回想録#3 「名前」のちから

世の中にはものが溢れかえっているように、言葉も溢れかえっている。しかしながら、言葉がついていない現象はたくさん存在する。だからこそ、名前をつける必要があるのかなと思います。溢れかえる言葉に自分なりの解釈をつけないと、それらはただの文字の連続だし、言葉を使う存在として人の心を動かすために必要不可欠なことだと感じました。

課題を通して、名前をつけることで無機質なものでも一気に個性が生まれ、距離感が縮まるようになると実感しました。今の時代に名前をつけることでなんとなく感じていた時代の雰囲気が、解像度を上げて理解することができる。漠然と時代と捉えていた中に一つの明確な性格を見出すことができる。名前の大きな役割として差別化できる点と存在価値を見出す点があると思います。そして、名前をつけることで、その分野に関して日常生活でなんとなくしてても得られる情報の質が上がる気がしました。

名前をつけるために必要な要素が、日常で感じる「違和感」。聞かれたときにはなかなか思い出せないけど、生活のどこかで感じるもの。これを探すのが難しいわけですが、違和感とは「普通と違うマイナスなこと」だけでなく「普通と違うプラスなこと」でもいいと思います。どうやったらたくさんの違和感を感じることができるのかわからないですが、わがままな自我を出してみたり、クレーマーな気持ちになってみたりすることも(声には出さずに)一つの手かなと思いました。あとは気づいた瞬間にメモ。自分自身メモはとるようにはしているのですが、忘れてしまうことが多いので習慣にできるようにしていきたいです。


名前のことを考えていて、ふと人の名前は面白いなと感じました。通常何かに名前をつける際は「こういう特徴があるから」とか、様々な特徴から考えるのに、人の名前は「こういう子に育ってほしいから」という理由でつけます。理想の未来を想像して、名前をつけるのは人名以外ないのかなと思います(あったらすいません)。これを思ったとき、自分の名前を大事にしようと感じたのと同時に「名前は最大のコピーである」という言葉に共感しました。



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