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問わず語るソーシャルディスタンス/メンタリスト対策/レビューを書いていない映画

2020年7月29日

Twitterでフォローしている方が紹介していた『とはずがたり』がオモシロイ。

鎌倉中期に書かれた日記文学で、架空(たぶん)の女性の体験(もちろんあっちの)やらなんやらが綴られた文学。 そう、文学です!

ま、まだ読んでる途中だし、本の内容や感想については後日ということにして、この「とはずがたり(問わず語り)」という言葉がいいじゃない。「誰にたずねられたわけでもないのに、自分から語りだす」こと。

実社会で「問わず語り」の多い人は少々迷惑なんだけれど、文章の場合は「誰に聞かせるわけでもないけれどー」と言いつつ、「聞かれたとしたら」「聞いてもらえるとしたら」というちょっと遠慮した思いが垣間見えて、それが面白い。で、読むほうにも書くほうにもある「なんとなく恥ずかしい思い」に気づいたり、気づかないフリをする微妙さもいい。

けれども、最近は「聞くよね、私の考えていること聞きたいよね」「これは聞かないとダメでしょ」という「問いありき語り」的な押しの強い文章が多くて疲れる。文章が読まれないとわかると、音声や動画で果敢にアプローチしてくる。

そうやって自分の周辺が「誰かの知りたいに応える有益な情報」で埋め尽くされ、そもそもそれを自分が「知りたい」のかさえ分からなくなり、いつしか「知りたかった」気にさせられるのだから、そりゃ疲れるよ。

誰にたずねられたわけでもないけれどー、という「問わず語り」って、必要なソーシャルディスタンスなのかも。


あ、「音声や動画で果敢にアプローチしてくる」なんて書いて、さも「Youtube見てますっ!」みたいな空気を醸し出してみたけれど、ぜんぜん見もしないであーだこーだ言うのもどうかと思い、いくつかチャッチャっと見てみた。

カメラに向かって語るタイプの動画が多くて、しゃべりのヘタウマはあるにしても、まぁ、みなさんよくしゃべる!饒舌! だからYoutubeやってるんだろうけど、あのメンタリストさんなんて、ホントにすっごいスピードでのべつまくなくしゃべる。

で、だんだん「そうか、そうなんだ、そうに違いない」と思えてー、はこなかったけれど、「答え」を求めて視聴する人には、このスピードすら権威性を帯びて映るんだろうな、と、思った。ボーっと見ながら、そう思った。

そうそう、メンタリストといえばちょっと前に見た映画『グランド・イリュージョン』が面白かった。

『グランド・イリュージョン』Summit Entertainment / Photofest / Zeta Image

4人のマジシャンがマジックショーで金を盗んでー、という話なんだけど、俗にいう「汚い金」だけを狙う4人はヒーロー。

で、メンバーの一人がメンタリスト、で、ウディ・ハレルソン! イイ人にも見えるし、とんでもなく悪い人にも見えるし、こんな人にはコロっと騙されるわな、と。

『ノーカントリー』や『スリー・ビルボード』でも魅せてくれるウディ・ハレルソン、ほかにもいくつか見たようなー。


どんな映画だったか、見てどう思ったか、をこのブログに映画レビューとして書いている。それが120数本になったところでふと、「誰が出てる映画を多くレビューしているんだろう」という気になった。

で、調べてみたところ「あれ、この人の映画もっと見たはずだけれどー」というのが結構多くてビックリ。ブラッド・ピッドもクリント・イーストウッドも1回しか取り上げてない。トム・クルーズに至ってはゼロ。

基本的には最近見た、見直した映画のレビューを書いているのだけれど、見たのにレビューを書いていない映画も多い。明確な理由があるわけでもなく、ただ何となく書かずにいるだけだったり、書いた気になっていたり。

どうしてなんだろうね、トム。


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