【映画】ココディ・ココダ/感想考察


『ココディ・ココダ』COPYRIGHT 2019 JOHANNES NYHOLM PRODUKTION, ALL RIGHTS RESERVED

※考察のためネタバレがあります。
※心が落ち込んでいるときに見るのはあまりおすすめしません。ご注意下さい。

あらすじ

父(トビアス)・母(エリン)・娘(マヤ)の三人家族がバカンスにでかけた先で、娘が不慮の病で死んでしまう。三年後、娘の死により関係のギクシャクしている夫婦はキャンプに行く。そこで異様な殺人鬼に遭遇し、殺されては目が覚めるループが起こっていることに夫・トビアスが気がつく‥

感想/考察

スウェーデンで製作されたタイムループホラー。ホラーを謳っているものの、主人公がブリーフ一丁、妻も野ション中に殺されるという少し間抜けな絵面に、はじめはどんな感情で観ていいのかわからなかった。登場する殺人鬼は奇抜で容赦がなく、抵抗できない怖さを押し付けてくる。正直、そのループのシーンは二回目ほどみれば十分のようにおもう。
この映画は、夫婦の自責の念、娘の死を受け入れることの難しさをループで表しているのではないか。

さらーっと観終えた直後の感想は、「何度も不快感なシーンが続いて気づいたら終わってた。」という感じだ。冒頭から終わりまで、全てに説明がないので、消化不良のままシャワーを浴びていたところ、あのシーンはもしかして‥とぐるぐる映画のことを思い出してしまった。傑作ではないかもしれないけど、記憶に残るタイプの映画だったので、
観て意味不明だったと言う人は、こんな考え方もあるんだなと言う程度にご覧下さい。

ー考察どころー
ウサギの面とオルゴール

・序盤のレストランで家族三人はウサギの面を被っているが、後の影絵のウサギの家族とおそらくリンクしている。
・娘が誕生日プレゼントで買ってもらったオルゴールには、後にでてくる殺人鬼と同じ容姿のキャラクター達が描かれている。

娘の死因、夫婦のその後

・食事したレストランで妻が貝にあたり、おう吐し病院運ばれる。娘も食べており元気だが、念のため入院すると翌朝娘は死んでいた。その日は娘の誕生日当日だった。
死因が貝のせいなのかは描かれていない。スッと命の灯火が消えたことしか分からない。 
・三年、ギクシャクしながらも夫婦は続いている。どのように過ごしたのか分からないが、妻のエリンは普段引きこもっている様子で、夫の言葉にいちいち突っかかる。夫のトビアスは、娘の死に浸る余裕がなかった様子。

キャンプが見せたもの

夢なのか、摩訶不思議なタイムループなのかは分からないが、テントで夫が起きると妻がトイレにいきたいという。その後殺人鬼がでてきて殺される。以下、ループとなる。
トビアスは股間を打たれる。妻は野ション中というあられもない姿で殺されてしまう。
ここの表すところは、夫のトビアスは父親・夫としての自信を失っており、妻のエリンは母の役割をうしない、幼児退行したことを表しているように思う。

なぜループしたのか?

ここからは完全な私の解釈になるが、襲ってくる殺人鬼の容姿が娘にあげたオルゴールのイラストと同じであることから、あの日レストランに連れていったこと、貝を食べさせたこと、くしくも誕生日だったこと、娘を間接的に殺してしまったように感じて自分達は許されるべきでない。贖罪の気持ちがあったのではないか。
自分達の意思でループしていたともいえる気がする。
その一方で、ループから逃げる自分達は、苦しく止まった時間を進めたいという逆の意思も持っている。

猫と影絵

何度目かのループで、妻のエリンは白猫に誘われて協会のようなところにたどり着く。
そこで影絵をみる。小ウサギがカラフルな鳥にのって遊んでいたが、落下してしんでしまう。親ウサギは鳥を打ち落とし籠に閉じ込めるが、鳥は色を失い最終的には死んでしまう。だがその後復活しまた鮮やかな色で飛び去っていった。
白猫は出口を暗示し、鳥は時間を暗示しているようにおもう。

ループの終わり

ループから目覚めて、有無をいわさず車に乗り込み、その場から走り出すことでループを回避できた。
その後、白い犬をひいてスリップしてしまう事故に遭うのだが、私はこの事故でみた気絶しているときの夢が先ほどのループなのではないかと思う。つまり、雨が降っていたため夫婦は林道でキャンプせずに朝までぼーっと走り続けていたのではないだろうか。
ループ中に、轢いてしまった犬がでていたり、車のボンネットがすでに割れている描写がされていたからだ。

生き死にをわけたもの

スリップした車は偶然たまっていた水溜まりにつっこんでとまった。車の後ろには死んだ犬、水溜まりのお陰で林に突っ込まずに助かった自分達という対比がかかれる。
ここでお互いに抱き合い泣いて終わる。

急に迫る生き死にのあっけなさを身をもって味わったことで、責任や償いや後悔を一旦横において、娘は死んだという悲しさとはじめて向き合った二人は父と母として、また時が進んでいくのかもしれないと感じた。

最後に
考える余白を残した映画にこんなに考察をガチガチつけるのは野暮かもと思いながら、読書感想文のように書き連ねてしまったのは、自分のどこかに刺さる部分があったのだとおもう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?