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僕の最古の記憶は遊園地と病院

 今日は書く事も特に無いので思い出話をしていきます。僕の最古の記憶、おそらく10年ほど前、5歳ほどの年の記憶が一番古い。

 僕の住んでいる辺境の地から少し離れたところに遊園地があり、それに僕が行きたい!と言って家族と行った遊園地。そこでの記憶なんてほぼありませんが、1つだけ鮮明に覚えている記憶がある。それはもう帰る時間となり最後に何する?とどれかアトラクションに乗る事(多分他のでもよかった)となります。そして僕は確か目の前にあった幼児でも乗れるちっちゃいジェットコースターを選びます。確か何回も乗ったのにまだ乗るのか、と「好きだねw」とイヤミ無しでの言葉を言い一緒に乗るお母さん。そして一緒に乗り笑顔のお母さん。当然僕も楽しかったことでしょう。
 この記憶がおそらく一番古い。多分覚えていないだけでもっと楽しい事はあっただろうになんでこの記憶だけが残ってるんでしょうかね。最後だからかな。子供にとっては「最後」って深い意味を持ちますからね。これで終わり。その寂しさとか切ない感じを幼児ながらに覚えていたんでしょうかね。もしくはお母さんの笑顔が印象に残ったか。または初めての遊園地での最後だからか。もしくは全部まとまったか。でも、楽しかったのは事実です。今の幸せとはまた違うベクトルでの幸せです。今は煩悩まみれの幸せですが、この頃の幸せは純粋な「快」。楽しいで溢れてた。多分この頃が一番純粋に人間として完成してた。僕は覚えてませんので説明のしようがあまりありませんが、小学校低学年の頃に結構きついいじめを受けてたそう。でもその相手を嫌うでもなく許したそうです。相手が謝って「いいよ」と言った記憶も一応ある。その頃の僕はすごいですね。今ではすぐ恨みとか妬みに発展しますからね。後ちなみにそのいじめてた相手は小学校低学年あたりはイカレてたけど高学年からネジが締まって、良いやつ(?)になりました。僕も別に恨みがあるわけでも無いので普通に接しています。

 そしてもう1つ、同時期の記憶がある。それは病院での記憶。僕はその頃に「真珠性中耳炎」と言われる割とやばい病気にかかっていました。なんか端的に説明すると鼓膜の裏に腫瘍みたいなのが出来て、進行すると周辺の骨とかを溶かして耳が聞こえなくなるっていう結構やばい病気です。中耳炎にも種類がちょこちょこあって、その中の親分、キングスライムみたいな奴。まあ手術すれば大体治るそうですが。
 そこでの手術は結構印象に残る、というか割と沢山記憶がある。
 例えばまず、その腫瘍を摘出した後の記憶。摘出が終わり、医者の方がその腫瘍を円柱型の容器に入れて持って帰ろうとした際に、僕が見せて!と言った記憶。確か見た。赤くてバイオの中ボスの弱点みたいな見た目してた。こんな年の奴に見せるんか…?と少し疑問はありますが確かに見た。トラウマとかにはなってない。てかひぐらし見てる時点で()でも記憶に残っているって事はそうゆうことでしょうね。
 次にその手術の前、多分なんか台に寝転んで変なスキャンみたいなされてた覚えがある。さっきまでいたお母さんがいません。その頃の僕はお母さんっ子だったので怖くなり、そのスキャン的なやつを中断して扉の外へ。そこでお母さんとなんか喋った記憶。というか昔の記憶は大体お母さんがいる。ほんとお母さんが好きなんだなって他人事みたいな感情が沸く。こうゆう事思い出すとどんなに嫌いでもやっぱり好きなんですね。なんか涙出てきた。
 まだある、次は手術が終わり、確か右耳に包帯を巻き病院のベットで寝ている記憶。そこにもお母さんがいて、Campusノートくらいの大きさのDVDプレーヤーで仮面ライダーを見せてもらった記憶。お母さんに「耳があれ(よく覚えてない)だから音出せないけど良い?」と聞かれてうん!と答える記憶。確か覚えてないけど色味的にオーズな気がする。内容は覚えてない。でも見た記憶だけはある。やっぱりお母さんですね。その頃はどこまでも好きですね。なんかこうやって書き出してると本当に泣きそうになる。この頃から成長したはずなのに大事なモノを失っていった感じもする。というか失った。悲しい。
 病院での記憶はこれくらいです。それ以外は覚えてるような、ないような曖昧な記憶。ちなみにその病院は無くなって今は公園みたいになってます。そしてその病院の招待状かな?もしくは勧めてくれた先生の耳鼻科の病院もつい1年かもうちょい前に無くなった。その病院には進撃の巨人が30何巻かあった。獣の巨人が表紙だったと思う。懐かしいな。でも数ヵ月前にその先生(勧めてくれた)には会えた。というかその人が行った別の耳鼻科に行った。まあもうのそ別の耳鼻科には確かもういないんですがね。居なくなる前に会えて良かった。歓迎してくれたよ。あ!やっぱあちゃん!(本名の入ったあだ名)ってね。ちなみにそこでは一円玉大の耳糞を取りました。それのせいで聞こえづらくなってたみたい。

 なんというか、幼少期は良いやつですね。今は承認欲求と煩悩に脳を支配されてる。それがどうですか、隣人愛を教えられずとも実行してる。なんなんだこいつは、キリストになれるぞ。僕か。ま、今じゃ無理だけど。
 そして沢山支えられてますね。お母さんをメインに、病院の先生方とかね。良いやつだから支えてもらえたのかな。この人らは嫌な奴でも支えないといけませんが、良いやつだったから先生は歓迎してくれたんでしょうね。それが今では…これ以上はくどいね。これを芯だと思えば僕はまだ優しいのかもしれませんがどうなんでしょうか。その芯の部分をさらけ出せていたのが幼少期で、今は無駄なモノが分厚く張り付いているのでダメかな。
 なんか、いい思い出です。これからも忘れる事はないし、忘れてもここに書けたので満足です。それでは、僕の最古の思い出話でした。失礼します。

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