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自分のからだを焼くにおい

Googleの口コミが2.5の美容皮膚科でほくろ除去してきた。CO2炭酸ガスレーザー。

受付をして、問診票を書いて、看護師に奥の部屋へと通される。
渡された鏡で自分を見ながら、消したいほくろを指差す。そこに蛍光ペンでマークを付けられる。
「ここです」「はい」「あと、ここも…」「はい」「…いま何個指定しましたっけ」

今回ほくろを10個除去できる。そういうコース。
私の顔にはほくろが星座のように散らばっている。例えがロマンチックだとまるで長所のようだけど、無秩序に配置された黒点を活かせるほど自分の顔は整っておらず、ただのノイズだ。
数えるたびに増えているのではと本気で思う程にたくさんあるので10個では全て消せない。とりあえず顔の中心にあるほくろを消したい。

邪魔だと感じる部分とノリで指定した合計10個。
蛍光ペンで顔がピンクになったまま医師のいる部屋へ入る。

「お願いします」
「顔の傷はね、治りやすい」
挨拶もしないまま先生の説明が始まる。
事前に見ていた口コミにも医師の素っ気なさや淡々とした態度をマイナス評価する声が多かった。これか。
私は今まで愛嬌のいい医師に会ったことが無いし、温度の低い接し方のほうが営業の匂いがしなくて信頼できる。

モニターで患者の症例をたくさん提示される。
写真を1枚ずつ。それに伴う医師のひとこと。さながらセンス系お笑い芸人のフリップ芸のよう。
「これ術前、術後。これが1週間後ね。で、半年。除去はガスレーザーでほくろを抉るんだけど、皮膚の治癒力でそれを治す。
でも途中で腫れ上がったり、凹んだままの人もいる」

さっき顔の傷は治りやすいって言ったじゃん。
私が少し不安そうな顔をしたのか、先生は少し口角を上げたように見えた。感情の機微が見える瞬間って良いよな、意地悪な微笑みを向けられるのはいつだって嫌だけど。

「そのために1〜2週間は傷にテープ。それからは紫外線対策を心がけて。既往症や現在内服薬はありますか?麻酔は?」
「麻酔お願いします」
「歯医者などで麻酔のアレルギーは出ましたか?」
「特に」
「やりましょう」

やりましょう、だけ食い気味で、切れ味が良く、心地よかった。常に二ヶ月先まで予約いっぱいの病院だから、さっさと片付けたいですよね。私も早くこの黒い点を取りたいです。お願いします。

施術。案内された簡易ベッドに横になる。妙齢の看護師に麻酔を打ってもらう。
ここが一番痛かった。
局部麻酔なのでほくろを焼く位置に注射される。頬、口元、鼻。
予防接種で腕へ注射するのとは訳が違う。薄い皮膚に針が入ってくる、その痛みの拾い方が鋭利で。
「痛いですか〜大丈夫ですか〜」
痛いって言ったらやめてくれるんですか。でもやめたらシラフのまま皮膚焼くんですよね。
どっちにしても拷問で、そもそもこのベッドに寝転がっているのは全て自分の選択なんだから、全てを信じて受け入れろ。これから傷をつけて治すのもお前しか出来ないんだよ、と理屈づける。

「麻酔終わりましたよ〜痛かったですね〜」「…はい」
目をギュッと瞑って息も絶え絶えな自分。いつもなら「大丈夫です」と答えていた。今回は恥ずかしさを誤魔化すために笑いながら、肯定する返事をした。歳を重ね、痛みや苦しみを声に出すこと、少しずつ出来るようになってきた。
看護師と医師の優しい小さな笑い声が聞こえる。
「もう痛くないですからね」
すでに口元がうまく動かなくなっている。

いよいよレーザーでほくろを焼く。
目を光の刺激から避けるために隠しているので何も見えない。
麻酔が効いて痛みもない。すこし肌の上がパチパチするくらい。

ただ、肌の焼ける匂いがする。
いままでの人生で皮膚を念入りに焼いたことはないので、肌が焼ける匂いなのかは分からないけど、脂が焦げる直前の何か。
鼻のほくろを焼いているときは特に匂いが濃かった。
自分のからだのことなのに、自分のことじゃないみたい。
知らない場所、知らない人間、知らない感覚、知らない匂い、ぜんぶがここにあるのは現実だけど、上手く認知できない。ふわふわする。

自分の肌が焼けた匂いを嗅ぐ経験、あと何回できるかな〜なんてぼんやり考えていた。残りの顔のほくろを除去するときかな。呑気なもんだ。

10分くらいで施術は完了した。
寝転がったまま、渡された鏡で自分の顔を見る。
黒い点だった箇所が赤くなり、凹んでいる。本当にやったんだ。
傷にパッチを貼ってもらい、アフターケアの流れを説明され、お会計。

肌色のパッチのせいで顔に水膨れがたくさんあるように見えるので、マスクをして外に出た。

クリニックへ向かうときは本当にやるの?傷治らないかもよ?と不安が頭を埋め尽くして心臓が短いスパンで動いていたけど、今はもう焼いちゃったしどうでもいい。

赤みや凹みがそのままでも、再びほくろができても、元には戻れない。
でも「もしも自分の顔にほくろがなかったら」の「もしも」を抱え続けて日々を過ごす方がずっと身体が重い。可能性にしがみついても現実じゃないならずっと寝てるのと同じで、早く目を覚まして片付けをする方が心の調子が良いことを、段々と歳を重ねてきた自分は知っている。

人生は自分の「こうだったらいいのに」を潰すためにあるのかな。

ややサムいことを考えながら表参道から新宿まで歩くことにした。

きらびやかな夜の目抜通りではTiffanyのオープニングイベントが行われていた。異様に顔が小さく脚が長い著名人たちが見えた。それを見にきた大勢のファン。大勢の警備員。
マスクの下は顔がぼこぼこになった私。

お腹が空いたなと思いながら家路についた。
この時期は夜でも25°以上あって、顔も体も汗ばんでいる。
優しく洗顔して、顔にパッチを貼って。



それを繰り返して、パッチも剥がれて、1ヶ月経った。
傷はまだ残っているものの、日を重ねるごとに薄くなっている。

来年の今頃には無くなっているだろうか。
また別の傷を身体に抱えているだろうか。
心に増えているだろうか。

その傷を愛しても憎んでも、日々を進めていけますように。

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