よく寝る前に読んでくれとせがまれたものだ。

(あの時は毎日が楽しかったな)

『––––い、おーいキリハラ。ヨーコが戻って来たよ』

回想にひたっていた霧原を、パラサイトくんのおさえた声が現実に引き戻す。

「あ……すまない。ちょっと考え事をしていた」
「霧原さーん!ちょっといっぱい買いすぎたので、袋1つ持ってくれませんか?」

中身でぱんぱんになったスーパーのビニール袋を両手に持った羊子がそう言いながら、霧原のほうに近づいてくる。

「……お帰り柴崎くん。1つ聞いてもいいかね?なんでそんなに大荷物になるんだ、散髪用の鋏と食材を買いに行っただけのはずだろう」
「ああ、それなんですが霧原さんが何を食べられるのか聞いていなかったのでつい……。すみません」

羊子は謝りながら、霧原に左手に持っていたビニール袋を手渡す。受け取った後のずっしりとした重みから、かなりの量を買いこんだようだ。

「……それは前に喫茶店で食事をした際に伝えただろう。たしかに私の味覚は人のそれとは異なるが、それはパラサイトになっている間だけだ。それ以外の日は普通だから今は問題ないんだよ。これ、わかるかね?」

霧原は声を小さくして一気に言った後、軽く咳払いをする。

「うーん……なんとなく、あっいえ……わかりました。次からは気をつけますね」
「ああ、頼むよ」



それから宵ヶ沼支部にはタクシーで戻った。理由は羊子が購入した食材などの買い物袋を2つもかかえて道中を歩くよりも、負担が少ないということだ。

「じゃあ、霧原さんは研究室に先に戻っていてください。散髪する準備をしてから行きますから」
「……了解」

霧原と羊子はお互いに支部の待合スペースで別れ、それぞれのやることをするために向かう。霧原はタクシーを下りた時に乱れてしまった髪を右手でかき上げてから、2階の研究室に続く階段を登って行った。
羊子はまず、両手のビニール袋の中身を出すために、食堂の冷蔵庫へ向かう。

(……今日は空いてるといいな)

メタリックな業務用の冷蔵庫の両開きのドアに手をかけながら、羊子はそう願う。この前開けたら、誰かが作り置いたらしい軽食やスイーツがどっさり入っていたのを目撃してしまっていたからだ。

(……あ)

冷蔵庫の中は空っぽだった。それを見た羊子はここぞとばかりに、2つのビニール袋の中身を詰め始める。

(ふう。こんなものかな)

中の棚に積み上がった冷凍食品や野菜、果物類を見ながら羊子はうんうんとうなずいて立ち上がる。それからビニール袋の底に残った散髪用の鋏のパッケージを手に取り、霧原の研究室へ行くために2階に続く階段を登りかけ–––偶然下を通りかかった浅木に呼び止められた。

「––––あれ、柴崎さん?もしかして外出でもされてたんですか〜」

浅木はずり落ちかけた水色のフレームの眼鏡の鼻のあたりをぐいっと指先で押し上げる。

「あ、浅木さん。えっとそうです……はい。明日の午後に白峰製薬に用事があるので、霧原さんのあの長すぎる髪をなんとかしようと思って……。今から切りに行くんですけど、浅木さんもしお暇なら手伝ってくれませんか?」
「え、ええ⁇ 僕は別にいいですけど……。美容室に行けば済む話じゃないですか。なんでそんなことになってるんです〜?」

浅木は不思議そうな表情をし、首をかしげる。羊子はひとまず、先ほど判明した霧原が美容室に行けなかった理由の一部始終を聞かせる。

「…………あ〜なるほどなあ。それで霧原さんっていつも髪で右目を隠していたんですね、納得しました」

浅木は羊子の話を聞きながら、何度もうなずく。

「あの……浅木さん、こんなことを聞くのはあれなんですが、霧原さんがパラサイトだってことは知ってました?」
「……ええ、知ってます。1度だけ姿が変わっている最中に現場に入ってしまったことがあって……その時はもの凄い形相で睨まれて『出てけ‼︎』って怒鳴られて部屋から追い出されました」

浅木はその時のことを思い出したのか、話しながら目が左右に泳いでいる。羊子もその現場にはつい最近、パラサイトくんの機転で遭遇を免れた経験があるからよく分かる。

「なるほど……。その気持ち、私なんとなくわかる気がします」

羊子は浅木の言葉に相づちをうつ。

「霧原さん、普段は面倒くさがりでやる気がない様子が常なんでアレはちょっと衝撃受けましたね。おかげで2、3日寝込みそうになりました」
「じ、じゃあ……すぐに研究室に行きましょうか。散髪くらい2人でやればすぐ終わると思いますし」

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