評価って難しい。。

最近、社内の人間の日報を読むことにはまっている。
うちの会社は元プロサッカー選手、元地下アイドル、1日1冊本を読む知識人などいろんな人がいる。
そんな人たちの中にはとてもおもしろい日報を書く人がいて、それを読むのが最近のマイブームだ。
身バレの無いように詳しいことは書かないが、面白いと思ったことの整理も兼ねて、ここに書いてみようと思う。

特に印象に残っているのは評価制度の話。
評価制度ってどうやっても結局正しく評価できないよね。という話。
理屈を大まかに紹介すると

多くの評価制度では以下の3つの阻害要因から正しく評価できない。
①「存在」が周りに与える影響
当人が何か作業をしたわけではないのに周りの生産性を高めるような人もいる。低俗な例えをすれば、かわいい子がいれば男子は頑張る。
②最終的にゴールを決めた人が偉いという考え方
最終的にシュートを打って決めた人が評価をされがち。実際はシュートまでのパス回しの能力が高かったという場合も考え得る。
③中身の質ではなく「みてくれ」に金を払う社会
サービスや製品には最初から価格が決められているので、オーダーメイドな接客をするよりシステム化して短時間で高回転を捌いた方が評価が高くなる。

という主張である。
もちろん、業種や職種によっては必ずしも当てはまらないとは思うが、割と的を射ているのではないかと思う。

この日報の中では触れていなかったが、これは最近よく耳にする資本主義の弊害とやらではないだろうか。
資本主義下の企業にとっては利益の拡大が至上命題であり、目的達成のためには社員を企業の意思に従って動かせる必要がある。
現在の評価制度は企業の売上を最大化する上で合理的な形になっているのだろう。

しかし、この評価制度が良いのか悪いのかはまた別の議論になるだろう。
従業員からすれば、いくらいいパスを出しても、職場の雰囲気改善に努めても、当人が売り上げを作っていなければ評価されない。
なので「なんでこんなに頑張っているのに評価されないの?」という感情になる。
一方、経営者の立場で見れば、会社を成長させていくためには売上増が必要で、売上増のためには社員に売上に繋がる行動をさせる必要がある。そのためには成果主義の評価制度が適していて、この評価制度の中では自分で売り上げを作っていない社員はたとえどれだけいいパスを出していようが「結果出してないからこんなもんだろう」という評価になる。

つまり、従業員は自己実現の手段として評価制度を見ており、経営者は会社の売上増の手段として評価制度を見ている。という前提の違いがあり、この前提が揃わない限り両者にとって納得のいく評価制度は作れないのではないか。
世の中が資本主義で動いている以上、企業は利益を求める生き物なので評価制度の問題が改善されることはないのではないか。

まあ、私は評価制度についても資本主義についても何も知らないド素人なので全く的を射ていないとは思うが、思ったことをつらつら述べさせてもらいました。

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