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『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』と『村本大輔はなぜテレビから消えたのか?』を見た

配信についての話をひさびさ書こうかと思ったら、なかなかまとまらない&最近見た2本のドキュメンタリーの話をまとめたくなったのでそっちを先に。

周りでも非常に評判のよい映画『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』見てきました。朝9時10分からさいたま新都心での上映とそこそこ早い時間かつ新都心と言いつつリアル都心から離れた場所ながら、20人以上お客さんいたんじゃないかな。

#KEMNOMAでお世話になってるシブメグさんとか「5回目から数えるの忘れた」てくらいリピートして見てる人も身近にいるけども、さいたまでも人気高いのかもしれない。東京の奴隷支配から立ち上がる街・さいたまだから黒人の歴史にはビッと来るものがあるのですよ(嘘)。詳しくは『翔んで埼玉』で(偽史)。

ウッドストックと同じ1969年の夏、160キロ離れた場所で、もう一つの歴史的フェスティバルが開催されていた。30万人以上が参加したこの夏のコンサートシリーズの名は、“ハーレム・カルチャラル・フェスティバル”。このイベントの模様は撮影されていたが、映像素材はその後約50年も地下室に埋もれたままになっていた。誰の目にも留まることなく――今日この日まで・・・・
才気に満ち溢れた若きスティーヴィー・ワンダーの勇姿、1年前に非業の死を遂げたキング牧師に捧げる、ゴスペルの女王マヘリア・ジャクソンとメイヴィス・ステイプルズの、会場を異次元に導く歴史的熱唱、ウッドストックでもベスト・アクトの一つと称された当時人気絶頂のスライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーンの圧巻のパフォーマンス、そして後世に語り継がれ、聴くものの人生を変えたニーナ・シモンのメッセージ・・・この約50年間、ほぼ完全に未公開だったことが信じられない、音楽の頂点を極めた貴重すぎる全てのシーンがハイライトと言える。この2021年に世に出るべくして出た、今年最も心躍り、感動的かつ重要な、時空を超えた最高のドキュメント!

当時のフェスを描いた映画ということでメインはライブシーンだと思ってたら、それはそうでしっかり撮ってる(補正もしてるんだろうけど50年前と思えないくらい映像は綺麗!)とはいえ、パフォーマンスをバックにスルスルと時代背景の話が違和感なく入ってきて、黒人音楽と社会の変革期を描くドキュメンタリーとしてめちゃめちゃ面白かった。

音楽でいえば、前半はゴスペルルーツのミュージシャンが多く登場し、後半に時代を変えるアーティストとして白人メンバーもいるスライ&ファミリーストーン(観客の最前への押し寄せ方もすごい)、さらにその後21世紀に至るまでスーパースターであり続けるスティービー・ワンダーが登場。勝手にもう亡くなったと思ってたけどコメントで出てた。さらにアフリカに中南米と様々なルーツと、当時のアフロブームや最新モードと温故知新が一体となって熱を持ってる感じがすごい。ライブシーンでは短めながらB.Bキングに「え、ライブではこんな強烈なビートでやんの!!??」とそれまでのイメージ覆すプレイに圧倒。それまでベンEキングとごっちゃになるくらいの知識だったのは内緒だ。ベンEキングは「フェンザナイッ!」(Stand by me)の方な。。

またNY市長や警備を担当したブラックパンサー党や新聞記者などフェス周辺から更に広がる社会の話まで展開するも、細かい編集と構成もうざくなくて見やすかった。フェス中にアポロ11号が月に着く世界的ニュースが報じられるも「その金を俺らに回しやがれ」てそりゃそんな意見あるよね。

監督のクエストラブって何か聞いたことある…と思ったらザ・ルーツのクエストラブか!初監督で映像のテンポの良さとかすごい。ナレーションはしっかり聞こえるのに、音と映像が邪魔しない。音と物語の文脈をビニール2枚使いでバッキバキにスクラッチしてDJしたような。それにしても自分で映像作るようになると、あの細かい編集どんだけ手間かけてんねん&テンポがいいんだと驚愕しますね。。

「ドキュメンタリーは映像でその場の熱をしっかり届けることが出来て一流、さらにその時代の熱を届けて超一流」…というのは今思いついた言葉だけども、そういうとこはあるよね。そしてどちらもしっかり届く見事な一作でした。

もう公開されてしばらく経つので良いレビューあちこちで見れるので詳しくはそちらで。たとえば小野島大さんのnoteをぜひ。

あと「町山智浩のアメリカの今を知るTV」でも特集されてましたね。クエストラブの監督きっかけが日本に来てある番組を見たこと、なんて話も。

と『サマー・オブ・ソウル』を見てる間、たまたま前日に見た『村本大輔はなぜテレビから消えたのか?』とリンクして頭がぐるぐるしていた。今年4月に放映され、先日「第11回衛星放送協会オリジナル番組アワードグランプリ」を受賞したことで、BSトゥエルビで朝4時から緊急再放送されたもの。

ウーマンラッシュアワー・村本大輔。2013年の「THE MANZAI」で優勝し、テレビに引っ張りだことなった。しかし、原発や沖縄の基地問題などを漫才のネタにし始めた2017年頃からテレビ出演が激減。2020年のテレビ出演はたった1本だった。  
彼はジャーナリストさながら福島や沖縄などに足を運び、生の声を聞いて回る。そして、“笑い”に変え続けた。何が心に響くのか?常にお笑いのネタを探し続ける彼に番組は密着。さらに村本がテレビから消えた理由を関係者に取材。見えてきたのは、テレビの制作現場に漂う空気、そして社会におけるお笑いの役割と可能性だ。
彼はなぜテレビから消えたのか?村本大輔という芸人を通して、テレビというメディアを見つめ直す。

社会風刺をネタに取り入れ話題になる一方で、朝生などの発言がやツイッターの投稿が炎上。一度は政治ニュースショーの企画まで立ち上がるも一転「使いづらい」と判断され、TVからどんどん離れていくウーマンラッシュアワー・村本。TV番組出演回数は年間250回から1回にまで激減。といってYouTube芸人になるわけでもなく、福島・沖縄・台風や地震の被災地区を周り、さらに朝鮮学校や障害者へのインタビューなど、精力的に現場を訪問し続け、大小会場でのライブを重ねていく。最多だと年間400本だとか。

メディアでは悲しみしか描かれない被災地も、実際言ってみると会話の端々に笑いがある。水害で被災した地区の女性に「こういう被災地に行って、どういうふうに消化しているか」と聞かれて、村本は「誤解うけんとってな」と前置きして「どうネタにしようかな、みたいな。これをネタにして喋った時にそれを(どう現地の人たちが)『言ってくれた!」って喜んでくれるかな、みたいな。共感するためには共有せなあかんやん」と返す。

村本は様々な場所で現地の人たちと会話し、様々な悲劇の中でも生まれる笑いと出会い、確信した上で自分の笑いを作り上げていく。「人を傷つけない笑い」という言葉があるけれど、村本は憶測で「傷つける”かもしれない”」で笑いを作るのではなく、当事者と関わって「傷」と出会った上で笑いを作る。そして傷ついた人たちを笑いで救う。たとえ少しばかりの時間かもしれなくても。

村本は社会風刺色の強いアメリカのスタンダップコメディにも興味を持ち、現地の観客を前に手帳片手にステージに立つ。奇しくも彼が立ったのは『サマー・オブ・ソウル』の世界とかぶるニューヨークのコメディクラブだ。ただ、もともとその様子をテレビが密着する予定だったのが、村本のツイッター投稿が問題となり白紙になってしまう。

村本がコメディクラブで出会った女性コメディアンは、ネタを披露することを「考える種をまく」と言い方をする。見終わった後も観客の頭に残る種を残すようなネタを彼女は考える。すべての笑いが社会風刺・政治風刺である必要はないけれど、笑いを必要としている人、今悲しみに暮れている人のためのお笑いというのもあっていい。そしてそんな人たちのことを想像させる笑いも。

「笑いというのはいちばん素晴らしい仕事だと思ってるし、思いたい」という村本には、たとえ悲しみがあったとしても、その先を描いて笑顔にさせることが出来るのがお笑いだと言う信念を感じさせる。

『サマー・オブ・ソウル』は当時の米国社会のうねりが現在のBLACK LIVES MATTERなどの社会行動と繋がって見えるだけにより今に響く作品なのだけど、アメリカのさすがなところはその時代の社会の怒りや悲しみがその時々の文化、この場合は音楽として出て来るところだ。それもエンターテイメントの最前線にしっかり浮上するし、この映画のように50年後も語られる。

でも日本のお笑いとテレビはどうか。現代人の心理や機微は描けても、社会を描く作品がどれだけあるんだろうか。

例年恒例の大統領晩餐会に出て本人の目の前で痛烈な皮肉を飛ばすアメリカのコメディアン、桜を見る会に出て総理の自己満足に付き合わされる日本の芸人。それぞれの国のリーダーとコメディアンとの関わりだけ見てもこんなに違う。

日本の一般的世間からすると「テレビの世界の方が広くて、村本の世界の方が狭く」見えるのだろうけど、この番組で日本や海外の現場を回る村本の姿を見れば「村本の世界の方が圧倒的に広く、テレビの世界の方がずっと狭く」感じる。日本のお笑いの文化はたしかに芳醇だとは思うのだけど、今の時代と社会を描いたものをもっと見たい。


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