プライドは「高い」のか、それとも、「薄い」・・・

 印南敦史著『それはきっと必要ない』(2020年12月20日発行  誠文堂新光社)

 古書店で、タイトルだけを見て買いました。面白いと思ったのが「薄いプライドは必要ない」という項目です。人は誰しもプライドを持っていますが、「プライド」ということばには若干マイナスの評価が伴っているように見受けられます。「あの人はプライドが高い」と言ったりする時、良い評価を下しているようには思われません。それ故か「プライド」ということばはやや使いづらいく、自尊心、うぬぼれ、誇り、気位といったことばで、話の内容、場面に応じて、私達は使い分けをしているような気がします。

 著者はプライドについて次のように記しています。「本当の意味で「プライドが高い人」は、誰かから思いもよらない扱いを受けたとしても、余裕で笑って返せる人のことだと考えているのです」

 こういう考えもあるのだ、と気付かされました。

 外来語を使う多くの場合、柔らかな感じなどを意図しているー「証拠」というよりも「エビデンス」を用いるーように思うのですが、なぜか「プライド」には良くないイメージが少しまとわりついているのではないでしょうか。著者の考え方が方今少し広まってゆけば、「プライド」ということばの価値が上がって、「プライド」ということばが今よりかは使いやすくなるかもしれません。

 ただ項目の「薄いプライド」というのは、若干違和感を覚えます。「薄っぺらなプライド」というのを著者は文中で使っています。「薄っぺら」のほうが「薄い」よりも中味内容がないことを表しているように思うのですが。私の偏見ですが、形容詞は修飾する語を何かしら拘束するような感じがするものですから。

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