毎日日記もどき:昔の感性は素晴らしい
私はいくつか前の日記もどきで話しましたがジョジョが好きなんですよ。
↓そのnote
でも最近は自分の今の思考と合っているのか…?と思ってしまう。もちろんジョジョは好き。
その思考というのが、病みとか人間の陰の部分の思考。というかその陰の部分が今は好きって感じ。でもジョジョは人間の素晴らしさ、人間の美しさを主人公たちが強大な敵と戦う事で表現している。つまりは私と逆の人間の陽の部分を描いている。だから私は自分の思考考えと合っているのか分からなくなってくる。
もしかしたら見た時と違う見方をしてしまったのかもしれない。前はバトル漫画としてジョジョを見ていた。人間讃歌もへったくれもない。どうやって主人公たちジョジョが敵を倒すのか、その一心で見ていた。でも今はどうだ。人間讃歌。人間は素晴らしい!という考えを読み取るくらいの見方を出来るようになってしまった。その結果好きだったものを疑わなければならなくなった。本当に自分の好きなモノなのか?好きと言っていいのか?といないはずの”誰か”に怯えてしまう。
その”誰か”は常に私の中にいて、時に何かになって喋ってくる。今もこうやって書いてるのも”誰か”と喋っている事をそのまま書き写しているに過ぎない。
こうやってめんどくさい事を考えるようになった”今”よりも、何も考えずに面白い面白くないで何かを判断していた時の”昔”の方が幸せなんだな。と思う。私も言うほど年はとってないので言える事ではないですがね…昔の感性っていうのも案外バカに出来ないもんだね。
でもどっちも一長一短。どこかで聞いた絵の修復の話に似ている。昔は絵が細部まで書き込まれていたのでその書き込みに皆目を奪われたが、現在の修復された絵は細部の書き込みは無く、全体を見てパッとした印象に目を奪われる。それの今と昔が逆なだけ。全体の印象、つまりは面白い面白く無いでの判断。そして、細部の書き込み、その作品が何を伝えようとしているのか。って事じゃあないのかな?
まぁでも今でも私は物語を通して何を伝えようとしているか分からない時があるのでまだ昔の感性は捨て去ってない。今が一番いい時期なんじゃないか…?でも深掘りしたいから、理解を深めたいから何を伝えようとしているか分かりたいところではある。
最近は精神系の事を知りたいからそうゆう作品とか読んでみようかな。取り敢えR.D.レイン氏の本を今ちょろっと読んでる。翻訳文だから日何言ってっかさっぱりな部分があって辛い。まぁ取り敢えず読み進めるけど…
これも昔の感性なら「面白く無い!」の一言であしらってたんだよなぁ…と思うと成長は感じない事もない。ただただ我慢を覚えただけ説あるか。それでも読むモノの成長はある。昔は解決ゾロリをアホほど見てた…懐かしみが深い。今でもたまにテレビで弟が流してるのをたまに見る時がある。
まぁどっちも一長一短。でも、成長しちまったら無い物ねだりしちまうもんだよね。それが人間だからね。仕方ない。でも成長しないと見れないモノもある。ほぉぉぉぉんんんっと…面白いわね…
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