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51回目 "Midnight's Children" を読む(第5回)。長い小説だからこそ、「途中で飽きられると自分の命が危ない」ことを知っていてラシュディー氏は頑張っているのです。途中々々に楽しさが仕組まれています。

0. ここまで読み進んで来て、二つの発想が私の頭をよぎりました。

ひとつは "Midnight's Children" なるタイトルの意味が「真夜中の子供たち」と世間では翻訳されてはいるものの《夜の0時を母に持つ(夜の0時という母から生まれた息子・娘》ではないかという疑問です。また Children なる複数形が意味するのは、この小説の語り手とインド・パキスタン・バングラデシュというこの時に生まれた国々を指すのではという疑問です。このように考えると Midnight は文明・近代的とされる知識・教養(私個人の理解では啓蒙主義以来、実存主義などとして花開いた文明・価値観)が欠落した暗闇の社会(インドの人々の知識レベルの低さ)を指しているのではと思わずにはいられません。

もうひとつは、インドを良く知らない読者を念頭に構成されているのかなという私の勘繰りなのですが、この小説は、インドの社会に共有されているらしい神話や宗教に根差す逸話の断片、そして神・仏の像、北方に大きく聳えるヒマラヤを持つ大地・川・湖によって形成された自然の景観、更にはその要所要所に残された遺跡・美術工芸品を専門知識を前提としないレベルで、様々なアイテムを取り上げ教えてくれます。
今回の記事において読む対象になった章、"My tenth birthday" で印象に残ったのが gandharva でした。音楽・舞踊の神々、その女性に由来して Devi なる女性名があるのでした(記事冒頭のバナー写真参照)。


1. 辞書を引く手間を端折ると面白い気付きの機会を素通りしかねません。

特に目新しい英単語が現れたという訳ではないのですが次の原文、私にとって、辞書を引くことなしには、中々何を言いたいのかその焦点が定まらなかったのでした。

[原文 1] Still, I am at my table once again; once again Padma sits at my feet, urging me on. I am balanced once more -- the base of my isosceles triangle is secure. I hover at the apex, above present and past, and feel fluency returning to my pen.
[和訳 1] 今の私は、再び静かに机に向かっています。パドマがまた私の下に付き添ってくれています。私の作業を支援してくれています。私は以前のごとく心のバランスを取り戻しました。私という二等辺三角形の底辺がその安定性を取り戻したのです(私を二等辺三角形に例えるとその底辺部が安定したのです)。その頂点部分で私は活動しているのです。そこは現在と過去との双方を見通せる場所です。そこにいると私のペン(筆)の滑りが回復してきたなという感じがします。

Lines from 1 to 4 on Page 269, "Midnight's Children",
Vintage 40th Anniversary Edition

OALD(オックスフォード現代英英辞典)(7th Edition)、その他で確認した単語は、1) still (adjective), 2) sit at somebody's feet, 3) urge somebody on, 4) isosceles triangle, 5) fluency でした。詳細は下段に公開する Study Notes をご覧ください。


2. この小説には魔術的側面が時々表れます。しかし、これら魔術的側面が現実ではない旨、その都度、明確に読者に伝えられるのです。

[原文 2] Not only does your work suffer but things start escaping from your dreams … Joseph D’Costa had, in fact, managed to cross the blurred frontier, and now appeared in Buckingham Villa not as a nightmare, but as a full-fledged ghost. Visible (at this time) only to Mary Pereira, he began haunting her in all the rooms of our home, which, to her horror and shame, he treated as casually as if it were his own. She saw him in the drawing-room amongst cut-glass vases and Dresden figurines and the rotating shadows of ceiling fans, lounging in soft armchairs with his long raggedy legs sprawling over the arms;
[和訳 2] (そうなるとその影響は)当人の日常の仕事・行動に差しさわりが起こるに留まらず、こと(夢の中での出来事)が当人の夢から外に漏れだすことになります。実際、ジョゼフ・ド‐コスタが、ぼんやりとしていて不明瞭な境界線をどう遣り繰りしたのか乗り越えて遂には夢ではない世界、バッキンガム・ヴィラに姿を現したのです。この男が夢の中で現れるのに代わって、この男の紛れもない幽霊が現実に、すなわちバッキンガム・ヴィラに現れたという意味です。(この時にあっては)この男、マリー・ペレイラだけにしか見えません。この男が彼女にまといついて、私たちの家の中、部屋部屋に這入り込みました。この男、マリーにとっては恐ろしくもあり、その無礼さには軽蔑をおぼえた事態だったのですが、この家・部屋部屋を自分の所有物であるかのごとく馴れ馴れしく扱いました。日常活動の部屋に陣取った彼は、カットグラスでできた花瓶やドレスデン製の人形の置物、回転する天井扇の動き回る光映に囲まれて、彼女の目前でだらしない両脚を肘掛けに放り上げて上質の柔らかいソファーの椅子に座り込んだのでした。

Lines from 6 to 16 on Page 284, "Midnight's Children",
Vintage 40th Anniversary Edition


3. Study Notes の無償公開

第5回の今回に読む範囲は原書 Pages 267 - 287、"My tenth birthday" と題された章(14 番目の章)です。これまで同様に A-4 の用紙を横にして両面印刷すると A-5 サイズの冊子ができるようにフォーマットしています。