My Child Lebensbornをプレイしてゲームの本質と可能性を感じた

このゲームはiOS, Andoroid, PS4, Steamなど、多数のプラットフォームで入手可能なゲームだ。
俺はPCでプレイした。
https://store.steampowered.com/app/1114070/My_Child_Lebensborn/?l=japanese

ジャンルとしてはADVに属するのだろうか。
プリンセスメーカーに近いシステムで一定期間を子供と過ごすことでエンディングが決まる。

Lebensborn、あるいは「生命の泉」。
それはナチスの残した爪痕。
これはもう爪痕としかいえず、残されたものが全員不幸になった。
アーリア人増殖機関としてナチスはノルウェーで運用したが、ノルウェーの経済状況などから協力せざるを得ない人がいたのは事実。
そして、そこで生まれた子供は非摘出児。
ナチスが去った後の母親は子供を養子に出す。
今回は主人公(プレイヤー)が養子にした子はそういう背景を持った子だ。
しかし、そんな背景を子供が知るわけない。知る必要もない。

これを読んでくれた貴方に伝えたいことは
「このゲームを好きになってくれとは言わない。ただ、このゲームはゲームが好きならプレイした方がいいゲームだ」
その一点だ。
その理由をこれから記載しておく

ゲームのジャンルは多数ある。人によって好きなジャンル、嫌いなジャンル、伝説の一本。心の作品は異なるだろう。
ゲームがすきな貴方なら同意してくれると信じている。
「ゲームは心を動かし、貴方の心に楔を打ち込む事が出来るものだ。」
それは、感動によってかもしれない。

感動とは抑圧と開放の落差と、登場人物への読者(プレイヤー)の共感による相乗効果だ。
共感を抜けばトラウマになりうるし、抑圧が高過ぎれば途中で読み捨てられる。
何が言いたいかといえば、心を不安定にさせる作品というのは、心に楔を打ち込む事ができた作品というのは、それでもう名作なのだ。
これはゲームだけではなく、映像、文章でも言えることだと信じてる。
いや、エンターテイメントに属する全てに言える事だろう。
このゲームは明らかに貴方の心に大きな、小さな波を掻き立てる。
680円とさほど高くないプライスで入手することができるエンターテイメントとして、これほど考えられる作品はめったにない

冒頭述べたようにこのゲームは主人公(プレイヤー)と養子(男女選択可能)の二人が生活する話だ。
貴方は親として子供に食事を与え、金を稼ぎ、子供との時間を大切にしたいと感じるだろう。しかし時間は有限だ。
その有限の時間の中で子供に与えられる幸せと降りかかる不幸に対する対応をする。
それがこのゲームの全てだ。

このゲームはしんどい。
間違いなくしんどいので、目を背けてしまうのも仕方がない。
それでも、俺からのメッセージとして、このゲームを胃がねじ切れるような思いでプレイしてほしいと思う。

貴方の心に楔を打つことは間違いないから。



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