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カネコアヤノ

カネコアヤノのことは何も知らないし、会ったこともないけれど。

カネコアヤノをよく聴いている。

聴くたびに、いろんな感情を感じ取れるし、いろんな感情を持てる。
自分の感情がわかる。
それは、はっきりとしたものではないけれど、そこに感情があることがわかる。

同じ曲でも、いろんな感情がある。
同じ日でも、いろんな感情がある。

そのうち、カネコアヤノを通さないと自分の感情を見つけることが、できなくなるかも知れない。


今年、一人暮らしを始めた。

友達と会うことも少なくなり、自分の声は時々遠くにある。
仕事は可も不可もなく、一定に流れている。
お金のために働いている。

カネコアヤノを聴くと感情がある。


この前、カネコアヤノに会いに武道館に行った。

そこには感情が溢れていた。

目には見えないし、聞こえないし、匂いもないけれど、そこには確かに感情が溢れていた。
感情がぶつかり合い、最後には一つの大きな感情になっていた。

それは、カネコアヤノの感情なのかも知れない。

感情を与えるためには、大きな感情を持てるような力がないとダメなのかも知れない。

その大きな感情を目の前にした時、私は顔を背けそうになった。
それを、自分の中に持つことを考えると、ぞっとした。

けれど、その瞬間カネコアヤノの音はその感情を包み込み、私の感情が吸い込まれていくような感覚があった。
私たちは一体になったような気がした。


カネコアヤノはカネコアヤノであり私たちなのかも知れない。
1人だけど1人じゃない。


そう思うと、その大きな感情は私にまた、新しい感情を与えてくれた。


だから、今もカネコアヤノを聴いている。


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