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48回目 ‘Midnight's Children’ by Salman Rushdie を読む(第3回)。英国からの独立と同時にパキスタンとインドという二つの国が作られた時代の人々と社会。


1. インド・パキスタンの独立、その当時の社会とは。

この回の読書範囲は、全3巻(Books 1, 2 & 3)の内の Book 1 の最後の3つの章と Book 2 の最初の章です。Book 1 の最後の章では語り手が誕生し、インド・パキスタンの地が英国支配から解かれる日・時刻へのカウントダウンが進行します。この時点でのこの社会の姿を次の文章が見事に教えてくれます。学校や新聞やの日本語で学び思い描いていた「独立」が持つ栄光や勝利のイメージとは次元を異にする、生活している人々の姿を知る思いです。

[原文 1] August in Bombay: a month of festivals, the month of Krishna's birthday and Coconut Day: and this year - fourteen hours to go, thirteen, twelve - there was an extra festival on the calendar, a new myth to celebrate, because a nation which had never previously existed was about to win its freedom, catapulting us into a world which, although it had five thousand years of history, although it had invented the game of chess and traded with Middle Kingdom Egypt, was nevertheless quite imaginary; into a mythical land, a country which would never exist except by the efforts of a phenomenal collective will - except in a dream we all agreed to dream; it was a mass fantasy shared in varying degrees by Bengali and Pujjabi, Madrasi and Jat, and would periodically need the sanctification and renewal which can only be provided by rituals of blood.
[和訳 1] ボンベイの八月はお祭りに沸き立つ月です。クリシュナ神の誕生日とココナツの記念日があります。しかしこの年は、特別のお祭りがカレンダーに記載されています。そのお祭りは、14 時間、13 時間、あと 12 時間を残すのみです。新しい神話をお祝いするお祭りです。これまでは存在しなかった国家が自由を手にするのです。その国家とやらが、神秘に包まれた土地、表立って意識して作り上げようとしない限りは「国家などが存在しない大地 a country」でしかない世界に向けて私たちを放り出すのです。この大地は 5000 年の歴史を有するにもかかわらず、チェスなるゲームを生み出し中期エジプトの王国と交易したにもかかわらず、その詳細は幻想の中に霞んでします。人々が放り出される先の大地には人々が同じ夢を抱かない限り存在しないし、同じ夢を抱いて存在させたとしても夢の中の存在なのです。その存在は集団幻想の世界に留まるもので、ベンガル人、パンジャブ人、ジャート人たちが思い思いに抱く夢、それらがどこまで重なリ合うかに依存しているのです。それ故に彼らの間で定期的に擦り合わせる必要があるのです。この擦り合わせは変更でもあって血を流す儀式をも要求しかねません。

Lines between line 2 and line 15 on page 150,
"Midnight's Children". a Vintage Classic Paperback


2. 私にとって、初めて目を通した時にはややこしくて意味不明だったのですが

頑張って読み返してみると、なんとも面白い話だと解って大満足、ニンマリ笑わずにはおれません。

[原文 2] The taxi driver is ebullient despite the cold. 'Purana Qila!' he calls out, 'Everybody out, please! Old Fort, here we are!' … There have been many, many cities of Delhi, and the Old Fort, that blackened ruin, is a Delhi so ancient that beside it our own Old City is merely a babe in arms.
[和訳 2] この寒さにも拘らずタクシー運転手は意気軒高です。「フラナ・キッラ!(大昔の砦 Old Fort! )」、「皆さんどうぞ降車の時ですよ。ご準備を!」と声を出します。この都市デリーの地には数えられない程沢山の都市が、これまでの長い年月の内に生まれては消滅し入れ替わることで築かれたのです(have been と完了形が使われているのでこの意味になる)。そしてこの古い砦ですが、真っ黒に煤けた建造物の残骸もそのひとつ、堂々とした一つの都市デリーです。この古い砦のデリーに比べると今の私の古都デリーはまだ一人で立ち上がりすらできない赤ん坊なのです。

Lines between line 1 and line 6 on page 105,
"Midnight's Children". a Vintage Classic Paperback


3. 古くからの都、歴史を引きずる Delhi に対比される Bombay 、それは英国人に引きずられ出来た港町です。

第二次大戦の終了後の1947年、英国からの独立を達成する日まで残り2ヵ月の頃、まだ生まれてはいなかった語り手。その両親がデリーからボンベイに引っ越します。古い大都市デリーとは全く異なる大都市です。

[原文 3-1] But then, the Portuguese named the place Bom Bahia for its harbour, and not for the goddess of the pomfret folk … the Portuguese were the first invaders, using the harbour to shelter their merchant ships and their men-of-war; but then, one day in 1633, and East India Company Officer named Methwold saw a vision. The vision - a dream of a British Bombay, fortified, defending India's West against all comers - was a notion of such force that it set time in motion. History churned ahead; Methwold died; and in 1660 Charles II of England was betrothed to Catharine of the Portuguese House of Braganza - that same Catharine who would, all her life, play second fiddle to orange-selling Nell.
[和訳 3-1] すると今度はポルトガル人たちがこの地をその港に因んでボンバヒアと名付けました。すなわちマナガツオの人々の神は無視されたのでした。ポルトガル人たちは最初の侵略者たちとなったのです。この港を自分たちの商船のそして兵士たちの避難-休息場所にしたのです。次には 1633 年のある日が到来しました。東インド会社の役員であったメスワルド氏がある構想を抱いたのです。構想とは英国領ボンベイ、軍備で固めた港にして、この地インド西岸を、責め来る敵対者たちから守ろうという夢です。賛同者の多い構想だったことでこの年から現実の行動が始まったのでした。歴史は急回転し始めました。メスワルド氏は亡くなっていたのですが 1660 年には英国のチャールズ二世がポルトガル王国のブラガンザ家のキャサリンと結ばれることが決まったのです。オレンジ売りのネルに自分の一生をささげることになるキャサリンと同じ名前です(英国がポルトガルと戦火を交えずにこの地を手にしたことを指す)。

Lines between line 1 and line 12 on page 122,
"Midnight's Children". a Vintage Classic Paperback

[原文3-2] But she has this consolation - that it was her marriage dowry which brought Bombay into British hands, perhaps in a green tin trunk, and brought Methword's vision a step closer to reality. After that, it wasn't long until September 21st, 1668, when the Company at last got its hands on the island … and then off they went, with their Fort and land-reclamation, and before you could blink there was a city here, Bombay, of which the old tune sang:
Prima in Indis,
Gateway to India,
Star of the East
With her face to the West.
[和訳 3-2] あのキャサリンと違って、英国王に嫁いだキャサリンの得た感慨は次の通りです。ボンベイを英国の手に渡したのは彼女の嫁入り道具でした。おそらく緑色(インドの国旗の一部をなす色)のトランクに入っていたのでしょう。その結果、メスワルド氏の構想は現実に一歩近づきました。ここまでくると 1668 年 9 月 21 日までは長い年月ではありません。この日はあの会社がこの地の島を初めて自分のものにした日です。ここまで来ると構想は一挙に進行します。砦の建設、低地の埋め立てです。人々の一瞬のまばたきの間に大都市ボンベイが出現したのです。当時からの歌が残っています。
インドの人々を象徴する女性
インドへの入り口
東方地域の大スター
その顔は西を見つめています。

Lines between line 13 and line 24 on page 122,
"Midnight's Children". a Vintage Classic Paperback


4. 1947年8月15日、インドとパキスタンがスタートします。英国の統治がなくなってもこの広い地にはひと纏まりになるために共有できる原則が欠けています。

小説の語り手は1947年8月生まれ 31 才の男性。ストーリーの切れ目、合間を見つけては、語り手の声で「そのストーリーの背景・社会の状況」と「登場人物でもある語り手自身の胸の内」が読者に赤裸々に語られます。小説の読み手にその理解し方・捉え方を任せきりにはできない「作者が信じる事実」と「作者の観点」があるのです。

[原文 4] I have been in my time, the living proof of the fabulous nature of this collective dream; but for the moment, I shall turn away from these generalized, macrocosmic notions to concentrate upon a more private ritual; I shall not describe the mass blood-letting in progress on the frontiers of the divided Punjab (… …); I shall avert my eyes from the violence in Bengal and the long pacifying walk of Mahatma Gandhi. Selfish? Narrow-minded? Well, perhaps; but excusably so, in my opinion. After all, one is not born every day.
[和訳 4] 私がこれまで生きてきた年月には、多様な事々の寄せ集めであるこの夢の素晴らしい側面を自分の眼で目撃してきました。しかし今回はしばらくこの人々の夢に存在する一般的な、マクロな側面を語ることを避けて、個人のレベルで執り行われる儀式に焦点を当てることにします。すなわち、群衆の間に発生する血で血を贖う抗争、特に分断されたパンジャブ地域を前線として進行している抗争にはあえて触れません。・・・(一部省略)・・・私は自分の眼をベンガル地方からも、マハトマ・ガンジーの非暴力ながら途方もなく長い距離の行進行動にも触れません。身勝手なと批判されるかもしれません。視野が狭いと言われるかもしれません。まあ言われてみればその通りでしょう。私の見解ではしかしながらこれで良いのです。考えてみれば人は一人ひとり生まれた日はその日一日であって、毎日生まれるのではありません。

Lines between line 19 and line 24, and lines between line 28 and line 32
on page 150, "Midnight's Children". a Vintage Classic Paperback

《 この引用部分に関するコメント 》
語り手はこの短くはない小説にあって語り手の暮らしを自伝的に語るのですが、その1/3まで書き進みながらも、自分の母のお産についてすらまだ書き終えていないこと、家族以外の社会についてはあまり積極的に言及していないことを読者に再認識させ、それが語り手の恣意的な行為であると幕間から教えるのです。


5. 1947 年生まれの子供の 1953 年頃のボンベイにおける日常は、同じ年に日本で生まれた私の記憶にある当時の私の日常とそっくりで驚きます。

ここに取り上げるシーンが持つ、この小説全体の流れの中での意味・役割からは逸れてしまうのですが、以下はこの数行が私に呼び起こしたチョットした感慨です。

[原文 5] When Lila Sabarmati's elder son was eight, he took it upon himself to tease young Shiva about his surliness, his unstarched shorts, his knobbly knees; whereupon the boy whom Mary's crime had doomed to poverty and accordions hurled a sharp flat stone, with a cutting edge like a razor, and blinded his tormentor in the right eye. After Eyeslice's accident, Wee Willie Winkie came to Methwold's Estate alone, leaving his son to enter the dark labyrinths from which only a war would save him.
[和訳 5] リラ・サバルマティの 8 才になっていた年上の息子が、(近所の)子供であるシーパをその皴だらけの半ズボン、骨ばった膝を取り上げてからかったのでした。マリーの出来心からの犯罪の所為で貧乏とアコーディオンの生活に貶められていたこの子(シーバ)はペタンとした形の小石、かみそりのように尖った角のある小石を投げつけこのいじめっ子の右目の視力を失わせたのでした。アイスライス君のこの事件の後もウィー・ウィリー・ウィンキーはメスウォルド豪邸敷地に歌いにやってきました。ただし子連れではなく一人で来たのです。残された子供(シーバ)は戦争でも起こらなければ抜け出せないような迷路に迷い込んで行ったのです。

Lines between line 10 and line 16 on page 176,
"Midnight's Children". a Vintage Classic Paperback


6. Study Notes の無償公開

今回読み進めた部分、Pages 102-186 に対応する Study Notes を公開します。A-4用紙に両面印刷しA-5サイズに二つ折りしてなる冊子を作ることを前提にレイアウトされています。
Wordソフトの規定の操作に従い冊子形式から見開き形式に変更することで好みのページのみを印刷することもできます。