建築士としてのあらたな生き方がNOT A HOTELにあった。Creative Director of Architecture 松井一哲
建築・ソフトウェア・ホテルサービスなどを掛け合わせることで、これまでにない「あたらしい暮らし」を追求するNOT A HOTEL。そこには、これまでの建築士が出会ってこなかった「建築のあたらしい仕事」も多くあります。
いま建築チームでCreative Director of Architectureを務めている松井一哲も、そんなNOT A HOTELでの仕事に惹かれた一人です。大手組織系設計事務所である日建設計や外資系スタートアップのWeWorkを経て、NOT A HOTELに参画した理由とは。そして「Creative Director of Architecture」としての役割を、どう捉えているのでしょうか。
「ここを経験しないまま、キャリアを歩みつづけていたらと思うと怖い」と言わしめる、NOT A HOTELでしかできない経験。そして、これからの挑戦について、じっくり尋ねました。
「人と違う経験を」大手組織系設計事務所から外資系スタートアップへ
―まずは、松井さんと建築との出会いを聞かせてください。いつごろから興味を持ち、学びたいと思ったのですか?
小さいころから手で触れられる美しい“もの”が好きだったんです。家具や工芸品、食器、洋服など、生活の中で日常的に使われる“もの”にはさまざまな種類がありますが、その形態に限らず、機能を備えていながら素朴な美しさを感じるような「要の美」にふれると、無性に心惹かれる感覚がありました。そうした日用のものたちが、何気ない普段の暮らしを豊かにしてくれると感じていたんです。
そのなかでも、人々の生活さえ内包し、地図にも残る“もの”として、建築は特別な存在というか、憧れのような気持ちがありました。建築を学問として捉えると、その対象範囲は芸術・文化だけでなく、工学や社会科学など、広大で多岐にわたります。家具や食器のデザインを手がける建築家も数多くいるし、まずは建築を専門として学んでおけば、さまざまな“もの”に対して応用も利きそう。中高生くらいからそんなふうに思いはじめ、東北大学やスウェーデン王立工科大学、東京大学大学院で建築設計を学んで、株式会社日建設計に入りました。
―ファーストキャリアとして、大手の組織系建築設計事務所である日建設計を選んだのはどうしてですか?
日建設計のような基盤が整った設計事務所で、社会的意義の大きい仕事を担当したいと思ったからです。また、学生時代から尊敬していた山梨知彦さんや羽鳥達也さんなどの建築家が在籍されていたため、そうした方々の下で働きたいと思ったのも大きな理由でした。いまの自分の建築に関する価値観や仕事への向き合い方は、この方々からの影響が大きいだろうなと思っています。
―山梨知彦さんや羽鳥達也さんは、どのような建築家なのでしょうか。
これは僕なりの解釈ですが、どんなプロジェクトにおいても、建築の美しさを当たり前のように成立させつつ、現代の社会問題や建築的課題に対するアンチテーゼとして、社会的にも意義のある建築をつくられる方々でした。大きな建築の場合、建築としての美しさを実現するだけでも物凄いことなんですが。僕が特に感銘を受けたお二人の建築に、NBF大崎ビル(旧ソニーシティ大崎)があります。外装として、多孔質の素焼きのパイプをすだれ状に設けていて、そこに雨水が伝わると気化熱が発生し、打ち水のように周囲の空気を冷やしてくれる仕組みになっているんです。高層ビルのような大規模建築は、都市を形成するうえで必要不可欠な用途の建物です。一方で魅力的な建築デザインにするのが困難なうえ、景観を壊してしまったり、ヒートアイランド現象の要因になったりもする。つまり、どうしても必要悪的な存在になってしまうんです。そんななかで、NBF大崎ビルは高層ビルであることを逆手に取り、工夫を凝らした巨大な壁面によって、大崎駅周辺のクールスポットにまでなっている。そのうえ、建築としてもすごく美しい。そんなものをつくり出す尊敬する方々の下で建築に向き合えたのは本当に幸運でした。
―その後、WeWorkが立ち上げたオフィスデザインコンサルティング会社である「Powered by We」への転職を決意しますよね。どんな経験を得ることができましたか?
創業120年以上の歴史がある老舗の日系企業から、新たなビジネスモデルを模索する外資系スタートアップ企業への転職だったので、まさに正反対のような環境でした。建築設計だけに限らない、包括的な提案を意識するようになれたのはPowered by Weでの経験が大きいかもしれません。設計事務所でのアウトプットは、シンプルに言えば「設計」に集約されます。対してPowered by Weでは、実際にコワーキングスペースを提供するWeWorkを母体とすることで、オフィスを設けるエリア選定からコミュニティを軸とした運営まで、オフィス事業の当事者として蓄積した知見をもとにデザインの提案ができるんです。設計だけに限らない説得力のある提案ができるという実感がありました。建築は建てたら終わりではなく、むしろそこからがスタート。建築設計しか考えられなかった自らの視野が広がるような、貴重な経験を積ませてもらいました。
―そのような経験を経て、NOT A HOTELと巡り合うわけですね。
大きなプロジェクトを終え、次のチャレンジを探していた矢先でした。NOT A HOTELの建築チームのマネージャーであり、日建設計時代の同僚でもあった綿貫から「ポートフォリオを見せてほしい」と突然連絡があり、よく分からないままあり物を送ったところ、「NOT A HOTELで建築チームを立ち上げないか」と誘われたんです。その日の夜には、代表の濱渦さんと食事をすることになり、そのまま入社が決まりました。
建築業界の“外側”を向いて、建築やデザインを届ける
―NOT A HOTELの、どんなところに興味を持ったんですか?
まず一番大きかったのは、関われるフィールドの広さです。企画構想からブランディング、設計以後のローンチや運営まで、自分ごとで取り組めそうなところがとても面白そうだと思いました。じつは僕、WeWorkに転職したとき「入社するのが遅すぎた」と思ったんです。スタートアップとはいっても、すでにしっかりとしたデザインの流れや役割が決まっていたんですよね。なので、もしもまたスタートアップに行くなら、次はチーム編成すら確立していないような、創業して間もないタイミングで入ろうと考えていました。NOT A HOTELについては正直「名前は聞いたことがある」くらいの認識だったんですが、当時はまだ建築の専門家が社内にいなかったのに「建築を売りにしていく」と濱渦さんから伝えられ、入るならいまだと。ここで飛び込めば、建築にまつわる幅広いフィールドに入り込み、挑戦できると感じたんです。
―それは前職までの経験では果たせなかったことなんでしょうか?
設計事務所の所員時代は、忙しくもやりがいのあるプロジェクトが多く、環境としては恵まれていました。一方で、専門性を磨くにつれ、もともと純粋に“好き”と思っていた物事と、日々の業務が乖離していくジレンマもあったんです。学生時代はきちんと理解できていませんでしたが、建設業界の専門は細かく分業化されていて、例えば商業施設であれば、デザインさえ「建築」と「内装」で異なる分野として扱われ、別の専門家が業務にあたります。僕の当時の業務は主に箱としての建築であり、インテリアデザインなどは業務の範囲外でした。建築に限らず、手で触れられる美しい“もの”全般が好きでこの道に進んだ自分にとって、「やりたいことってコレだったっけ?」というもやもやが次第に大きくなっていきました。NOT A HOTELでは建築やインテリアの検討に加え、家具や家電、備品の選定まで携わることができており、自らの「好き」に真剣に向き合えていることを実感しています。
―建築士として、松井さん自身はどう変化していったのでしょうか?
かつての僕は、人々の生活よりも建築業界の方向をむいて仕事をしていたと思います。建築を通じていかに人々の生活を豊かにするかということより、自分の作品がいかに専門誌に載るか、学会や業界から評価されるかということにモチベーションがあった気がします。NOT A HOTELに入ってからは、社内にいる別業界のプロフェッショナルや建築業界の外にいるクリエイターの方々とのプロジェクトを経験し、多様な価値観にふれる機会がぐっと増えた。そうすると、これまで見ていた世界だけがすべてじゃないということを、実感を伴って理解できるようになっていったんです。
多様なクリエイターとの創作によって得られた建築的価値観
―松井さんの役割である「Creative Director of Architecture」についても伺いたいです。改めてどんな役割だと捉えていますか?
かっこよく言えば、「NOT A HOTELらしい建築とは何かを考え、世の中へデリバリーするまでをディレクションする人」という感じでしょうか。NOT A HOTELはWEBサイト上で建物の販売を行うため、実物がない状態でも魅力を感じてもらえるようなビジュアルコンテンツがとても重要なんです。そこに関連するパース(完成イメージのCG画像)やプロモーションビデオのディレクションもするし、各建築にあわせて家具の選定や新規案件の提案資料もつくる……デザイン関連のタスクで落ちそうなボールを拾う役割でもあるので、結構泥臭い仕事も多いです。
―クリエイティブディレクターでありながら、建築士としての仕事も?
そうですね。直近では「White Mountaineering」などを手がけるファッションデザイナー・相澤陽介さんディレクションのもと、「NOT A HOTEL KITAKARUIZAWA BASE」の企画・構想段階から実施設計までを担当しました。振り返ると、担当している仕事はかなり流動的ですね。
―それは、まさに松井さんが望んだ守備範囲や働き方ですね。松井さん自身、NOT A HOTELでの仕事から、どんなものが得られましたか?
ひとつは、建築に対する意識が変わりました。建築とは本来、課題を解決したり、生活を豊かにする「手段」のひとつであって、目的ではありません。それなのに建築設計だけを生業にしていたときは、いつのまにか建築そのものが「目的」になってしまっていたと思います。でもNOT A HOTELでは建築以外のさまざまなアウトプットに携われるし、プロジェクト全体をこれまでよりも俯瞰的に見渡せるため、建築は「NOT A HOTELが描く“あたらしい暮らし”を実現するための手段のひとつ」だと思えるようになりました。
それから、事業者側の気持ちで仕事に取り組めるのはやはり大きなメリットですね。事業者が何を目指し、どんなことに気を付けているのかって、外から深いところまで理解するのは難しい。でも、NOT A HOTELは各部門のコミュニケーションがSlackやNotion上でオープンになされているし、自分が興味を持ち意識をしていれば、どんな立場の人がどのフェーズで何を考えているのかが目に見える。運用フェーズで起きる課題点や、宿泊者が感動したポイントなどについて、間近でフィードバックを受けられるのもありがたいですね。この経験は今後クライアントワークをするときにもニーズを先回りしたり、いっそう寄り添ったデザインを提案したりするうえで、必ず活きてくると思います。
また、国内外のさまざまな一流の建築家やデザイナーと共に仕事ができるのも醍醐味のひとつです。設計手法や図面を見るだけでも勉強になりますし、それらを体系化し、集合知として蓄積していけるのはNOT A HOTELという環境ならではです。
―建築業界外のクリエイターと触れ合い、価値観を広げていくことについては、どうでしょうか。
それこそ先ほどもふれた、相澤陽介さんから学ぶことは多かったですね。トップクリエイターのものづくりへの姿勢や意思決定を間近で見ていると、どこが普遍であるべきなのか、どこをこだわり抜くべきなのかが学べます。プロジェクトを通じて、ファッションという自分とは異なる専門の相澤さんと、デザインに関して同じ意見を持てたときは自信にもなりました。
―それは相澤さんとご一緒するまで、松井さんが建築に閉じない多様な視点を着実に磨いてきたからこそ、かもしれないですね。
そうだとうれしいです。「NOT A HOTEL NASU」でご一緒した建築家の谷尻誠さんからは「遊ぶこと」の大切さも学びました。いいものをつくるためには、いいものに多くふれなきゃいけないんですよね。センスは知識と経験の集積によるところも大きいと思うので。それは、濱渦さんにも感じます。
―というと?
濱渦さんは、おそらく日本で一番ホテルに詳しいんじゃないか?と思うくらいホテルが大好きで。一流のサービスを受けてきた経験が建築チームの誰よりも圧倒的に多いんですよ。そうすると、建築士じゃない濱渦さんに、建築士がホテルの内装やデザインの話で言い負かされることがあるんです。どういう経験をどれだけしてきたか、どれだけそこにアンテナを張っていたかというところからくるセンスって、強い。前職までのボスは一級建築士で、同じ専門のなかで自分よりも知識と経験がある方々でした。濱渦さんは建築のプロではないけれど、NOT A HOTELを利用するオーナーのペルソナとしては間違いなくベストな人。そんな人と問答しながら仕事ができることには大きな学びがあるし、だからこそつくれる建築があると思うんですよね。
―建築家としてはものすごく面白いけれど、非常にシビアな環境でもありますね……。
NOT A HOTEL自体が、そもそも妥協をしない社風なんですよ。「最終的にできるプロダクトがすべて」という考えの会社だから、構想段階では具体的なプロセスや実現可能性のことは、いったん捨て去っちゃう(笑)。でも、建築やデザインにも徹底的な理解やこだわりがあるので、いい意味で建築家に任せきらず一緒に考えてくれるから、これまでにないプロダクトアウトの建築がつくれる場所なんじゃないかとも思います。
「すべての人にNOT A HOTELを」への一歩としてできること
―松井さんがNOT A HOTELでの幅広い仕事や多様な価値観から受けてきた刺激について、とてもよくわかりました。ご自身が選んだ「建築士としてスタンダードではないキャリア」を歩む道に、手ごたえを感じられていますか?
これは正直、現在進行形で葛藤している部分ですね。ビジュアライゼーションをディレクションしたり、販売やWEBとのつながりまで考える仕事はこれまで経験したことがなかったし、もちろんすごく面白い。でもその一方で、多くの建築士がいまも磨き続けている設計業務のほうがおろそかになっているんじゃないか、建築の専門家としては薄っぺらい人間になっていないかという焦りやコンプレックスはずっとあります。とはいえ、自分を強くもてれば、なんとかなるだろうと思うようにもなりました。
―その心境の変化はどこから?
これは濱渦さんの姿勢から学んだ部分が大きいですね。濱渦さんは建築士の経験もなければ学問として建築を学んでもいない。それなのに、僕らと同等以上に意見を出すし、決して妥協しません。建築の知識が多少薄かろうと、想いの大きさや意志の強さでカバーできるんだなってことを強く実感しました。
―NOT A HOTELへ入社し2年が経ついま、仕事に対する価値観や向き合い方も大きく変化したんですね。
僕はNOT A HOTELで働くまで、仕事自体にやりがいは感じられても、その担当が自分でなければいけないと感じることはできませんでした。自分が会社を辞めたり、自分ではない誰かが代わりに業務をしても、会社として事業やサービスが何か大きく変わることはないだろうなという感覚が心のどこかにあったんです。NOT A HOTELに転職してから2年強、スタートアップで建築士として働くことが本当に正解だったのかを悩んだり業務に追われて余裕がなかった時期もありました。だけど、何度も困難を乗り越えた今では、自分がいなければ今のNOT A HOTELはないという自負のような感覚があります。これは僕に限らず長く社内で働いている社員は業務内容を問わず、みんなが持っている感覚だと思うんです。代えの利かない存在だと社員が思えること、これはプロフェッショナルが集うNOT A HOTELの強さだと感じています。
―では最後に、これからNOT A HOTELで実現したいことを聞かせてください。
フルオーダーメイドの建築だけでなく、よりスピーディに多くの人へ届けられるような建築もつくっていきたいと考えています。これ以上ない完成度の既存製品をつくり、それが「あらたな暮らし」の代名詞になるようなムーブメントを起こす、みたいな。当然、NOT A HOTELの建築をもっと多くの方へ届けられるような仕組みのほうも、合わせて考えていきたいですね。金額の高い安いではなく、NOT A HOTELらしい息吹がちゃんとあるものをつくりたいと考えています。
ーNOT A HOTELのミッションである「すべての人にNOT A HOTELを」にも通じる話ですね。
まさに。iPhoneが携帯電話のふりをしたまったくあたらしいプロダクトをつくり、世界中にスマートフォンが普及しました。決して安価な商品ではないけど、今では誰もが手にしています。NOT A HOTELも、家のふりをしたまったくあたらしいプロダクトをつくり、暮らしをアップデートしていきたい。その結果、「すべての人にNOT A HOTELを」に一歩でも近づけるといいなと思っています。
イベント情報
9/2(土)に「NOT A HOTEL 建築チームがNOT A HOTELを語る夜」をテーマにイベントを開催します。建築家、プロジェクトマネージャー、クリエイティブディレクターなどが一堂に集結し、これまで手がけてきたNOT A HOTEL建築のこだわりやポイントを徹底的に細部まで語り尽くします。ご応募は8/25(金)まで。お待ちしています。
採用情報
現在、NOT A HOTELの建築チームではデザイナーをはじめ複数ポジションで採用強化中です。カジュアル面談も受け付けておりますので、気軽にご連絡ください。