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「~なんだ」は演技の役割語?リアルで使う人、岡田斗司夫だけ説

あなたは日常生活のなかで「~なんだ」と発したことがあるだろうか?

現代に生きるほとんどの人が「ない」と答えるのではないか。


「僕は天才なんだ」
「だからお前はダメなんだ」
「あいつが悪いんだ!」

普段標準語圏内に住んでいないからかもしれないが、僕はこの「~なんだ」という言葉遣いにとてつもない違和感を覚える。


これが仮に、

「僕は天才なのよ」
「だからお前はダメなんだよ」
「あいつが悪いんです!」

だと急にしっくりくる。

この違いはなんだろうか。
僕は言語の専門家でもなんでもないので、推測で書いてみる。


この「~なんだ」という言い回しだが、よく耳にするシチュエーションが存在する。
そう、ドラマや映画のセリフだ。

不思議なことに画面上の人間がこんな言い回しをしていても何も違和感を感じないが、それは慣れたからだろうか。
それとも、東京の話し方はこうなのだろうと高知県在住の幼い僕が納得してしまったからだろうか。

しかし、考えてもみてほしい。
演技にはリアリティが求められるわけであり、その演技で非現実的な言い回しが使われているのはおかしくはないだろうか。


この疑問に対して、一つ仮説を立てた。
ドラマなどの演技はそもそもリアルとは切り離しており、演技であることの役割語として「~なんだ」という言い回しが使われている』
という仮説である。

役割語とは、話者の特定の人物像(年齢・性別・職業・階層・時代・容姿・風貌・性格など)を想起させる特定の言葉遣いのことである。

例えば、老人キャラの「~じゃ」、田舎者キャラの「~だべ」、中国人キャラの「~アル」なんかがそうだろう。
「~なんだ」も、外国人へのインタビューの吹き替えにおける「~なんだ」は役割語かもしれない。なぜか外国人ってフランクな感じに和訳されるよね。


この役割語について、wikipediaにはこうある。

役割語は、「標準語[4]」とメディアの発達に伴って複雑化してきたものである。東京で作られた「標準語」のコンテンツがメディアによって日本全国に発信され受容されることで、「標準語」の台詞は日本全国どの方言話者でも容易に自己同一化(感情移入)できるものとなり、同時に非「標準語」が役割語として生産・拡散・固定化されていくのである。そのため、役割語には感情移入を妨げて脇役であることを示す効果があり、フィクションの主人公が強烈な役割語を話すことは少ない

この記述からすると、共感を呼ぶべきドラマの主人公の話している言葉が役割語なのはおかしなことになってしまう。

だが、ドラマの出演者たちはみな、日常生活で感じる感情を、日常生活では使わないような言い回しに乗せて演じている。

これは役割語の発展形なのではないだろうか。(そういった概念が既存かは分からない)
つまり、役者はそもそもリアリティを追求しているわけではない。役者のゴールは感情を伝えることなのだ。
だから、演技であるということを明示しつつ、現実世界と同じ感情を表現するものとして、このような特殊な言葉が用いられているのではないか。
現実とは切り離されたものだからこそ、視聴者はその世界に入り込み共感できる。


その証左になるかは分からないが、テレビショッピングのインタビュー部分など、演技世界ではなく現実世界の人間として感想を正直に話すべきところで「この商品のおかげなんだ」みたいなセリフをめちゃくちゃ感情を込めて言ったところで、演技臭いなと感じて信憑性は生まれない。

演技臭いと感じる要因は他にも間の取り方や発声・発音などいろんな要因があるが、「~なんだ」という言い回しが一つの要因になっていることは、個人的には疑いの余地はない。



ここまでは「僕は演技の中でしか「~なんだ」という言い回しを聞いたことが無い」というのを前提にした論なのだが、その前提が覆りそうな発見をした。

岡田斗司夫が「~なんだ」を使っていた!

日常会話ではないにしろ、それに近い生配信という場で普通に使っている。
僕としては違和感が半端なく、聞いてるとぞわぞわしてしまうのだが、もしかして標準語圏では普通に使っているの?
江戸っ子とかなら使ってそうだけど、現代の人も違和感なく普通に使ってるの?
そうだとしたらここまでの1500字は全く無駄になってしまう。。

というわけで、新たな説『「~なんだ」をリアルで使ってるの、岡田斗司夫だけ説』を唱えたのであった。


実際に使っているデータは会話コーパスなどを使えば調べられるかもしれないので、もし会話コーパスを使うことのできる方がいれば調べてほし……
いや、もっと高尚な目的のために時間を割いてほしい。

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