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【創作大賞2024】パラサイト/ブランク 17話

17話「白峰製薬」



一方。霧原のほうは羊子から言われた通り研究室に戻り、ワーキングチェアの背もたれに寄りかかって目を閉じてじっとしていた。

机の上の閉じられたパソコンに霧原のトレンチコートの裾ポケットから外に出してもらったパラサイトくんが座り、そんな霧原を見つめている。

『ねえキリハラ。キリハラってば、起きてる?』
「……ああ。なんだ?」

霧原はくるりとチェアの向きを変え、パソコンの上のパラサイトくんと向き合う。

『いや、呼んでみただけだよ。さっきからずっとそうしてるからさ……。ちょっと心配になっただけ』

そう言ってパラサイトくんは小さくあくびをする。非常に眠たそうな(彼はいつも眠そうな顔だが)表情だ。

「眠いのなら、そこのベッドか机の上の私のマグカップを貸してやるから寝てこい」
『え、いいの?』

パラサイトくんの瞳が霧原の顔を見てぱっと輝く。

「……たまには君にも休息も必要だろう。ここのところずっと、私か柴崎くんについてきっぱなしだったから疲れたんじゃないのか?」
『うーん……そうなのかな。あんまりおいら、そういうのって意識したことないんだよね。最近なんだか外があったかいせいかなあ』

そこでふああ……と、パラサイトくんが大きめのあくびをする。

「そうかもな……ほら、入れ」

霧原は右手でパソコンの上の眠そうなパラサイトくんの黒いスーツの背中のあたりを指でつまみ上げ、机の上に置いていた自分の緑色のマグカップにするりと入れる。

マグカップから帽子を被った頭の部分と顔の上部分だけが飛び出しているのがなんとも滑稽だが、それがまた愛らしい。

『じゃ……キリハラ、しばらくおやすみ〜』
「……ああ。おやすみ」

霧原がマグカップの中に向かってそうつぶやいた時、研究室のドアがノックされた。

「霧原さん、柴崎です。入りますよ」



翌日、約束の5月1日の午前9時ごろのこと。霧原と羊子はいつもより早起きし、それぞれの部屋で身支度に追われていた。

(……あー、昨日の夜は徹夜になるかと思った……)

羊子は昨夜遅くまで続いた霧原の散髪作業の様子を思い出して、げんなりする。通りがかりの浅木と一緒に臨んだのだが、自分の考えが甘かったことにすぐに気づかされた。

霧原の髪は見た目以上に多く、硬質なために羊子が用意してきた直線定規をあてて鋏で切っていくそばから毛先が明後日の方向へはねていくのだ。

「これは……予想外ですね〜。今夜中に終わりますか?」

床に落ちた霧原の切った分の髪を青色のプラスチック製のバケツにかき集めていた浅木が羊子を心配して声をかけてくる。

「えっと……。ああ霧原さん、そのままじっとしていてくださいね〜。動くと今切った場所がわからなくなりますから……‼︎」

羊子が左手で押さえた霧原の頭が少しだけ動く。どうやらはい、という意味らしい。

「柴崎さん、一旦僕が代わりましょうか〜?ちょっと休んでください」

浅木が羊子にそう提案してくる。

「はい……すみません。ありがとうございます」

羊子は浅木に散髪用の鋏を手渡し、部屋の隅のベッドまで歩いていきそのままぼすっ、と背中から掛け布団に倒れこむ。

「……じゃあ、あとは僕がやっておきますから」
「はい、ありがとうございます浅木さん……」

それから後は記憶が曖昧で、ぼやけている。きっと疲れて寝落ちをしてしまったのだと思う。

(あ、いけない。急がなきゃ‼︎)

羊子はふっと我にかえり、自分の部屋の机に置いた目覚まし時計を見て着替えと化粧(といっても洗顔の後に保湿液を塗っただけでほぼすっぴんに近い)の手を急がせる。後から霧原の研究室に声をかけに行こう。

(えっとこれと、これを着て……っと)

羊子はあたふたと白いワイシャツの上に薄い灰色のスーツを着て、袖に手を通し、黒のストッキングをはいた上から同色の長めのスカートをはく。机の上に置いた鏡の前に行き、いつものように髪を手で後ろでひとつに束ねて薄紫色のゴムを付ける。それから昨夜、浅木に借りていた度のないメタリックグリーンのフレームの眼鏡をかける。

(……うん、これでよし)

羊子は鏡の前でうなずき、携帯電話や手帳や必要最低限の品を詰めたバッグを肩に斜めにかけて部屋を後にした。



「–––霧原さん、出かける準備はできましたか?」

羊子がそう声をかけなながら勢いよく研究室のドアを開けると、霧原が身支度を済ませてワーキングチェアから立ち上がるところだった。

昨夜遅くまで浅木と交代しながら切った緑色の髪は肩にかかるくらいの長さで落ち着いているが、やはり右目だけは隠したいようでそこだけは髪が相変わらずに長く垂れ下がっていた。

「……ああ、おはよう。そういえば今日の面会予約は何時にしたのかね?まだ聞いていなかった気がするが」
「予約は今日の正午です。白峰製薬はここからかなり距離があるので、タクシーを使いましょうか。あの……到着にはやっぱり余裕を持って行ったほうがいいですよね?」

羊子は霧原におずおずと聞いてみる。霧原は無言でうなずく。

「了解です。えっと……あとそれから今回の潜入調査のために使う職業なんですけど……雑誌と新聞記者、霧原さんはどっちにしますか?」
「……柴崎くん、君はどちらにする?」

霧原が羊子の質問に質問で返してくる。

「え……私ですか⁇ じ、じゃあ…新聞記者で」

霧原がうなずく。

「よし、ならそれらしくしないとな……。何かコツはあるのかね?」
「コツ……ですか?私も潜入調査というのは今回がはじめてなので……その、なんというか」

羊子はしどろもどろになりながら、言葉をつまらせる。

「………でも、1番気をつけなければいけないのは私と霧原さんがパラサイト課の人間だってことを白峰製薬あちら側に悟られないようにすることですかね。あとは、そうですね……どんなに小さな情報も聞き漏らさないように、とか」
「……なるほど。それは確かに大切だね」

そう言いながら霧原はチラッと研究室の壁にかけている時計を見る。時刻は午前10時半を5分ほど過ぎていた。

「……そろそろ出発しようか。いつものように道案内は頼むよ」
「はい。あれ……霧原さんは何か持ち物とかないんですか?」

研究室のドアを開けて廊下へ出ていこうとする霧原を、後ろから羊子が呼び止める。

「ああ、必要ない。常に持ち歩いているのは携帯電話と充電用ケーブルだけだからな」
『え〜おいらは?』

いつの間に入っていたのか、霧原が着ているダークグリーンの生地に細い黒のストライプがはいったスーツの裾ポケットからパラサイトくんが顔を出す。

「……おい、また一緒に行くつもりか?」

霧原が表情を変えずにポケットの中のパラサイトくんにたずねる。

「いいじゃないですか霧原さん。きっと彼も退屈してるんですよ、連れてってあげましょう」
「……わかった。ついてくるのはいいが、面会の邪魔はしないでくれよ」

霧原がそう釘をさすとパラサイトくんはこくりとうなずいた。



霧原と羊子が白峰製薬にたどり着いたのは、午前11時40分ごろのことだった。タクシーを下車した2人の目の前にそびえ立つ白一色の高層ビルは、ちょうどSF映画やドラマの中に出てくるような近未来的な雰囲気を漂わせている。

「ここが……白峰製薬。なんだか……近寄りがたい雰囲気がありますね」

ビルを見上げた羊子がつぶやく。

「……ああ、そうだな。今、私たちがここにいること自体が場違いな気すらしてくる」

目の上あたりに手のひらをあてて眩しい陽光を遮りながらビルを見上げていた霧原もそうつぶやいた。

「……あの〜、じゃああたしはここで待機してますね。携帯電話は持ってますから、何かあったら連絡いれてください」

研究室から同行してきていた制服の上に灰色のジャケットを羽織った朱莉が、そう言って霧原と羊子から一歩下がって距離をおき「行ってらっしゃい」と小さく手を振った。

「……行こうか」
「はい、行きましょう」



「ああ、はじめまして。僕が白峰製薬社長の白峰麻白しらみねましろです。ええと……お2人はたしか本社の取材がご希望でしたよね?」

受付で今日の面会予約を入れていることを伝えると、2人はすぐに社長室へと通された。社長室は宵ヶ沼市全体が俯瞰できるように奥の窓部分が全面ガラス張りにされた開放的な部屋だった。

その中央に白いデスクとワーキングチェアがある。そこに座り、机の上に置かれた書類の束に目を通している白峰が入ってきた羊子と霧原にそうたずねてくる。

「ええ、そうです。今度うちの新聞か雑誌に本日の取材の記事を掲載する予定でして」
「……なるほど。では今から社内を係の者に案内させましょう。本当なら僕が直々にご案内したいのですが……誠に残念なことに、この後に会議がはいってまして。なので今回は失礼させていただきます」

白峰は残念そうな表情で肩をすくめてみせ、羊子と霧原に向かって頭を下げる。きっちりと七三分けにされた白髪が揺れる。年齢はおそらく羊子よりも年上に見えるが、若白髪にしては……やけに白すぎる気がする。

「……い、いえ!こちらこそ取材に許可を出していただいてありがとうございます」

羊子は白峰の髪に疑問が残ったが、ひとまずそう言って深々と頭を下げる。霧原もそれに習った。

「ええ。では……また後ほど」

白峰はそう言い残し、社長室から退出していった。それと入れ替わるように、胸ポケットのあたりに白峰製薬のロゴの社員証を付けた白いスーツの女性が2人に歩み寄ってくる。

「はじめまして。案内係の早河奈津実はやかわなつみと申します。社長からお2人を案内するように言づかっております」

早河は深々と頭を下げる。羊子はつられて礼を返した。

「……ど、どうも。き、今日はよ、よろしくお願いします。今やCMや広告を目にしない日はない白峰製薬さんの内部を見せていただけるなんて、まるで夢のようです……!」

羊子が少々どもりながらも、熱っぽい口調で言う。隣に立つ霧原は黙ったまま、その様子を横目でじっと見ている。

「ええ、うちはメディアのほうにも力を入れてますから。ああそういえば……お2人のお名前をまだ伺っていないので、教えていただけますか?」

早河はそう言って、手にしていた数枚の紙を挟んだ小型のメモボードとボールペンを差し出してくる。

「あ、はい。すぐに書きますね……」

羊子は早河から受け取ったメモボードにペンでささっと名前を書き、隣の霧原に「どうぞ」と手渡してくる。

山田洋子

霧原が受け取ったボードには右上がりな字でそう書かれていた。

(……なるほど偽名か)

霧原は内心で納得し、羊子に習う。

黒川新一郎

そう書いたボードとペンを霧原が早河に返す。

「……山田様と黒川様ですね。それでは案内するので私についてきてください。社内は広いので迷子にならないようにしてくださいね」



ケイ:店長、どうします?このまま尾行続けるんですか?

アマノ:……ええ。眞ちゃんにはこの調査が終わり次第、すぐに支部へ戻るように指示してあるから大丈夫だと思うけど……もしも予定にないことをし出したら大変だから、しっかり見張っててほしいの

ケイ:了解です。また何かあれば連絡します

片瀬圭は手にしたスマートフォンのメッセージアプリのトーク画面でそう打ちこんで返信し、先ほど下の通路を歩いて行った羊子と霧原を撮っていたスマートフォンでの動画撮影を停止させる。

なんで僕と透子さんがこんなことをしなければいけないのか……。雨野さんの考えが読めない。

「……じ、じゃあ行こっか透子さん」
「うん。気づかれないようにしましょう」



羊子と霧原は案内係の早河に案内され、社長室から下の階にある複数の社内オフィスを見たあとエレベーターに乗りこみ、現在は地下階に向かっていた。

ゆっくりと下降していくエレベーターのふわっと内臓が浮くような浮遊感を不快に感じながら、羊子は喉のあたりまできている気持ち悪さをぐっと我慢して早河に質問をする。

「……あの、早河さん。この先には何があるんですか?」
「このビルの地下には当社の研究施設と薬品の開発部門が入っています。そこで案内は最後ですので」

早河は羊子のほうを向かずに、事務的な口調でそう返す。

「……なるほど。それは大変興味深いですね」

エレベーターに乗りこんでからしばらく黙っていた霧原が口を開く。羊子がそちらを向くと、霧原の唇の端にわずかに笑みが浮かんでいる。

しかしその目は笑っておらず、ただ無機質な冷たさだけがあった。羊子はその薄気味の悪さに目をそむける。

「……着きました」

早河が言うのと同時に、エレベーターの下降が止まる。フロア表示はB4階になっていた。早河が羊子と霧原を振り返り、「今からここで見たことは、くれぐれも口外や記事にしないでくださいね。よろしくお願いします」と前置きをする。

「……わかりました。約束します、ねえ黒川さん」
「ああ、もちろんだ山田くん」

2人の返事を聞いた早河はうなずき、ドアの開閉ボタンを押した。両開きのドアがゆるやかに開いていく。

「ありがとうございます。では行きましょうか」



ケイ:あの2人組、どうも地下階に向かったみたいです。どうしますか?

アマノ:後を追って。あと動画をライブ配信に切り替えてちょうだい。リアルタイムで状況を把握したいから

ケイ:了解。見つけ次第、録画を開始します。プライベート配信で動画のリンクを送るので、店長はパソコンを開いて待機していてください

圭はそうスマートフォンにメッセージを打ち返し、クマ耳のついたフード付きの灰色パーカーの裾ポケットにしまった。

「ねえ、店長なんて言ってた?」

少し離れた場所にいる青江透子が圭に話しかけてくる。

「こ、このまま尾行続けてって……。さっきの2人組見つけたらライブ配信で録画してほしいとか言ってた」
「ふーん、そう。店長はなんでそんなにあの2人のこと気にしてるんだろう?」
「さ、さあ?僕らはただ店長に言われたことをやるだけだし……別に知らなくていいんじゃ、ないかな……?」



「ここが白峰製薬の研究施設と薬品の開発部門になります」

そう言って早河は半透明なフードが付いたレインコートのようなものとマスク、薄手のゴム手袋を2人に手渡してくる。

「……あの、これは?」

羊子が質問すると、早河が素早く答える。

「万が一、施設や開発部門で使用中の薬品が着ている服にかかると大変ですのでその予防です。この地下階にいる間は我慢してください」
「ああ……なるほど。わかりました」

羊子はそう言いながら、半透明のレインコートとマスクとゴム手袋を身につける。霧原はというと、すでに着終わっていた。その視線は真っ直ぐに前を向いている。羊子もそちらを向いてみる。

(……あれってまさか)

2人が見つめる先には、半分をパーテーションで仕切られた壁から床まで真っ白な部屋。その左右に長方形を縦にしたような中を緑色の液体で満たされた巨大な水槽があり、何か白いものがいくつも折り重なって浮かんでいる。

……人だ。色がすっかり抜け落ちた真っ白な髪と肌に病院に入院した時の寝巻きに似た白い服を身につけたまだ小学生くらいの子どもや青年が皆、死んだように目を閉じて澄んだ緑色の液体の中を静かに漂っている。そのわずかに緑色を帯びた指と足の先にだけ、獣のように鋭い鉤爪が生えているのを除けば……だが。

(き……霧原さん。あれ、あれって!)

羊子が隣に立つ霧原に小声で耳打ちしてくる。

(……間違いない。あれはパラサイトだ)

「……どうかなさいましたか?」

早河が後ろを振り返って声をかけてくる。

「あ、いえ……大丈夫です。案内を続けてください、お願いします」

早河は顔の血の気がひきかけている羊子と、微動だにしない霧原を交互に見ながら説明を続ける。

「わかりました。ではまずあちらから……。左側の水槽のあるスペースが研究施設になります。ここは規模が小さいですが、上階では全面的に展開をしております。右側は薬品の開発部門で、左側の研究施設で使われる特殊な薬剤をメインに製造しています」
「その……開発部門で作られる特殊な薬剤というのは、一体どのようなものなんでしょうか?」

霧原が具合の悪そうな羊子を見かねて、早河に質問をする。

「人間の脳に寄生生物……当社では《パラサイト》と呼称していますが、これを定着させるための薬剤だと聞いております」

早河が顔色ひとつ変えずにそう言う。霧原の目がゆっくりと糸のように細くなる。

「では、あの水槽の中にいるのはその寄生生物パラサイトを脳に投与された人間……ということになるわけですね……未承認の薬剤を使った人体実験というのは違法なのではないのですか?」

霧原の言葉に、早河は首を縦にふる。

「ええ、そうです。確かに彼らは人間ですが、これは人体実験には該当しません」
「……ほう?それはなぜでしょう」
「なぜなら、パラサイトを投与され体が変化した時点で彼らは人間ではなくなるからです」

今度は霧原の顔が青くなる番だった。早河の口から平然と告げられる内容に、もはや閉口するしかない。

「……何かご不満ですか?なければ開発部門のほうをご案内しますが」

羊子と霧原はしばし沈黙していたが、霧原が今にも溢れだしそうな怒りを、なんとか抑えた表情で口を開く。

「後ほどその薬剤とあちらの水槽の中の子たちについて詳しく説明していただけるのなら」
「承知しました。ではこちらへ」

早河は事務的な態度と口調は崩さない。羊子と霧原は水槽のある白いスペースから一時的に離れる。



ケイ:店長、今の見ましたか?

アマノ:ええ……。まさか白峰製薬が本当に、裏でこんなことをやっていたなんて思わなかった……。それにあの水槽の中にいる実験体の子たち、赤い月が出てないのにパラサイトの状態を保てているわ。もしかして新種……?

ケイ:かもしれませんね……どうします?まだ尾行続けますか

アマノ:ええ。あの2人が白峰製薬の外に出るまで安心できないから続けてちょうだい

ケイ:了解です

圭は現在進行形でPマートにいる店長の雨野にプライベート環境でしているライブ配信のため、メッセージをすぐに返してスマートフォンを構え直し、録画を再開する。さすがに部外者の自分たちがB4に行くのは危険だと判断し、少々面倒ではあるがB4の防犯カメラを例の友人の手を借りてハッキングしたのである。

(これ終わったらアイツにお礼をしに行こう)

圭は後ろめたさと罪悪感を感じながらそう思う。この間の白峰製薬の裏情報だって、自分にはどうしようもなかったのだから。

「……圭?どうしたのそんな難しい顔して」

横から透子が圭の手にしたスマートフォンを覗きこもうとしてくる。

「え?ああ……なんでもないよ透子さん。監視、店長がこのままあの2人が外に出るまで続けてって」

圭は自分のスマートフォンを店長とのメッセージのやり取りの内容を透子に再び伝える。

「さっき右側に行ったのがちらっと見えたから、そっちにカメラ向けられる?」
「ああ……うん。やってみる」

圭はスマートフォンのカメラ画面をメッセージアプリに切り替え、遠隔操作で協力してくれている友人に指示を出す。再度画面を切り替えると、カメラは右側のスペースにいる羊子と霧原の姿を捉えていた。



「これがその特殊な薬剤です」

早河がそう言って白いテーブルに並べて置かれていた小型ケースから細い試験管を一本、ゴム手袋をはめた指先でつまんで羊子たちの目の前で揺すってみせる。

透き通った緑色の液体の中に、どろりとした泥のように粘性のあるさらに深い緑色のものが沈んでいる。それは非常にゆっくりとだが、動いているように見えた。

「この試験管の底に沈んだ緑色のものが先ほどお伝えしたパラサイトです……もちろんこのままでは機能しないので、動かすための手段としてあちらの子どもたちを使います」

羊子は早河が手にした試験管の中身から目を離せずにいた。あれが今、霧原の頭の中にいるのだ。普通の人ならとうの昔に正気でいられないに違いない。

「なるほど。実に……ユニークな品ですね。それは例えば、脳さえあれば《死んだ人間を動かす》ことは可能なのでしょうか?」
「ちょっ……黒川さん、いきなりなんてことを聞いてるんですか⁈」

羊子が焦って、霧原の半透明なコートに包まれたスーツの袖を強く掴む。

「……いいえ。報告によるとそれは不可能でした。近くの病院で亡くなった方々の遺体を使った実験をこちらで行ったようですが、蘇生はできなかったようです……他にご質問は?」

早河が2人の顔を交互に見る。

「……い、いえ。特に……ありません」
「では……最後にひとつだけ。彼らパラサイトはどこからやって来たのでしょう?」

顔を青くしたまま霧原の背後に隠れようとする羊子。眉根に皺を刻みながらも抑えた態度で質問をする霧原。

「それは……私どもにも分かりません。未だに解明のための研究が続けられています」
「……なるほど。わかりました、お答えいただきありがとうございます」

霧原は深く早河に礼をする。

「いえ……。詳しくお答えできずにすみません。では、私の案内はこれで終わりです。そろそろ地上階に戻りましょう」

早河はそう言って最初に来たエレベーターの方向に歩き出す。羊子と霧原はそれに続く。その時……。

『せんせ〜、いっしょにあそぼ!』

左側の研究スペースの水槽の奥にある白いドアを開けて真っ白な髪と瞳の子どもが数人、無邪気な声をあげて早河の周りに駆けよってきた。

「ごめんねみんな、今こちらのお客さまを案内してるから今は一緒に遊べないの。終わったらまた来るから、それまで待てるかしら?」

早河は白髪の子どもたちと同じくらいの目線になるようにしゃがむと、穏やかな口調で話しかける。

『うん、わかった。やくそくだよ!』

子どもたちは皆、目をキラキラさせて早河の言葉に首を勢いよく上下させてうなずき、白いドアに戻っていく。早河もうなずき返すと、立ち上がって彼らに手を振った。

「……すみません。うちの子どもたちがご迷惑を」
「……いえいえ、大丈夫ですよ。じゃあ戻りましょうか」

謝る早河を霧原がフォローし、再びエレベーターに向かう。2人の後ろを歩く羊子はずっと黙ったままだった。

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